【「マチネの終わりに」映画化】小説家・平野啓一郎作品の3つの魅力

恋愛小説『マチネの終わりに』や芥川賞受賞作『日蝕』などの代表作を持ち、ジャンル・テーマを横断し続ける小説家、平野啓一郎。その作品の“3つの魅力”をご紹介します。

世界的なクラシックギタリストとジャーナリストの恋愛を描いた映画「マチネの終わりに」が、11月1日(金)より全国公開されます。

東京・パリ・ニューヨークなどさまざまな街を舞台に、6年間にわたって惹かれ合う40代のふたりの恋愛を描いた本作は、福山雅治と石田ゆり子によるダブル主演ということもあり大きな注目を集めています。

映画の原作は、小説家の平野啓一郎による同名の恋愛小説。平野啓一郎は1999年に第120回芥川賞を史上最年少(当時)の23歳で受賞し、三島由紀夫の再来とも呼ばれた、多種多様なテーマと格調高く美しい文章を特徴とする作家です。

今回はそんな平野啓一郎作品の3つの魅力を、映画化作品『マチネの終わりに』や芥川賞受賞作『日蝕』などを中心にご紹介します。

【魅力1】幻想譚、恋愛小説、ミステリ……ジャンルに囚われない幅広い作風

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平野啓一郎作品の第一の魅力は、なんと言ってもその作風の幅広さです。デビュー作である『日蝕』を読んだあとに『ある男』や『マチネの終わりに』を読むと、まるで違う小説家の作品のように感じられる方もいるかもしれません。

平野啓一郎はこれまでに、15世紀フランスを舞台にカトリック神学をテーマとした長編『日蝕』、中国古典のような趣の幻想譚『一月いちげつ物語』、宇宙船を舞台としたSF『ドーン』、40代の恋愛を描いた『マチネの終わりに』──といった多種多様な作品を執筆してきました。

作品ごとに文体やジャンルが大きく異なることから、文芸評論家の三浦雅士は平野を“謎の作家”と呼び、このように評しています。

困惑は、二〇〇二年に『葬送』が、二〇〇八年に『決壊』が刊行されるに及んで、あろうことか、さらに深まった。ともに上下二冊本、前者は二千五百枚、後者は千五百枚の大長編小説である。一方が十九世紀フランスのショパンとドラクロワに取材した模範的な芸術家小説ならば、他方は二十一世紀日本のネット社会を背景にしたサスペンス十分な犯罪小説である。(中略)まったく訳が分からない。

悪魔にからかわれているのではないか。そう疑わないほうが不自然である。主題と方法のこれほどの拡散と、しかもこれほどの充実は、異常という言葉で形容するほかない。
──『日蝕・一月物語』解説より

書評家が“悪魔にからかわれている”と評するほどの作風の多様さ。平野啓一郎は、谷崎潤一郎や泉鏡花を思わせるような耽美的な文体から現代SF作家のような簡潔な文体までを使い分ける、まさにカメレオンのような作家と言ってよいでしょう。

【魅力2】単なる「恋愛小説」「SF小説」では終わらせない、重層的なテーマ

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文体やジャンルの幅広さに加え、ひとつの作品内で扱われるテーマが非常に多様かつ重層的なのも平野啓一郎作品の大きな特徴です。

映画化される『マチネの終わりに』を例に挙げると、本作は一見、天才的なクラシックギタリストと世界的なジャーナリストという華々しい経歴のふたりを主役とする大人の恋愛物語のようです。しかし読み進めていくと、ギタリストである蒔野は世間からの絶対的な評価と自身の評価の乖離に悩み、スランプに陥りかけていることがわかります。

また、内戦が続くなかイラクで取材をおこなうジャーナリストの洋子も、カウンセラーからPTSDの兆候があると告げられ、取材を延長すべきかで悩んでいます。

「わたしは、まだあなたがバグダッドにいること自体、どうかしてると思ってますよ。あなたが、『過労死』の国の人間だからですか? 心も体もボロボロになって、この先何年も仕事ができなくなっていいんですか?」

蒔野と洋子を取り囲む問題は、スランプやPTSD、民族紛争、世界的な名声を得ている父親との親子関係、大人の嫉妬──と実に現代的かつ多層的です。平野啓一郎自身はこの『マチネの終わりに』という作品に込めた思いを、このように語っています。

恋愛というのは、古今東西、人を惹きつけて止まないテーマですが、情報環境も、貞操観念も、ますますその障害たり得なくなりつつある今日では、恋愛小説自体は難しくなってしまったという印象を抱いていました。しかし、状況は、その可能性の故に、むしろ恋する人々を思いもかけない隘路へと追いやっているようにも見えます。

私が試みたかったのは、自由意志を巡る新しい物語であり、古典的な運命劇の二十一世紀的な更新です。それこそが、ジャンルを問わず、目下の世界の最も重大な関心事なのですから。
──note「寄稿:『マチネの終わりに』連載を終え 自由意志巡る物語に挑戦」より

『マチネの終わりに』は瀟洒でロマンティックな恋愛小説としても楽しめますが、その中に隠されている多種多様なテーマに目を向けると、より深みのある味わい方をすることができます。そして、それこそが平野啓一郎作品の読みどころであり、大きな魅力にもなっています。

【魅力3】“分人主義”という考え方の提唱

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平野啓一郎は、2009年に発表した長編小説『ドーン』の中で“分人主義”という概念を提唱しています。『ドーン』は第19回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞するなど高い評価を受け、平野はこの作品以降も、“分人主義”にまつわる小説や新書を手がけてきました。

平野はこの“分人”という概念を、

一人の人間の中には、複数の分人が存在している。両親との分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、……あなたという人間は、これらの分人の集合体である。
──『私とは何か――「個人」から「分人」へ』より

と説明しています。
つまり分人主義とは、人を「個人」よりも小さな「分人」という単位で捉え、確固とした“本当の自分”があるわけではなく、他者に向けている複数の顔をすべて“自分”だと肯定するという考え方。

この考え方は、分人主義の拡大を説いた『ドーン』に始まり、愛していたはずの夫が死後に“まったくの別人”であったと気づく妻の物語『ある男』など、平野啓一郎のさまざまな作品の中に見られます。

“本当の自分”など存在しないという分人主義の考え方は、職場や家庭、友人関係などさまざまなコミュニティでの顔を持つ現代の人々にとって、人間関係を考える上での大きなヒントとなるものでしょう。他者との対話に悩み、コミュニケーションのとり方について考え込んでしまったとき、

分人という単位で考えるなら、あなたが語りかけることが出来るのは、相手の「あなた向けの分人」だけである。
──『私とは何か――「個人」から「分人」へ』より

という彼の言葉を思い出すと、少し心が楽になる方も多いのではないでしょうか。この“分人”という概念の提唱も、平野啓一郎作品を語る上でのキーとしては欠かすことができません。

おわりに

『日蝕』や『一月物語』など、平野啓一郎作品には華麗かつ難解な筆致で書かれた小説も少なくなく、初めて読む方にとってはとっつきにくさを感じる作品もあるかもしれません。

しかし、その独特な美文は読めば読むほど面白さを感じられる魅力を持っていますし、もし初期の作品が合わなくても、『マチネの終わりに』や『ある男』などは一流の恋愛小説・エンタメ小説としても十分楽しめるものです。

映画『マチネの終わりに』が待ち遠しいのはもちろん、テーマとジャンルを変幻自在に操り続ける彼が今後どんな作品で読者を惑わせ、楽しませてくれるか、これからも目が離せません。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/10/29)

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