ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第37回
切り離せない。
連載の延命に成功する例もある。
前回「コロナウィルスの影響(という設定)で連載が打ち切りになりそうだ」と書いたが、その後、急展開があり単行本の重版が決まったので少なくとも1巻分は連載を延命できることになった。
そこまで急展開ではなく、ほとんど死んでいるジジイに謎の管を30本ほど繋いで「生きている」ということにしている状態だが、それでも2巻で終わるのと3巻で終わるのでは最終回の雑さが違う。
何故、復活できたかというと、まず次巻終了というお達しに対し不死鳥のごとくゴネたからだ。
終われという申し出に「りょ」と言えば、当然これ以上なく終わる。
もちろん、今まで終了のお知らせすべてに猛然とゴネてきたわけではない。
むしろ編集が打ち切りと言い出す前にこっちも「終了の風」を五感の全てで感じていたため「だよね」と終わるケースが大半だ。
しかし今回は本が売れていなくても何せ「コロナウィルス」というどうにもならないものの影響があったので、「もう少しこう何というか、手心というか…」と牛股権左衛門の顔でいたため「逆にいつもよりスピーディに切られる」という展開にまずびっくりした。
確かに何のせいだろうが数字が出ていないのは事実なので、数字から終了という判断になるのは理解できるが、それでも「腑に落ちぬ」という気持ちがぬぐえない。
内臓に落ちるどころか上流に向かってしまい両鼻にピスタチオが詰まっているような感覚なのだ。
当然「こういう状況で切られるのは納得いかん」と言うのだが、正直「作者の説得」というのは栗山千明様にする命乞いぐらい無意味だ。
相手も商売なので「まだ続きが描きたいんです」という作者の情熱により判断が覆るということはない。
説得するとしたら、一番良いのは「今から俺が5000冊買う」と言うことである。
逆に5000冊買えば何とかなってしまうところに哀愁を感じるが、そのぐらい本の部数というのは渋くなっているのだ。
ともかく、続けることが御社のメリットになる、ということを具体的に示せなければ、ほぼ決定が覆ることはない。
ただ、終了を決めるのは担当編集というわけではない。
もし担当の一存だったら、首を刎ねれば解決であるが、大体担当の首を刎ねても何ともならない。
もちろん「担当の首を刎ねたい」という動機なら刎ねる意味は大いにある。しかし連載の継続のためには特にお勧めしない。
つまり、担当も終わらせたくないけど上の判断で仕方なく、という場合は両鼻ピスタチオで「マダガスカル」と言えば、担当も数字で判断が覆るよう販促に動いてくれる場合もある。
しかし担当も「終わった方がいい」という判断な場合も多いので、その時は連載にとってプラスとかマイナスとか考えず気持ちの問題で素直に首を刎ねてやればよい。