源氏物語など…古典から学ぶ、エロのあはれ。

私たちが古文の授業で習っていた古典文学は、実は「エロネタの宝庫」だったということはご存知ですか?猟奇的なエロからツッコミどころ満載の変態エピソードまで、奥深い「エロ古典文学」の世界をご紹介!

「古典文学」といえば、「高校生の時に授業で読んだけど、別に面白くなかった」と苦手意識を持つ方も多いのではないでしょうか。確かに、ややこしい古文単語を必死に覚え、考え方も価値観も異なる時代の文章をなんとなく読んでいるだけではイメージが掴めません。

しかし、そんな日本の古典文学は実はエロの宝庫。驚くべきことに、現代まで読み継がれてきた古典文学の多くには、教科書には本来とても載せられないような刺激的な内容が、ぎっしり詰まっているのです。今回はそんな「実はエロの宝庫だった」古典文学から、複数のエピソードを抜粋し、ご紹介します。

 

はっきりと描写しないことで、読者に女性の容姿や行為そのものを想像させる『源氏物語』。

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誰もが高校の授業で一度は読んだであろう、『源氏物語』

全54帖に及ぶ『源氏物語』を一言で表すと、美貌と才能に恵まれた主人公、光源氏が複数人の女性と関係を持ちながら出世していく物語です。

そんな『源氏物語』の大きな特徴は、直接には性的な描写をしていない点にあります。それどころか、登場人物のほとんどは、はっきりとした身体描写すらもされていません。だからこそ、限定された情報を通じて読者に女性の体つきから行為そのものまでを想像させるエロさが生じているのです。

しかし、第三帖にあたる「空蝉」うつせみには、女性の容姿についてはっきりと描写がされています。一夜を共にしながらも、光源氏につれない態度をとる女性、空蝉。思いを募らせた光源氏は、義理の娘である軒端萩のきばのおぎと碁を打つ空蝉の姿を垣間見ます。

白きうすもの単襲ひとえがさね二藍ふたあいの、小袿こうちきだつものないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ、口つきいと愛敬づき、はなやかなる容貌なり。

<現代語訳>
白い薄衣の単衣襲に淡い藍色の小袿のようなものを引きかけて、紅い袴の結び目のところまで着物の襟をはだけさせていたため、胸が丸見えだった。はっきり言ってしまえば、かなり行儀は良くない。とても色白であり、ふっくらとした体型で頭の形と顔つきは美しい。目つきや口元には愛嬌があり、派手な顔といえる。

初めて姿を目にした軒端萩について光源氏は生々しいまでに描写する一方で、肝心の空蝉は「どちらかといえば醜い方の顔」と控えめです。ここから見えてくるのは、「本当に抱きたい女性であればあるほど描写が少なく、逆にそれほど興味がない女性は描写が多い」ということでしょう。しかし、空蝉の場合は「とにかく関係を持ちたい!それも今すぐ!」という光源氏の思いが先走った結果、まじまじと見るよりも先に行為に及んでいるのです。

たくましい想像を誘うような描写があれば、生々しい身体描写もあり……どちらに転んでもエロ展開になる『源氏物語』を高校の授業で題材にしていた点は、何よりも驚きですね。

 

『日本霊異記』から見える、ファンタジー/オカルト、エロ/グロの合わせ技。

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日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』にほんりょういき。説話集と聞くと説教くさいものばかりだと思われるかもしれませんが、実際に読んでみると、どこか現代のファンタジーやオカルト作品にも似たそのストーリー展開に驚くことでしょう。自分の行いはやがて自分に返るという「因果応報」の理が中心となっている『日本霊異記』は、転生をめぐる人知を超えた展開がふんだんに盛り込まれているため、「異世界転生もの」がジャンルとして隆盛している現代のラノベやアニメに親しんだ読者であれば、抵抗感なく読めること間違いなしです。

なかでも、中巻、第三十三話の「女人の悪鬼にけがされて食噉くらはれし縁」は、生々しいまでの性的な描写とグロテスクな描写が特徴です。

容姿に恵まれた万子よろずのこは、裕福な家の一人娘。あらゆる結婚の申し出を断り続けていた万子は、“生娘”でもありました。

しかしある日、車三台分に渡る美しい絹布の贈り物をしてきた男に万子は強い魅力を感じます。その男と万子はついに結婚し、同衾どうきんを許した夜、事件は起こります。

其の夜閨の内に、こえ有りて言はく、「痛や」といふこと三遍みたびなり。父母聞きて、相談かたらひて曰はく、「未だならはずして痛むなり」といひて、忍びて猶しぬ。明くる日晩く起き、家母戸を叩きて、驚かし喚べども答へず。怪しびて開きみれば、唯頭と一つの指とを遺し、自余皆噉ほかみなくらはる。

<現代語訳>
その夜、寝室の中から「痛い!痛い!」という叫びが三度ほど聞こえた。両親はこの叫びを聞いたものの、「まだ慣れていないから、痛いんだろう」と話し合って納得したためにそのまま寝入ってしまった。翌日、いつまで経っても娘夫婦が起きてこないので、母が寝室の戸を叩いて起こしたが、返事が返ってこない。不審に思って戸を開けてみると、そこには娘の頭部と一本の指だけがぽつんと残っている。その他の部分は食べられ、跡形もない。

なんとも猟奇的なエロ描写。両親が寝室に入る頃には、万子に贈られた絹布は獣の骨に、車はただの木に変わり果てていました。ある者はこれを「神が起こした出来事だ」と言い、別の者は「鬼が食ったんだ」と言います。それに対して「よくよく考えてみれば、やはり前世の仇だったのでしょう」、と締めくくるのがこのエピソードの「オチ」に相当する部分です。

娘の悲鳴を適当に聞き流し、眠ってしまった両親。それから母が翌日見た光景は凄惨たるものでした。それにしても、「唯頭と一つの指とを遺し、自余皆噉はる。」という状況説明はかなりグロテスクですが、両親が「未だ効はずして痛むなり」と決めつけた理由は、なんだか生々しい想像を誘いますよね。

 

神の象徴である蛇がもたらすものとは。『今昔物語集』

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大半の物語が「今は昔……」という書き出しで始まることからその名がついた『今昔物語集』。この説話集にはどこかエロチックな「蛇」が登場する説話が複数収められています。

例えば第二十九巻、第四十話「蛇僧の昼寝のまらを見て呑みいんを受けて死ぬる事」は、尊い存在の僧が卑しい蛇によって酷い目に遭う話です。

ある高僧のもとに仕えている若い僧は、妻子ある身でした。夏の昼間、部屋の隅でぐっすりと眠り込んでいた僧はある夢を見ます。

く寝入にけるに、驚かす人も無かりければ、久く寝たりける夢に、美き女の若きが傍に来たると臥して、吉々よくよとつぎて婬をぎょうじつ、と見て、急と驚き覚たるに、傍を見れば、五尺ばかりの蛇有り。おびえてかさと起て見れば、蛇死て口を開て有り。奇異く恐しくて、我が前を見れば、婬を行じて湿たり。「然は、我れは寝たりつるに美き女ととつぐと見つるは、此の蛇と婚けるか」と思ふに、物も思えず恐しくて、蛇の開たる口を見れば、婬、口に有て吐出したり。

<現代語訳>
夢で僧は傍に寄り添ってきた若く美しい女と添い寝し、性行為に及んで射精した。はっと目が覚めた僧の傍には、およそ5尺(150センチメートル)もある蛇が口を開けたまま死んでいた。驚き呆れながら僧は自分をよく見ると、性行為を終えた後のように湿り気をおびているではないか。「さては、美しい女と交わった夢を見たつもりでいたが、実はこの蛇と交わっていたということか」と思うと、言いようもないほど恐ろしい。蛇の開いた口からは、精液が溢れ出していた。

自分に起こった出来事を恐ろしく思った僧は「このことを誰かに話すべきか」と思い悩むものの、「あいつは蛇と交わった僧だ」と後ろ指をさされるかもしれない、と冷静になるのでした。とはいえあまりに奇怪であったため、特別親しい間柄だった僧に話して聞かせたところ、聞いた相手も大層驚きます。

然れば、人離れたらむ所にて、独り昼寝は為べからず。然れども此の僧、其の後別の事無かりけり。「畜生は人の婬を受けつければ、否堪へで必ず死ぬ」と云ふは実也けり。僧も憶病に、暫は病付たる様にてぞ有ける。此の事は、其の語り聞せける僧の語けるを聞たる者の、此く語り伝へたるとや。

<現代語訳>
このようなことだから、人気のないところで昼寝なんかするものじゃない。「畜生は人間の精液を飲むと、堪えきれずに必ず死ぬ」というのは、事実だったのだ。僧はこの後、特に命に別条はなかったものの、神経を病んでしばらくは病人のようだった。このことは本人より打ち明けられた僧の話を聞いた人によって語り継がれている。

目が覚めてみれば隣で150センチメートルほどの蛇が死んでいた、更に蛇の口から精液が流れ出ているという状況はかなり衝撃的です。それにしても、特別親しかった友人が広めた結果、こんな話が今に語り継がれているなんて、本当に隠すべき話は墓まで持っていくべきだと分かりますね。

この他にも『今昔物語』には「蛇に欲情された女性を男が助ける話」、「蛇に犯されて一度は薬で助かるものの、前世の因縁だから仕方ないと二度目は諦められる話」などがあります。

奈良県の大神おおみわ神社など、日本の一部の神社は蛇を神格化して祀っています。それは大河を思わせる姿から水を、男根を思わせる姿から豊穣をもたらすとされていたためです。こういった背景を知っていると、仏教説話集である『今昔物語集』に蛇が多く登場することも納得できますね。

 

あの芥川も作品のモチーフに使った『宇治拾遺物語』。天下無敵のモテ男を待ち受けていた、まさかの結末。

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芥川龍之介は『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』を短編小説の題材として取り入れていたことで知られています。その短編小説といえば「鼻」や「芋粥」が有名ですが、「好色」という作品の元となった「平貞文、本院侍従の事」(『宇治拾遺物語』巻三十の一)、「平定文本院の侍従に仮借する物語」(『今昔物語集』巻三の十八)はもはや「エロ」というより、「狂気」に満ちている迷作として知られています。

この話の主人公、兵衛佐平定文ひょうえのすけたいらのさだふみは通称を平中といい、見た目も美しく、教養もある人物でした。そんな平中に言い寄る女性は多いなか、若い女房の侍従君じじゅうのきみは平中になびきません。やがて平中は侍従の家にまで押しかけますが、冷たくあしらわれるばかり。「もういっその事、嫌いになってしまいたい」と思った平中はとんでもない行動に出ます。

「この人かくめでたくをかしくとも、箱にし入れらむ物は我等と同じやうにこそあらめ、それをかいすさびなどして見てば、思ひ疎まれなむ」

<現代語訳>
どんなに素晴らしく、また美しい人でも、さすがに我々と同じように糞尿はするものだ。便器を奪い取って見てみれば、さすがに嫌になるに違いない。

いくら嫌いになりたいとはいえ、平中の発想は常軌を逸しています。やがて平中は便器を洗いに行く役割の女童から便器を力づくで奪い取ります。いよいよ便器の蓋に手をかけた平中。この場面以降、芥川の「好色」では平中の心境や台詞が多く、元ネタを超える勢いが加わっています。

平中はほとんど気違ひのやうに、とうとうかたみの蓋を取つた。筐には薄い香色の水が、たつぷり半分程はひつた中に、これは濃い香色の物が、二つ三つ底へ沈んでゐる。と思ふと夢のやうに、丁子ちやうじの匂が鼻を打つた。これが侍従の糞であらうか? いや、吉祥天女にしてもこんな糞はする筈がない。平中は眉をひそめながら、一番上に浮いてゐた、二寸程の物をつまみ上げた。さうして髭にも触れる位、何度も匂を嗅ぎ直して見た。匂は確かにまぎれもない、飛び切りのぢんの匂である。
「これはどうだ! この水もやはり匂ふやうだが、――」
平中は筐を傾けながら、そつと水を啜つて見た。水も丁子ちやうじを煮返した、上澄みの汁に相違ない。
「するとこいつも香木かな?」
平中は今つまみ上げた、二寸程の物を噛みしめて見た。すると歯にもとほる位、苦味の交つた甘さがある。その上彼の口の中には、たちまち橘の花よりも涼しい、微妙な匂が一ぱいになつた。

芥川龍之介「好色」より

便器の中のものが芳しい香りを放っている……?そんな事態を不思議に思った平中がそれを口にして確かめると、それは香木の細工でした。なんと侍従君は平中の企みをあっさり見破り、あらかじめ香木で作った糞尿を便器に入れておいたのです。

この後、「好色」での平中は「侍従!お前は平中を殺したぞ!」と呻き失神。そのまま死んでしまったようにも受け取れる描写を残して物語は幕を閉じます。

かなりモテた平中が思いを寄せた相手にしてやられたうえ、ピエロと化す……フェティシズムをこじらせた結果がとんでもない事態になったなんて、もうどこからツッコミを入れたら良いのか分かりません。この他にも古典文学を元に創作をした芥川ですが、このどうしようもない平中を魅力に感じて「好色」を執筆したのかもしれませんね。

 

おわりに

暗記事項ばかりでつまらなかったというイメージが持たれがちな古典文学ですが、フタを開けてみれば「エロの玉手箱」だったなんて、学校の授業だけではあまり知ることができないことも事実です。

2015年には春画が再ブームを起こすなど、古代や近世の日本のエロ文化が近年再びホットな話題になりつつあります。それらのイメージをよくよく観察してみれば、現代日本が誇るアニメや漫画、ゲームといった領域の「エロ描写」にも、歴史的なつながりを見出せるかもしれませんね。

エロ描写が満載の古典文学の世界。勉強としてではなく、楽しむ目的をもって読んでみれば、新たな発見に出会えるかもしれませんよ。

初出:P+D MAGAZINE(2016/07/29)

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