思い出の味 ◈ 村山由佳
竹のざるに洗い上げられた半透明の米粒が、夕暮れの陽を受けてぴかりと光っていたのを思い出す。
昭和四十年代後半、電気炊飯器は我が家にもあったのだけれど、母には何かが不満だったらしい。いつしか、使い込んだ重たい羽釜を現場復帰させた。
小学生の私をそばへ呼び、手首のくるぶしで量る水加減を教えこむ。借家の狭い庭の片隅に、父が一斗缶をくりぬいて作った竈を据え、下から薪をくべる。
「初めトロトロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな、て言うねんで。覚えときや」
吹きこぼれがおさまり、釜の外側についた〈おネバ〉が乾き、やがて耳を澄ませても中から何の音もしなくなったら炊き上がったしるしだ。このころにはもう、庭の植え込みは夕闇に沈んでいる。
しばらく蒸らしてから羽釜を濡れ縁へと運ぶ。重たい木蓋を開けるといっぺんに独特の香りと湯気が上がって、覗きこむ母と私の頬をしっとり湿らせる。ぴん、と粒が並んで立った表面の白さは、杓文字を差し入れるのにたじろぐほどだ。つやつやの御飯をすくっては、銅のたががはまった椹のお櫃に移し替える。
そうして母はいつも、羽釜の底に残ったおこげをこそげ取り、手塩をしてきゅっと小さく握ると私に差しだした。ほんの二口ほどの、熱々のおにぎり。夜のとば口にある庭先で頬張るそれは、しょっぱいのに甘く香ばしく、口の中ではらりとほどけて、お茶碗によそわれた御飯とは別もののどこか危うい味がした。
たったいま上機嫌でもいつ豹変するかわからない、荒ぶる神のようだった母。褒められたくて顔色ばかり窺っていた日々。すでに彼岸へと見送った今もなお、思い出すたび苦しくなる記憶の中から時折、〈美味しい〉とか〈愉しい〉思い出がよみがえると、懐かしさよりも狼狽のほうが先に立つ。思えばあのころの母は、今の私より十も若かったのだ。
我が家には炊飯器がない。御飯は、ガスだけれど羽釜か土鍋で炊く。かがんで火加減を見るたび、耳もとに声がする。
「初めトロトロ、中パッパ、赤子泣いても……」