西川美和「深海の船」第3回 こどもたちがいる

終戦直後の東京を舞台に孤児となった少女の姿を描く映画『わたしの知らない子どもたち』。「STORY BOX」では、西川美和監督がその制作過程での思いなどを綴るノンフィクション・ノベル「深海の船」を連載中です。このたび映画公開を記念し、過去の作品を再掲することになりました。ぜひお読みください。
こどもたちがいる
子供がいながら映画を作るということを、私は一度も真剣に考えたことはなかった。
やがて来る南海トラフ地震について、富士山の噴火について、原発への核攻撃について、人も動植物も生息していけないレベルの気温上昇について、どうしても正面から向き合って考えられないのと似ている。恐いのだ。それが来れば自分の持っているもの全てが壊され、変わるだろう。壊れ始めれば、自力で防いだり回避することは不可能だ。そう思うと、考えることさえやめてしまう。子供と大災難を一緒にするなと言われそうだが、親の死に目にも会えない仕事と言われてやってきたし、実際に死に目に会えないまま親を送った人も見た。だから映画を作りながら、一人では生きられない小さな存在を育てるということは、私にとってはやはり巨大で破滅的なことと思ってきたのだ。
唯一違うのは、「なければいいな」と思っているか「あったらいいな」と思っていたかどうかだ。破滅を防ぐための手立ても見込みもなかったが、棚ぼた的に自分の人生に子供が現れる未来をどこかで期待していたところもあった。それが「若さ」だったのか、私の中にも存在する女性としての本能的な欲求だったのか、たんに多くの人の持っているものを自分も手にしてみたいということだったのか、今ではぼんやりしてよく輪郭が摑めない。しかし、そのぼた餅を取り出すタイミングは常に摑みきれずにいた。もしかすると棚の中に常にそれはあったのかもしれないが、扉を開けるのは今ではない、今でもない、と思いながら時は過ぎていった。気づけば家の中から棚ごと消えていたり………。
三十代の終わり頃だったか、五十代の配給会社の女性から、「結婚は必要ないけど、子供だけでも作っといた方がいいわよ。私が見てあげるわよ」と言われたことがあった。その女性も未婚で子供はいなかった。自身の人生の実感から出た言葉なのだろう。仕事を好きなのはお互い様だけれども、立ち止まって振り返ると取り返しがつかない侘しさや後悔を覚えることがあるのだということを教えてくれたのだと思う。
「そうできたらいいんですけどね」
と私は笑顔で返しつつ、しかし腹の中では悪態をついていた。──大きなお世話だ。あんたが乳母になるのかよ。一ヶ月も二ヶ月も、新宿六時出発の撮影中、あんたが五時半にうちに来て、二十三時に私が帰ってくるまで子供の面倒見てくれるのか。そのあともシャワー浴びて、カット割り考えて、コンテ描いて、横になるのは夜中の二時、三時だよ。誰が子供を寝かしつけて、誰が夜泣きをなだめるんだ。結婚は必要ないとか、自分が見てあげるとか、同じ女が現実感のないこと言ってくれるなよ、と。笑顔を返したつもりだったが、もしかしたら私、全然笑顔じゃなかったかもしれない。その女性は以後二度と同じ話題を差し向けてくることはなかった。
「監督契約書」には一行も書かれてはいないけれど、映画監督の予定にない妊娠や出産は、何千万円、何億円、何百人のプランを崩してしまい、二度と同じ条件では作品が作れないことを意味し、その先の未来もないのではないかという強迫観念があった。私は今五十歳。世界広しで年齢に囚われずいろんなことにトライする女性もいるが、今後自分の体で子供を妊娠し、産むことはないだろう。
子供のいる人生に比べて経験値が著しく低く、子供をめぐる一般常識が欠落していることに劣等感はある。ベビーカーの回り道の苦労も知らないし、職場のトイレで母乳を捨てる背徳感もわからない。誰もが知っている子供向けテレビ番組やヒーローの名前に聞き馴染みがないと、ハッとする。こんなことさえ知らないで、映画なんか作れるんだろうか──しかし、心の奥底からの欠乏感や子孫を持てない悲しみというより、ものの描き手としての欠落と捉えてしまうあたり、自分は子供を持つことにやはり根っこのところで真剣ではなかったのだろう。そんな人間、そんな女もいるのだと、自分の心をのぞいてつくづく思う。
深く悩まず生きてこられたのは、周りにも同じような女性が多かったからということもあるだろう。それは言い方を変えれば、同じような女性しか映画の撮影現場には存在し得なかったからということでもある。みんな仲良く汗をかき、山に登り、海に入り、暑中寒中、不眠不休で仕事をしたが、家に帰れば我が子が待っている、という女性の仲間に私はほとんど出会ったことがなかった。いくつになってもみんな屈託なく純朴で映画愛に満ち、体力も学生並みだったが、言いようを換えれば、幼く、人生経験が偏っている。
男女のスタッフ同士が結婚するニュースが飛び込んでくることがあれば誰もが祝福した。けれど子供ができても土日は休めず、保育園の送り迎えの時間を守ることもできない不規則さを受け入れた人しか働けない環境の中で、結婚後も子供を持たないカップルの比率は高かったし、子供ができた時は、映画の仕事を続けるのは夫の方で、たいていは妻の方が現場の最前線から退いていった。映画業界では子供ができると「産休・育休」ではなく、「引退」という言葉が二十代や三十代の現役絶頂の女性から飛び出す。スタッフや監督のほとんどはフリーランスだから、社会保険の保障は薄く、大きな怪我や病気、育児や介護が人生に降りかかれば、そこでゲームオーバーを受け入れるより他ない。
しかし、彼女らにとって子供を授かったことはこの仕事を手放すに値する幸せにちがいないと私は想像するようにしていたし、ある種、退役軍人のようなイメージでもあった。過酷な戦いに全てを捧げた先の、子供や家族を中心に過ごすセカンドステージは、決してネガティブなものではなく、平穏でゆるやかな健全さに満ちているのだと。けれど実際に退いた女性たちの後を追って私が直に言葉を聞きにいく機会などありはしなかった。子供を持たずに働き続ける女性と、子供ができて映画の現場から退いた女性との間に敵対関係があるわけではなかったが、「それでも映画の仕事はいいよ」と言うのも憚られたし、「映画の仕事なんか辞めて良かったよ」と直に聞かされるのもさすがに辛いだろうと思ってもいた。
何年か前から、撮影現場に託児所を作るよう試みたり、子育て中の俳優が現場に子供を帯同させたり、という取り組みがあると耳にするようになった。その必然性に気がついた個々の俳優や監督が自身の現場で独自にトライアルをし始めたのである。日本社会の少子化は歯止めが利かず、選挙のたびに政治家がこぞって掲げる保育・教育の無償化や子育て支援策のマニフェストには、「何を今さら」と半ば白々しく感じつつも、全てにおいて社会から遅れをとりがちな日本映画界で、そんな取り組みを始める人が出てきたことには風向きの変化も感じる。
けれど、実際に現場に子供を連れてきたいと思う人はどれくらいいるものなのだろう。
私が仕事を始めた一九九〇年代の終わり頃、女性スタッフは多い時でも全体の二割以下だった。それが今では撮影部や照明部や録音部などの技術パートにも女性は珍しくなくなり、二〇二〇年に撮影した私の映画の現場では全体の四割五分ほどを占めていた。
けれど、その中にもやはり子育て中のフリーランスの女性スタッフは一人もいなかった。そもそも、昼夜・土日かかわらず数週間から数ヶ月に渡って撮影が続き、場所はひと所にとどまらず、市街地の道路や商店、アパート、民家、駅、空港、オフィス、工場、海、山、川と、日毎に移動していく長編映画の仕事を、小さな子供を育てる女性スタッフが無条件に引き受けること自体、稀だろう。
「現場で子供預かります」と看板を掲げられても、そんなに簡単じゃないということを、母親になった女性スタッフたちは熟知しているはずだし、たとえば強風吹きすさぶ断崖絶壁に立ってカメラを回している最中、すぐ近くに小さな子供が遊んでいるような場面を私はなかなか想像できない。母親たちは、どう思ってる? また父親たちは、何を感じている?
『グッド・ストライプス』や『あのこは貴族』などの監督の岨手由貴子さんには、二人のお子さんがいる。一人目が生まれた後に東京では保育園事情などが整わず、家族で金沢移住を決断し、会社員の夫と、互いの両親のサポートも受けながら映画を撮り続けている。「子育てとの両立を実現している女性監督」の代表のような役割を担ってメディアやイベントに駆り出されることも多いが、東京で配信ドラマを撮影していた時は半年間自宅を離れ、戻ってみれば下の子が顔を忘れかけていたこともあったという。「だから私はパートナーに子育てを押し付けて仕事してる男性スタッフをとやかく言えない立場ですよ」とバツが悪そうにされるが、それでも岨手さんのようなモデルが存在することの、若いフィルムメイカーたちへのインパクトは大きい。人生選択も人それぞれで、やりようはあるのだと。
その岨手さんは「たとえ託児所が現場にあったとしても、自分が子供を連れて来ることは考えられない」と言う。近くに子供がいれば、気になって監督業に専念できないし、幼なくとも子供たちには子供たちの人生や社会があり、親が行く場所どこにでも連れまわし、死なないように見てさえいればオーケー、というものではないとも。
「一般的に育児中のスタッフや俳優は、すでに子供を保育園などに通わせてます。現場に託児所をおくようなハード面の発想より、保育園が終わる時間になっても撮影が続いている場合に、代わりに迎えに行ってくれる人がいることや、子供が病気になったと連絡があった時に、保育園から現場まで連れてきてもらうようなことの方が必要なのかなと」
これまでの人生で、時計の針が十七時や十八時に迫るのを見ても、そわそわした経験が一度もない私には目から鱗のような話ばかり。本当に何も考えず、何にも煩わされずに生きてきたものだ。けれども私も岨手さんも監督なので、比較的声は通りやすい立場ではある。子育てをしながら映画の仕事を続けているスタッフや、子供ができたことで現場から退いたスタッフ、また、映画の仕事をしながら育児をしていくことに関心のある人を集めて、話を聞いてみることにした。
*
30代元制作部(女性)/子供7歳・7歳(双子)
元々はフリーランスの制作部として働いていまして、夫も美術デザイナーで同じくフリーランスです。子供が欲しいと思った時に、映画の現場を退き、ブライダル関係の会社に就職しました。育休・産休が欲しかったし、私は夏は涼しく、冬は暖かいところで働ける仕事でなければもう続かない、と思っていたんです。正社員となって産休・育休をもらって仕事を続けましたが、ブライダルの仕事なので土日祝日稼働だったのが誤算でした。私の両親は毎日子供を見る体力はありませんし、仕事もしていたから、完全に預けられる状況ではありません。今はかつての先輩が起こした映像の制作部の会社で、事務職の正社員として定時で働いています。
仮に現場に託児所的なものがあったとしても復帰したいと思ったことは一度もありません。制作部の仕事はロケ場所を探して交渉することから始まって、現場の掃除からスタッフの食事やお茶や宿泊の準備、関係車両の出入りの管理や移動の案内、撮影中の人止め・車止め、全部署の機材の運搬の手伝いに至るまで、カメラのフレームの外側のありとあらゆることを整える仕事です。一番早く現場に入り、一番遅く帰ります。撮影が休みの日も、ロケ場所を探したり、さまざまな交渉や下準備で休めないことも多い。当時の私生活はゼロで、百パーセント仕事に賭けないと制作部の仕事は成立させられませんでした。仕事をしていると、家庭を全く顧みなくなるのが私は怖い。結婚してからも、気が張った状況で帰宅するので夫に「怖い」と言われていました。この仕事はキャリアの中断が難しいんです。ある程度実績を積んでから子供を産めば、人から復帰も望まれたり、遠隔で仕事できるスキルも身についているかもしれませんが、働き始めて二年目、三年目で妊娠すれば、復帰の保証はありません。私も下位の立場の頃は、「このまま子供を産むわけにいかない」と思い込んでいました。でも昇格し、年齢が上がるにつれて、「この仕事自体がもう無理」と思うようになってしまいました。
現場で託児ができても、気持ちを切り替えられる人とそうでない人がいると思います。女性の俳優がお子さんを帯同されていた現場に立ち会ったことがありましたが、出番になると彼女が支度部屋にお子さんを置いて、スッと現場に戻られるのを見て、「自分はそんなふうにはできない」と感じました。
また、現場に連れておいで、と言われても、赤ちゃんを塵や埃も舞う不衛生な現場に連れて行くことにまず抵抗感がありますし、泣き声も録音の妨げになるので気を使います。未就学児をスタッフ車両に乗せる時、チャイルドシートはどうするのか、早朝の満員電車に乗せて集合場所まで行くのか、泣いて「いや」と言い出したらどうするのか、などと思うと想像がつかないんです。
現場に保育用の車両を停めて、その中で見るような方法もあると思いますが、成立するのは〇歳から一歳までではないでしょうか。二歳を過ぎると外に出たがるようになります。子供は成長するごとに、ケアの仕方が変わってきます。子供が未就学児でいるのは六年間で、そこからが長いと思うんです。小学校に上がれば、勉強も見なければならないし、中学生になったからといって一ヶ月家に一人で留守番させるわけにもいかないと思います。だから現場に連れて行くことにこだわらず、自宅をベースにした育児の支援策もあればいいな、と思います。
一年前に、久々に制作部として現場を手伝うことがあり、その時、スタッフの男性の奥さんが妊娠されていたのですが、自宅で体調が悪くなり、動けなくなった。夫である男性スタッフは地方にいたので、近所に住んでいる私が自転車でお宅へ行って、息子さんを保育園に送り、奥さんにはタクシーで病院に行ってもらいました。自分もこうして誰かに頼ることができれば良かったと思いました。地域ごとに映画業界で働く人同士のコミュニティがあり、急に何かあったり、お迎えに行ってもらいたい時などに、サポートできればいいなと。全く子供と接したことのない人に預けるのは不安ですし、また、映画の仕事について知らない一般のお母さんには、この仕事のイレギュラーさをわかってもらうのが難しい。子供を持つスタッフ同士がつながって、現場で働く人を支える方法もあるのではないか、とも考えたりします。
私が現場を退いたのは、この業界の働かせ方の常識に対する反発であり、一種のボイコットだったとも言えると思います。だけどそれは残って働いている人たちには伝わりません。それが今、どこの現場でも人材確保がすごく難しくなってきて、ようやく方法を改めてでも人に働いてもらわなければいけないというところまで来たのかなとも思います。
40代助監督(女性)/子供11歳・10歳・4歳
現場での託児が充実したとしても、私も子供を現場には連れてこないと思います。撮影が終わってホテルに帰り、そばに子供がいると、「母」にならざるを得ず、精神的にしんどいんです。
一人目の時は、妊娠七ヶ月目まで映画の現場に呼ばれていまして、「しゃがめませんけど」なんて言いながら働いていました。出産した直後は将来のビジョンも何も立っていませんでしたが、生後八ヶ月の時に「一日二シーンだけの撮影なのでやってみないか」とドラマの仕事に誘われて一年ぶりに現場復帰しました。
保育園には入れられなかったので、預けられるところを探していましたら、地元に「二十二時までやってるよ」みたいな、民間のイングリッシュ・スクールのような……失礼ですが言葉も通じない、どこの国の方かもわからないような人が雑居ビルの部屋の中に、〇歳児から二歳児を三十人くらい詰め込んでるところがあったんです。でも月謝が十五万。「ここに十五万?」と思いましたが、他に選択肢はありません。保育園が預かってくれるのは早くても七時から。それだと現場には間に合わないんです。朝の子供の送りは、会社員の夫に任せました。
結局、三ヶ月間十五万円を払い続けて、「ここまでお金をかけました」という実績を作り、だから何とか入れてください、というのが効いて認可保育園に入ることができました。でも〇歳だから可能だった例であって、一歳や二歳を超えると、子供を入れたい会社員のママたちが増えるので、枠が埋まってきます。たまたまタイミングが良かったのと、私はお金を使った。でも、本当に何のためにそんな環境に子供を入れているのかわからなかったし、それ以外にシッターを雇うなんて考えられませんでした。うちは夫が会社員だから金銭的に可能でしたが、共働きでフリーランスだったらそんな選択はありえなかったと思います。
夫は出張も多いのですが、幸いにも私の両親は孫の面倒を見るのが大好きで、そのために会社を早期退職までしてしまったような人なんです。撮影期間は「どうぞあなたは仕事をしてきなさい」と言って地方から上京して我が家に滞在し、家事と育児を丸ごとやってくれました。私の場合はそんな奇跡的な状況があってのことなので、他の家庭でも同じことが再現可能とは思えず、「スタッフワークをしながらでも子育てができます!」とは言いづらいと思っています。
初めて子供を二ヶ月くらいの長期間預けて地方ロケに行ったのは、上の子たちが一歳、二歳の頃だったと思います。自分勝手かもしれませんが、撮影の最中は全く会わない方が仕事に専念できますし、心も平穏です。中途半端に帰ると子供も私もお互い耐えられなくなるんです。
けれども物心つくかつかないかという頃に、子供が私の顔を忘れるほどになり、「お母さん、次はいつ帰ってくるの」と言ったり、また仕事に戻ろうとすると激しく泣くようになりました。彼らにとって「仕事は母を奪うもの」という認識になっていくのを見て、もう少しそばにいられる方法を考えなければと思うようになりました。地方ロケは長くとも二~三週間までに限る、平日は原則リモート、現場や打ち合わせからも十六時以降は帰宅する、と自身の働き方にルールを設けるようになりました。十六時から二十時は仕事の連絡は受け付けない。子供が寝ついた後でメールの返信を始めます。
だけどそういう働き方の条件は給料の減額の口実にはされてしまいますよね。「あなたは土日休みますよね、お子さんのお迎えに行きますよね、だとしたらこのくらいですか?」ということで、新人並みに下がりました。こちらもそんな条件を飲んでいるわけですから、「子供のイベントがあれば私は行きますよ」と言う権利がある、と納得はしていますが。それでもスタッフ表の自分の名前の後に「(時短)」と書かれているのを見ると、切なくなりますよね。普通の会社なら十分フルタイムやわ、と。
映画業界の働き方改革は進みが鈍いですが、仮に現場の就労時間が一般の労働基準のように八時間までと決められれば、個人差はあれ、ある程度精神的に切り替えられるようにはなると思います。少なくとも、十六時間働いて帰宅した私は鬼の形相をしていたと思います。それが八時間で帰ってこられるならば、一緒にお風呂に入ったり、食事をしたりしているうちに少しずつでも日常を取り戻せると思います。仮に就労時間が短縮されたとしても、映画の現場は天候やらトラブルやらさまざまな要因で予定が立ちづらく、この日もやるかもしれない、やるかもしれない、の「予備日」の記載だらけで、この時間には絶対終了、ここは絶対休み、というルールもありません。でもそれだと、子供の有無にかかわらず、みんな人生設計が立たないんですよね。昔の友達と食事にも行けない、恋人とデートもできない。人間生活を送る上では「約束できること」って大事ですもんね。
二〇二四年からは、地元の市役所や民間企業と協力して、子育てと地域活性をつなぐ会社を作りました。映画・映像とは全く関係のない会社です。コロナ禍で現場の仕事がなくなって子育てにしっかり向き合ったことが大きかったです。それまでは私も、この種の仕事をしている人たちの悪い癖で、「好きなことをやってるんだから我慢しよう」とか「こういう働き方だから子供を見られなくても仕方ないのよね、応援してね」と、周りにも自分にも言い聞かせていましたが、仕事がなくなって子育てに集中すると、実は子育ても好きな仕事をすることと同等、それ以上に有意義で貴重な時間だったんだなと思えたんです。
40代撮影助手(女性)/子供7歳・2歳
フリーランスの撮影助手で、夫もフリーの同業者です。小学一年と二歳の子供がいますが、夫がベビーシッターや他の人に頼るのをあまり好まないので、夫の現場がない時に、数日で終わるテレビCMや、ドラマや映画でのピンポイントの応援部隊として仕事を引き受けています。撮影助手の二番手であるフォーカスプラー(ピントを合わせる専門の助手)をしていた当時に出産・育児で仕事を中断しているので、今もセカンド助手かサード助手として仕事をしています(筆者注:この女性のキャリア年数としてはチーフ助手やカメラマンに昇格していても不自然ではない)。私よりももっと頑張って、子育てをしながら調整をして映画の現場を続けている撮影部の女性もいるので、自分が話をするのはどうなのかな、と思いましたが、それでもいいと言われたのでお話しさせていただきます。
二〇一七年に一人目を産んだのですが、その頃の撮影部の女性で子供を産んだことのある人はほぼいなくて、カメラマンは概ね未婚。撮影全般がデジタル移行する以前のフィルム時代の女性スタッフは優秀な方が何人もいたんですが、みんな辞められました。でも私はどうしても辞めたくなくて、仕事を続けていたら、今では子供を産んでも続ける人がすごく増えてきました。大体みんなベビーシッターや自身の母親に来てもらっていますが、私は母が介護される側なので手伝ってもらうこともできません。だけど辞めたら終わりだな、と思ってなんとかやってきました。赤ちゃんの頃には機材チェックだけなら抱っこしながらできる。撮影前日に画角を決めるアングルチェックだけなら、抱っこ紐して授乳しながらレンズチェンジして乗りきれる。そして撮影の本番当日には、映像技術者の奥様がサポートしに来てくれてカポック(畳一畳分ほどの発泡スチロール製のレフ板)の上でオムツを替えながらやっていました。でも大きくなってくると喋るので、現場には連れて行けなくなります。そうするとやはり夫が休みの時でないと引き受けられない。夫が撮影前のロケハンだけの日は子供をそっちに連れて行ってもらって、私には撮影に行かせてほしいと頼んでみたりもしましたが、やはりだんだんやりくりできなくなってくるんです。
二〇二三年の日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞された安藤サクラさんが壇上で「私にとっては子育てと撮影は、今のところうまく(両立)できない」と言われたのを聞いて泣きました。女優さんが苦しんでいるんだから、私が苦しんでいるのもしょうがない。だから辞めないで、三ヶ月に一回しかチャンスはないかもしれないけど現場に行こう、と続けてきましたが、やっぱり交代できない。
最近は男性のカメラマンでも子育てのことを少しわかってくれている人もいるので、チーフ助手として二週間交代でやってみないか、とか、シフト制で子供のお迎えの時間に一度帰宅して、また現場に戻って来るのはどうだ、などと提案してくれるのですが、うちには他に見る人がいないんです。
私はいわゆる「保活」にも失敗しています。保育園に入れるためには、フリーランスの場合は一般の会社員の人よりさらに周到な準備や計画が必要だったんですが、その知識が欠けていたなと思います。十一月に入園申請を出す時に、会社員ならば就労証明書を出して、「育休・産休」の状況ならば働いている履歴がカウントされてポイントがつくんです。フリーランスの場合は、三ヶ月分の仕事のスケジュールとギャランティの証明を提出するんですが、産む前後の三、四ヶ月働いていないと、証明するものが何もなくて無職扱いになるんですね。それで、フリーの撮影部は一日でも二日でも無理して働いている子が多いんですが、私は吐き気が激しくて働けなかったんです。仕事を受けた場合はこういう働き方をするんですよ、といくら説明してもダメで、「そもそもお母さん、これ、いつ誰が迎えに来るの?」と言われ、二十二時まで預かってくれる保育園にも落ちました。同じフリーランスでも保育園に入れている人はたくさんいるので、自分自身の準備不足・努力不足だったのではと今も思ってしまいますが、結局そのままずるずる保育園に入れないままになり、今は幼稚園の認定こども園で、十七時まで預かってもらえるところに入れることになりました。だからカメラマンが「九時〜十四時勤務でやってみないか」と言ってくれるような良い条件の仕事以外は受けられないし、もう長編映画には戻れないな、というジレンマはあります。
この四年くらいで、子供のいる撮影助手の女性がすごく増えてきて、彼女らは映画の現場にもたくさん出ていますけれども、まだ子供さんたちは小学生未満です。だからみんなは今、保育園に預けて、おばあちゃんに迎えに行ってもらって家で見てもらって、というのができているんだと思います。それが小学校に上がると、宿題を親が全部見なくちゃいけないとか、行き渋りがあるとか、運動会や授業参観に行かないのはどうなのか、とも思ってしまいます。赤ちゃんの時の方が確かに働きやすかった。でも預けられる場所があるならば、やっぱり預けてでも私は現場に行きたかったです。
映画の撮影部は助手も含めて撮影監督協会に入っている人が多いですが、協会幹部のおじさんたちは何もわかっていません。皆さん子供はいても子育てはしたことがないから、「じゃあ撮影スタジオに場所作ってもらって、お前らみたいな暇な撮影助手がいるんだから他の人の子を見られるんじゃない?」とか言われるんですけど、撮影隊は何時に帰ってくるかわからないし、撮影助手は帰ってきてからも解散ではなく、機材の整備をして今日撮ったデータをチェックして、フィルムで撮っていれば書き物をして次の日の準備をして、というような時間もあります。カメラマンのおじいちゃまたちは全て助手たちに預けて帰っちゃいますが。
安藤サクラさんの発言を聞いた頃、どうしてもやりたい映画がありました。夫も同時期に映画をやっていましたが、これを越えたら私もキャリアアップできるからベビーシッターを雇ってでも一ヶ月やろうと思って調べたら、シッター代がギャラを超えたんです。深夜になるとまたプラス、宿泊だとまたプラス、小学校になると勉強を教えることも含まれてまたシッターの時間給が上がるんです。百万円を超えちゃって、それを夫に提案したら、「お前これ、何のために働くの?」と言われて。
結局それでキャリアが止まってしまいました。フォーカスプラーというのはずっとやってないと、やっぱりピントがうまく合わなくなるんですよ。だから今はギャラが下がってもいいから現場に出たくて、セカンド助手からサードに下がって出ています。機材のデジタル化が進んで、現場じゅうにケーブルを引かなくても映像は電波で飛ばせるし、撮影部の作業量も以前よりずいぶん減りましたが、でもケアは普通のサードよりはできるつもりではいます。だから、昔から一緒に仕事をしてきてカメラマンに昇格した人たちが、「コロナで助手が足りない」という時にはピンポイントで声をかけてくれて、こちらも夫が現場に入っていない時なら、というかたちで働かせてもらっています。仕事自体は、配信や深夜ドラマなどすごく数も種類も増えていて、現場の人手は足りていません。だから私のような状況の人にも声がかかる。人材は本当にやばいくらい足りていないんだと思います。
ですから、現場での託児もそうですけれど、やっぱり撮影時間の改善をしてもらえるといいなと思います。男性の撮影部でも奥さんに仕事を辞めさせられている人もいます。離婚するくらいならこの仕事を辞める、という選択。この業界で仕事をしたことのない奥さんには理解できないと思います。スケジュールに「休み」と書いてあるのに一体どこ行ってんの? と。妻が我慢できなくなると夫が離職するという選択肢も当然出てくる。だから撮影時間のルールの改善がもっと本格的に整えば、夫たちも働きやすいんですよ、ということを映画会社や団体の上層部の男性たちが理解できれば……と思いますが、なかなかですね。
ようやく、私生活も充実しなきゃ意味ないよね、という感覚になってきたようにも思います。「私生活なんかあるわけない」「ずっとカメラ触ってなきゃ」「いつでも焦点距離測ってなきゃ」と思ってきましたけど、今は撮休(撮影休日)なんだから遊ばなきゃ、カメラマンがその日にカメラテストしたいと言っても、「自分でやれよ」と言うくらいの感覚でいなきゃな、と思うようになりました。昔は、「もう一回サード助手に戻ってんの?」などと人から言われて傷つくこともありましたが、そんなプライドはどうでもいい、働ければいいんだ、と若い人を見ながら言えるようになりました。
*
知り合いがまたその知り合いを呼んでくる方式で不定期に寄り合いのような会を続け、中には何人か男性も来て、話をしてくれた。同じ境遇で同じ不安や苦労を経験してきた女性が集まると、ものすごい熱量になって、男性は(日頃から子育てに積極的な人でさえ)、借りてきた猫のように言葉少なになってしまうのだが、そんな中でも私には想像の及ばなかった事情を話してくれた人の言葉を紹介したい。
40代撮影部(男性)/子供6歳・2歳
六歳の長男に先天性の障害があり、いろんな支援が必要な中で妻も一般の会社で仕事を続け、僕も映画やドラマの現場でカメラマンをやっています。
まずは撮影部の仕事の変化からお話ししますが、撮影部は本来、俳優や監督と違って、不測の事態が起こった時に代わりが利くパートのはずでした。フィルムカメラで映画を撮っていた時代はカメラマン、助手のチーフ、セカンド、サードくらいの人数構成が通常でしたが、機材の軽量化や簡易化が進んだことで、充てられる予算額が下がり、小さな作品ではカメラマン+助手一人を呼ぶのが限界という現場も多くなりました。しかしどんな場合でもフォーカスプラー(セカンド助手が担当)は絶対必要なので、チーフ(露出や光量の計測を主に担当)よりもまずセカンドの助手から探していくのが常態化しています。でもそうすると、カメラマンの体調などに不測の事態が起きた時、チーフ級の経験値の助手ならなんとか代役も可能ですが、それが敵[かな]わない状況になってきています。
先日、僕が撮影当日の朝にコロナにかかったことが発覚し、二十五歳くらいのフォーカスプラーに「監督の言う通りに撮ってくれ」と指示してやってもらうしかない状況になってしまいました。どうしようかと慌てましたが、僕はフリーランサーでありつつも数年前からスタッフ・マネジメントの会社に所属するようになったので、マネージャーさんが同じ会社所属のカメラマンから空いている人を見つけて代理を頼んでくれました。しかし多くのスタッフはそのような場面で横のつながりがなく、孤立する傾向にあるのではと思います。
困った時に助けてもらえるシステムやつながりを持つことには苦労しがちな仕事でした。障害のある長男が今年の春に手術をしました。妻が付き添うので、その間、下の娘を僕が見ることになっていたんですが、同時期に撮影所内のスタジオで作品の仕上げのグレーディング(映像の色味調整)の作業が入り、その日はショートステイに預ける予定を組むことになりました。しかし直前になってステイ施設内で感染症が流行してしまい、預かりをキャンセルさせてほしいという連絡が来たんです。
しかしこちらの予定もグレーディング室の都合や納期の理由で変更できず、結局撮影所に二歳児を連れて行くことになりました。たまたま春休みで、同じ作品の衣装部さんが我が家の近所だったのでお子さんと一緒に来てもらい、僕が長時間、作業室にこもりっきりの間、プロデューサーたちとロビーでご飯を食べさせてもらったり、あやしてもらったりしながら夜まで乗り切りました。しかしこれもいろんな条件がたまたま合致してやりくりできたケースの一つだと思います。撮影期間中もそうですけど、映像作品は撮っただけでは完成しないので、仕上げの時用の託児所もあればいいな、と思います。
その時はただ状況にテンパってしまって、シッターを雇うとか、その代金をプロジェクト費で賄ってもらうように交渉しようという発想にはなりませんでした。お金が潤沢な映画でもないので、僕からもそういうことは言いづらかった。ここの会社とは二度とやらない、と思えるプロダクションならば強いことも言ってみるかもしれませんが、昔から付き合いのあるプロダクションだから、子供を見てくれるだけでもありがたいと感じていました。
カメラマンという立場は、スタッフの中ではかなり上位の位置付けだとは思いますが、それでも仕事をもらう側である立場上、子育てなどのプライベートな事情を持ち込んだり主張できる雰囲気はなかったと思います。テレビ局で岨手監督も撮られた三本の短編シリーズの一本の撮影を僕も担当したことがあり、僕と岨手さんの作品は九日間で撮ったんですが、残りの一本は十二日間の撮影だったと後から聞きました。なぜならば主演の女性俳優の方が子育て中で、時間制限を申し出て撮影期間を延長してもらったのだということでした。でも、だったら僕らの組でも十二日間もらえたんじゃないか? とも思いました。主演の俳優が発する言葉と、スタッフの立場の発言力に差があるのはある程度仕方がないと思いますが、それがモデルケースになってスタッフからも同様の主張ができていくと良いのではないかと思います。
実は正直、僕も子供が生まれる前は「子育ては奥さんに任せればいいや」と思っていたところがあったんです。でも彼女も仕事をしていますし、どう考えても不公平だろうと思うようになりました。障害があると、医療的ケアが必要で、通常のお子さんよりも少しケアが多くなります。深夜に起こされることもあって、脚本を読む時間が作れなかったりします。家の中で一人で作品について考えたり準備したりする時間が持ちづらく、他のスタッフたちについていけていないな、と思うことが多くなりました。子供のいる人たちはみんな、時間を作るにはどうしているんだろうと思うけど、男性のスタッフ同士で子育てや家庭内の悩みについて具体的に話し合ったり情報交換する機会というのは、これまでとても少なかった。この仕事をする人間は映画のこと、作品のことに全てをかけて、集中するべきなんだという共通意識があるような気がして、そういうことを喋っていいと思えずにきた気がします。
*
若い頃から厳しい環境で研鑽して技能を身につけてきたにもかかわらず、子供ができて退いた人や、できた後もやりくりしながら仕事を続けている人、今後仕事を続けながらできれば子供も欲しいが不安だという人などが多くの話を聞かせてくれたが、どの話もその立場の人の角度からしかわからない苦労があり、また同時に子供のいない私のような人間でも、どの苦労も身に染みるように切実に感じられた。「子供を育てる」という人の営みとしてきわめて自然で重要な選択が(子供を諦めた人々の選択も含め)、映像を作る人々の各人生・各家庭の裏側にあることを知りながら、なきことのようにしながら作品が作り続けられてきたことに異様さを感じもする。
しかし、なかなか容易には解決策の見えない証言や実像が明らかになる一方で、できる方法で支援を始めたいという人たちも集まってきた。新たな試みに乗り出した二人の女性が現れた。
映像専門のベビーシッター会社を立ち上げた小夏菜々子さん・濱いつかさん
映像専門のベビーシッター会社を立ち上げた小夏菜々子さん・濱[はま]いつかさん
私たちは二人とも、それぞれ芸能事務所で俳優のマネージャーとして約十年間仕事をしていました。女性の俳優を担当してきて、また私たち自身も女性の視点から俳優やマネージャーやスタッフを近くで見ている中で、子供を産んだ人たちが仕事を辞めず、安心して復帰できる仕組みがあれば、と思うようになりました。たまたま仕事で一緒になったことから仲良くなって、「じゃあ現場のことをわかっているし、私たちが自分で会社を立ち上げたらいいんじゃないか」と意気投合したんです。濱はもともと幼稚園教諭一種免許、保育士資格、小学校教諭一種免許を持っており、小夏はこの会社を立ち上げる前にベビーシッター資格を取得しました。
最初は、俳優やマネージャーに委託されて、自宅でシッターをすることから始めました。
たとえば、映画の舞台挨拶などのイベントは夜に行われることが多いので、夕方保育園に迎えに行ってから寝かしつけまで頼みたいとか、撮影中なら朝から晩まで全て家の中で見てほしいとか、あるいは保育園の送り迎えだけお願いしたい、など要望もさまざまです。通常は、朝と夜でシッターを頼むと、別会社からの派遣になることもあります。さらに深夜だと業務時間外になってしまうので、一般のシッター会社がカバーしきれないところを助けていきたいと思っています。
脚本や撮影用のスケジュール表を解読して対策方法を練る力があるのが、私たちの武器でもあります。撮影スケジュールは一般の人には暗号のようですが、私たちは一目見れば、その日にどんな撮影が行われて、終了時間の見通しが立つのか、深夜に及ぶのかなどもわかります。ですから事前にスケジュールを見ながら、依頼者と「ここにこんなサポートが必要だね」という打ち合わせをして、現場近くで見るか、家で見るかは希望に沿いながらプランニングしていければと思っています。
長期間・長時間のシッター代が個人負担だと高額になってくることについては、企業ともディスカッションをしています。業界が今後も続いていくために、みんなで助け合っていこうという精神のもと、作品を製作・配給する会社が製作費に子育て支援予算を加算するような考え方が広まれば、個人負担も減ります。そうでないと、働いてくれる人はどんどん少なくなっていきますよね。
でも、全体的にはこのような取り組みを前向きに受け止めてくれるプロデューサーや企業も多い印象です。もちろん子供がいる方が多いですが、男性・女性問わず、今、変わっていかなきゃいけないよね、という風向きは感じます。
ネットフリックスなど外資の映像配信大手は、本国アメリカの基準にならわれるので、子役一人一人に教育係のチューターやカウンセラーをつけたり、働き手の育児ケアに関しても先進的かつ協力的です。契約者数が伸び、業績好調で多くのお金を投じることが許されているからこそですが、スタッフも労働条件がより良い仕事に自然と流れていくものなので、日本のテレビ局や映画業界にも、その意識は共有されていくといいなと思います。シッター代の半分でも負担してくれたり、「何時間までは保証しますよ」という会社が増えるように私たちも働きかけていきたいなと。
最初は自宅でのシッターから始まりましたが、その後テレビドラマのスタジオに託児所を設置したり、映画の現場にも一本丸ごと帯同して、照明助手の三歳のお子さんを現場で預かる機会を持ったりしました。
親御さんやお子さんによって、ケアの希望は異なりますが、後者の照明スタッフの場合は、自宅に立ち入られるよりも現場の近くで見てもらう方が良いという希望でしたので、ロケ現場近くに託児スペースを確保してもらって保育用マットやお布団やおもちゃなどの備品をセッティングし、ロケ地の移動がある時は、現場で空いている車両を借りてお子さんを乗せて移動しました。
撮影の仕事は長時間に渡りますが、現場のお母さんの近くにいられるタイミングや、距離をとった方が良いタイミングは、マネージャー経験から見計らいます。本番中は遠くで待機しますが、長くかかる照明のセッティング準備の時間には近くに連れて行くと、お子さん自らお母さんの足元で小さな軍手をしてお手伝いをしてくれるのを見て、現場が和むこともありました。
全ての人が子供好きなわけではありませんし、現場に子供を帯同させることについて、もう少し風当たりがきついかとも思いましたが、今回はクランクイン前の全体ミーティングで私たちを一つの部署としてご紹介いただき、現場でも優しく受け入れてもらえました。スタッフの人たちがセットの空きスペースで一緒に遊んでくださったり、子供がいるんだから無駄を省いて早く終わらせようとか、作業の効率化やスピードアップの意識にもつながったようです。子供がいる人もスタッフの中にいるんだ、という現実が全世代に可視化されることのインパクトは大きいと思います。
でも、やはり深夜に及ぶ撮影には、別室で預かっても小さな子供には限界があることもわかりました。お母さんと会えない時間が長くなりすぎることのストレスもあると思うんです。ですから、夜間撮影がある時には、お母さんは夕方で切り上げて帰って、それ以後は別の照明部の応援スタッフに来てもらえるようにシフトしたので、そのような追加人件費も加わることになりました。
私たちも今は社員二人だけで、かつ自身は子供もいないので、現場に合わせてサポートさせてもらっていますが、今後もっと多くの現場で活用してもらうためにも、人員を増やして、自ら託児スペースを確保したり、専用車両での送迎をすることまで業務を広げたいと思っています。保育士資格やベビーシッターの資格は後からでも取得できますが、現場の知識がある人は貴重な人材なので、映像の仕事を退いた人の中で、子供が好きだという方や、自身の子育ての経験を生かしながら、可能な時間帯で現場のサポートをしたいという方にも、ぜひ仲間になっていただきたいとも思います。
*
子供がいても、子供がいなくても、みんな焦燥と孤独を抱えている。これで良いのか、これで良かったのか、なんでこんなことになってしまったのか──誰にも話せず、話したら何かが途切れ、何かに見放されてしまうような気持ちに駆られながら、黙々と筆を執ったり、図面を描いたり、機材を積んだり、アイロンをかけたり、ハンドルを握ったり、ファインダーをのぞいたり、お弁当を運んだりしてきた。私にしても、これまで自分のような者が、子育ての当事者の話題や悩みに首を突っ込むのはお門違いな気もしていた。知恵も経験もない自分たちは、おそらく助けにはならないし、信頼もされないだろう。母親になった女性たちと同性でありながら、戦力でも仲間でもないことを実感することは、少なからず苦しい。こんな話はできない、と怯えながら耐える父親や母親がいて、そんな話を聞く資格もない、と目をふせる男や女がいて、その間には目に見えない溝があったようにも思う。
けれど言葉にしてみれば全てはとても素朴で、誰かに踏みつけにされたり、軽んじられたりするような話ではないのだということがわかる。集まった人のほとんどが、「自分に何かできることがあれば」という言葉を口にした。
しかしどこの現場でも、どんな映像ジャンルの領域でも、おそらく、同時多発的に人々は口を開きはじめ、その言葉を聞いた人たちが何かを変えていこうとする流れは起こりつつあるのだろう。今回、話を紹介させてもらった人々に、この原稿への掲載のゆるしを確認していたところ、先述の四十代のカメラマン男性からは以下のような返事があった。
「掲載の件、断る理由などございません。むしろ光栄です。僕の近況としては、来年、障害のある息子が医療ケアサービスのある小学校に入学するのですが、しばらくは親がどちらか付き添いで登校しなければならないので、三月から四月にかけて引き受けた仕事を三月いっぱいで別のカメラマンにバトンタッチせざるを得なくなってしまいました。プロデューサーや監督は快くオーケーしてくださり、業界も変わりつつあるのかなぁ、などと思いつつ、ギャラの話や、スケジュール、ひいては日本という国の制度自体に物申したいことはまだまだ少なくないなと考える毎日です。でも、不満や愚痴ばかりではなく、僕が会に参加させていただいてから多少月日が経って、いろんな方々の働きかけのおかげもあり、業界全体に前向きな雰囲気を感じている部分もあります。先日までやっていた現場では同世代の男性で子供の年齢が近い方も多かったので、男同士で、また同じ境遇の女性も交えて、子育てとこの仕事の両立について笑い話を交えながらフランクに話せて楽しかったです。また、妻が体調を崩した際には、キャストの方々、監督、プロデューサーが、現場は任せて早く家に帰って子供の面倒を見てあげてと送り出してくれて本当に助かりました。そういう意味では現場も徐々に変わりつつあるなと感じてもいます」
もう十年以上前になるが、私はこのカメラマンがセカンド助手を務めていた頃、一緒に映画を作ったことがある。当時の彼はフィルム時代からの映画の撮影助手の典型とも言えるような寡黙・勤勉・几帳面な働きぶりだった。カメラのピントを扱うという、最も繊細な技術を求められる役割を担っていたこともあり、現場では常に張り詰めた様子で、撮影の合間の談笑の最中ですら、その横顔から緊張感が消えることはなかったように思う。一作品の中で、ほんの一度か二度のことだったが、芝居に私がカットをかけてOKを出した直後、一瞬ピントがズレた可能性があると自ら申告し、「すみません、もう一度やらせてください」と願い出た時の、彼の苦しげな表情を忘れられない。誰もが失敗をする。私の判断ミスなどしょっちゅうだし、もうワンテイク撮らせてもらえるならば、編集素材が増えてありがたいくらいだ。しかし一人一人のスタッフが背負う職能への責任感と重圧は、これほどなのかと胸が締め付けられたものだった。
その後結婚、出産、育児、カメラマンへの昇格、とさまざまなことを経てからの再会だったが、私はこんなに多くの言葉──撮影にかかわらない、人間としての言葉を彼から聞いたのは初めてのことだった。そして生真面目な助手時代とも異なる、緩やかな優しさを感じたりもした。
私が子育てのことに首を突っ込むとはね……と自分でも驚きだが、ひたすらに映画を作るばかりでは得られなかった出会いや再会もある。また別の変化を見ることがあれば、筆を執ってみたいと思う。
〈「STORY BOX」2025年3月号より〉
※次回は9月19日公開予定です。
西川美和(にしかわ・みわ)
1974年広島県生まれ。映画監督。2002年、『蛇イチゴ』で脚本・監督デビュー。主な作品に『ゆれる』『ディア・ドクター』『すばらしき世界』など。小説に『ゆれる』『永い言い訳』、エッセイに『スクリーンが待っている』『ハコウマに乗って』などの著書がある。映画『わたしの知らない子どもたち』は、第51回トロント国際映画祭のプラットフォーム部門に正式出品が決定。最新刊は同名の原案小説。
原案・脚本・監督:西川美和
10月16日(金)全国公開
©︎2026 K2 Pictures・AOI Pro.
公式サイトはこちら







