新庄 耕『夏が破れる』

新庄 耕『夏が破れる』

詮ない抵抗の末に


 あとがきでも少し触れたようにこの『夏が破れる』は、当初の構想では、清涼飲料水のコマーシャルフィルムのごとき爽やかな青春群像劇をイメージしていた。にもかかわらず、終わってみれば、青春とは真逆のサスペンススリラーに様変わりしていたのはどういうわけだろう。

 連載中は、物語の風呂敷をたたむのに精一杯で作品を俯瞰する余裕など微塵もなかった。一方で、物語をすすめながら主人公の内面に心を馳せたりしていると、主人公と同じ年齢となる私自身の十五歳について、特に自覚もないまま回想することが少なくなかったのをおぼえている。

 私が十五歳頃のときは、エアマックス狩りが横行したり、神戸連続児童殺傷事件が世間を賑わしたりしていて、マスメディアから「キレる」世代などと問題視されていた。当時私の通っていた中学校でも、そうした社会の風潮に感化されるかのように、変形制服、腰穿き、ルーズソックス、ミニスカート、ピアス、染髪、化粧、いじめ、不登校、喧嘩、喫煙、飲酒、万引き、恐喝、ひったくり、窃盗、不純異性交遊、援助交際、バイクや車の無免許運転と、一部の生徒に限るとは言え、今日の姿からは考えられないほどに風紀が乱れていた。校内の人間関係は封建的で、教師の体罰も平然と残っていたが、その息苦しさに耐えかねて外に意識をむけたくとも、スマートフォンどころかインターネットもまだ普及しておらず、外見の派手さとは裏腹になにか全体に閉塞感がただよっていた気がする。

 私はといえば、そうした環境に染まることに違和感をおぼえつつ、といってまったく無縁でいることもできず、なにをしても中途半端なまま卑屈な自己を囲っていた。いま思えば、周囲の顔色をうかがいながらじっと息をひそめることが、誰かの餌食にならぬための自分なりの生存戦略だったのかと思う。しかしその代償は小さくなかった。惰性のように過ごした以後の十代は輪をかけて暗澹なものとなったし、いま思い返せる十五歳の記憶はのっぺりとした灰色で塗りつぶされたものしか残されていない。だとしたら、私が、ついぞ経験できなかった爽やかな青春群像劇に過剰な憧憬の念をいだくのも、そしてそれが作品として実を結ぶことなく、記憶に引きずられるようにして仄暗いサスペンススリラーとなってしまったのも、当然といえば当然の流れなのだろう。

 執筆に疲れて灰色の思い出にひたっていたとき、それが無駄だと頭では理解しながら、決まって最後は、そこになにがしか色鮮やかな光輝の断片が落ちていないか探すのが常だった。もしかしたら私は、この『夏が破れる』を通じて、ただ暗く陰鬱な私の青春という路傍の石を、どうにかして光らせようと詮ない抵抗を試みていたのかもしれない。

 


新庄 耕(しんじょう・こう)
京都府京都市出身、慶應義塾大学環境情報学部卒業。東京在住。2012年「狭小邸宅」で第36回すばる文学賞を受賞しデビュー。『地面師たち』は2020年の第23回大藪春彦賞にノミネートされるなど、大きな話題を呼んだ。他の著書に『ニューカルマ』『サーラレーオ』などがある。

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