私の本 第9回 三浦瑠麗さん ▶︎▷03

三浦瑠麗さん

「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺う連載「私の本」。今回は、国際政治学者の三浦瑠麗さんにお話を伺いました。このコロナ禍を生き抜くために、きちんと政治を知る必要がある。そのために読むべき本を教えていただきました。


実態と乖離があるアメリカの世論調査

 今年11月にはアメリカの大統領選挙があります。前回は、世論調査でリードしていたヒラリー・クリントンの優勢が報じられていましたが、トランプ当選の線があると私が考えたのには、やはり一部の都市や大学町に限られないアメリカというものを見ていたからでしょう。私の夫の母方の一族はノースカロライナ州とサウスカロライナ州に住んでいます。共和党員の多いコミュニティで、伝統的な白人スポーツのNASCARの興行主である親戚とともに過ごす経験は、地に足の着いた共和党理解につながったと言えるかもしれません。貧乏でみじめな負け犬白人というレッテル貼りとは180度異なる、トランプ支持者たちを見ていたからです。

 同時に、2016年9月に黒人デモを取材したことも大きかった。黒人デモの参加者はヒラリー氏が大嫌いだったからです。そこには何らかの作られたイメージがあったことは否定できませんが、黒人票を民主党側が読み誤ったことは致命的でした。アメリカの世論調査では9割程度の黒人が、「民主党支持」と答えます。しかし、彼らの投票率は白人に比べて低い。さらに、白人女性の多数がトランプ氏に投票したことも驚きをもって受け止められましたが、これも社会の実態をよく理解していないゆえの反応です。2016年には世論調査に基づくプロの分析が果たして実態を示したものであるのかということが問われたわけです。

 いまアメリカでは白人警官が黒人のジョージ・フロイド氏を殺害したことに端を発する大規模抗議デモが行われています。しかし、黒人デモが盛り上がっているからバイデン氏有利と見るのは早計です。そもそも2016年だって、黒人デモは盛り上がっていたのです。白人の多くは大義には理解を示しても、暴徒化した一部の運動に対する拒絶反応が広がっており、治安と法執行を重視するトランプ大統領の主張が受け入れられる可能性が高い。黒人の中にも相変わらず政治不信が広がっており、不信感は投票にマイナスに作用します。黒人の有権者は白人の有権者に比べて理念よりも実利を重視します。実は、象徴的な人種問題にフォーカスすればするほどトランプが有利になってしまうかもしれないのです。

 アメリカは雇用調整が進みやすい国なので、コロナ禍で大量の失業者が生まれました。しかし、選挙前ということもありトランプ政権の経済支援策は巨額に上っています。コロナ禍がアメリカ経済に与えた打撃は大きく政権には痛手ですが、ただひとつ言えるのは、アメリカは日本と違って自由に活動したい人が多く、放っておいても経済は自然に動き出すということ。トランプ大統領の経済政策に対する支持は高く、争点が経済政策になればトランプ大統領が有利です。トランプ大統領は中国という敵を外につくり、さまざまな問題を転嫁することもしています。世論調査ではバイデン氏が優勢とされていますが、トランプ大統領再選の見込みはそれなりにあると思います。 

 分断したアメリカ社会の実情を知るには、国際政治学者である渡辺靖さんの『白人ナショナリズム』が、大変に参考になります。渡辺さんはアメリカ社会にわけ入り、白人優位主義を抱え、自らをナショナリストと位置付ける人たちの実像を捉えることに成功しています。

政治改革の歴史を知る

 コロナ禍は日本の経済にも大きな影響をもたらしました。安倍総理は8月末に辞任を表明し、同時に感染症対応と経済の両立を図るための政策変更を発表しました。菅官房長官が新総裁に浮上してきたのは、世論に押し切られた形で行った休校や緊急事態宣言に基づく休業要請などの施策に当初から懐疑的で、経済に対する強い懸念を抱えていたということも一因でしょう。コロナ禍では国民の大多数が不安に襲われ、非合理的な強硬措置を望み、経済や消費活動は萎縮に向かいました。しかし、そのときどきの世論と政権が異なる方向性を向いていたとしても、与党優位は堅い。直後に行われた世論調査での安倍政権評価は7割超えを記録し、国民がいかに長期安定政権を望んでいたかが浮き彫りになっています。

 日本の政治を理解するうえでは、平成30年間の政治改革の歴史を押さえておくことが必要です。日経新聞記者の清水真人さんの『平成デモクラシー史』は白眉だと思います。90年代を知らない若い人でも、日本政治を把握することができるでしょう。携帯電話やインターネット、SNSが普及して以降、政治記者の振る舞いはずいぶん変わったと言われています。清水さんは古き良き時代を代表するオールドスクール。残念ですが、今後日本のメディアはどんどん SNS発信に傾倒し、ファクトを押さえなくなり、党派化していくのでしょう。

 コロナ禍での大きな問題は女性の雇用が失われ、所得が減ったこと。100万人単位の女性がリストラに遭い、労働市場から消えてしまいました。女性が再び家庭に吸収されたことで、安倍政権のウーマノミクスの効果がほぼ消えてしまいます。社会的に見れば、経済的な自己決定権を向上させた女性たちが、それを失う結果となってしまったことの影響は大きい。

 長期スパンで見れば日本の人手不足は変わらないでしょうが、短中期的には雇用を失った女性の地位は弱くなる。長引く不況に突入した場合、真っ先に雇用調整の対象となる非正規雇用の7割が女性であることも、時代の流れに逆行する効果を持つでしょう。

コロナ禍に読むべきフーコー

 そしてもうひとつの社会問題は、ロスジェネ世代が再び生まれてしまったことでしょう。いま就職活動をしている学生たちは圧倒的に不利な状況です。中には数年にわたり雇用が安定しない状況に陥り、それによって彼らの生涯賃金が低くなってしまう。雇用の不安定は自己実現を阻み、少子化を加速することにもつながります。

 また、経済界に目を向ければ、多くの企業が長期的な投資に目が向いておらず、この危機を生き残ることに集中しています。短期的な効率化とコストカットは進むでしょうが、現預金が底をつき始めているいま、コロナ禍で必要とされるIT投資さえ十分に進まない可能性があります。

 バブル崩壊後のような長い停滞にしないためには、早期にこうした問題を認識して取り組むことが重要です。私はコロナ問題で幾つか論考を書いてきましたが、より俯瞰した文章を発表したのは、イワン・クラステフ著『コロナ・ショックは世界をどう変えるか』に寄せた特別寄稿です。

 今回のコロナ禍で世界各国を見渡してわかったのは、政府があまりに弱く、思考停止に陥り、大衆の要求に従ってしまうということです。民主国家では政府が暴走する危険ばかり論じられがちですが、多くの場合権力を握っているのは人びとであり、その判断が正しいとは限らない。

 今回は、新型コロナウイルスに対する恐怖が様々な弾圧や排除を生み出しました。マスメディアも専門家も、事態を悪化させるのに寄与しました。だからと言って自由な言論を束縛すべきというわけではなくて、ときに弊害があることを前提としたうえで、政府のあるべき施策を抑制的に考え直していく必要があります。

 緊急事態宣言や自粛要請を出すべきだという圧力をかけることは、結果的には人びと自身の首を絞めることになるのですが、そういった声に対して、政府はなすすべもなく立ちすくんでいる。コロナ禍に直面した社会の状況を鑑みるに、非常事態における最大の人権侵害は、民間の社会で起きるだろうと思います。権力が踏みとどまれずにそうした風潮を追認すれば、そのうち民主国家が掲げていた当初の理想までもが変質してしまいます。

「非常事態なのだから他者に圧力をかける権利がある」という発想自体が、「人々が権力を他者に行使したい」という意識の表れです。私たちは現在、ハンセン病患者に対して「あんな間違った政策をした」と言いますが、当時の人々が現代の我々と比べて特段劣っているわけではない。人びとは常に歴史に対して謙虚であり続け、自らの正しさに対する盲信を戒めるべきです。

 そういう無反省ぶりを見ると、人間はテレビにくぎ付けになるのをやめ、小説や、改めて注目されつつあるフーコーなどを読んだほうがいいのではないと思います。時代の波に揉まれながら残ってきた古典には、私たちがコロナ禍の世界を生きぬくうえで多くの示唆が内包されているからです。

三浦瑠麗(みうら・るり)

1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国際政治学者として各メディアで活躍する。『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』『私の考え』など著書多数。

(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/五十嵐美弥)


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