ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第30回
大概、出版社か、担当編集者に対してである。
ここでは、漫画家などと名乗っているが、実態は無職、そして本業はエゴサーチャーである。
一日68時間ツイッターに張りつくというブラック勤務を自らに課しており、もはや「住んでいる」と言っても過言ではないのだが、そうするとツイッターの変化にも敏感になる。
私だけでなく、多くの人が感じている通り、最近のツイッターは「殺伐として疲れる」のである。
だがそう感じるのは、そもそも「ツイッター見すぎ」な奴であり、ツイッターを見る時間を減らしさえすれば、その疲れは大体取れると思うのだが、それはツイクソにとって住居を奪われるに等しく「外で寝ろ」と言うぐらいの非情である。
殺伐としている原因の1つは「怒っている人が多い」というのがある。
昔に比べ、ツイッターは問題を提起する場になり、それに同調してまた怒る人が増えるという傾向になりつつある気はする。
しかし、今まで、誰にも聞く耳もたれず、仲間もおらず、黙るしかなかった人がツイッターという最強の内弁慶ツールを使って、自分の思いを外に出し、仲間を得ることが出来るようになったというなら、この殺伐化も一概に悪いこととは言えない。
よって怒っている人に「おいおい、それよりおキャット様のキソタマ画像でも見ようぜ」と言ってはいけない。「だったら俺はおキャット様のキソタマ画像を見させてもらうぜ」と言うのが正しい。
ちなみに、漫画家もツイッターで怒る側、つまり告発側になることはある。
何に怒っているかというと、大概、出版社などのクライアント、そして担当編集である。
漫画家と担当のバトルと言えば、締め切りを守る、守らない、が真っ先に思い浮かぶかもしれない。
それはもはや争いの内に入らない、サザエさんがカツオを追いかけて八つ裂きにするぐらい牧歌的な話である。
作品の内容で揉めることもある。私は大体連載3回目ぐらいで担当が諦めるのであまり揉めたことがない。
むしろ、揉めるのは担当がまだ諦めてないとも言える。
ただし、無断でセリフを変えられた、本誌を見たら「8ページ減らされていた」というのは、でかい戦になりかねない。
だが、漫画制作過程での揉め事というのは「戦場で死ぬのは当たり前」みたいな話なので、漫画家もあまりに横暴でなければイチイチ言わない。
編集者の意見に逆らって売れたら「そこで、俺は言ってやったんすよ」と武勇伝っぽく語るだけである。もちろんツイッターでだ。
当然、売れなかったら黙っているし、編集の言う通りにして売れても黙っている。