【生誕140周年・没後60年】永井荷風のおすすめ作品4選
小説のみならず、随筆や翻訳など多岐にわたるジャンルで活躍した明治期の文豪・永井荷風。今回は、いまから荷風の作品を手にとってみたいという方に向け、代表的な作品とその読みどころを4作品ご紹介します。
2019年は、小説家・永井荷風の生誕140周年、没後60年にあたる年です。
永井荷風は夏目漱石や森鴎外らと並ぶ日本を代表する文豪ではありますが、国語の教科書などで作品が採用される機会があまりないこともあり、実は読んだことがない……、という方も多いのではないでしょうか?
永井荷風は小説のみならず、随筆や翻訳など多岐にわたるジャンルで活躍した作家です。今回は、いまあらためて荷風の作品を手にとってみたいという方に向け、代表的な作品とその読みどころを時系列に沿って4作品ご紹介します。
4年間にわたるアメリカ滞在を経て書かれた、『あめりか物語』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4003104269/
1879年に東京市小石川区(現・東京都文京区春日)でエリート官吏の息子として生まれた永井荷風。中学在学中に文筆活動を始め、1898年には、家族とともに行った上海の様子を綴った紀行文『上海紀行』を処女作として書き上げています。
その後、一橋大学の前身である高等商業学校に入学するものの中退した荷風は、幼いころから読み続けていた江戸文学をより深く探求するために、落語家に弟子入りするとともに、エミール・ゾラの『大地』を読むなどして、しだいにフランス文学に傾倒していきます。
しかし、1903年には「実用の学を修めてほしい」という父親の勧めで渡米。1907年までの4年間アメリカに滞在して銀行員などの職に就きますが、アメリカでの生活が肌に合わなかった荷風は同年に渡仏し、数ヶ月の外遊を経て帰国します。帰国後の1908年に発表した短編集が『あめりか物語』です。
『あめりか物語』で描かれているのは、「自由の国」であるアメリカに夢を抱いて集まってくる人々の姿や、移民としてアメリカ社会で生活する日本人のリアルな暮らしぶりです。たとえば、冒頭の『船房余話』という短編では荷風と同じくアメリカに渡航しようとしている柳田という人物が、仕事で赴任していたオーストラリアから久しぶりに日本に帰国したところ、島国の狭さを苦痛に感じるようになってしまったという心境を吐露します。
柳田くんは、なお全く絶望してしまいはせぬ。苦痛の反動として、以前よりもいっそう過激に島国の天地を罵倒し始めた。そして再び海外への旅の愉快を試みようと決心したのである。
海外赴任の経験によって日本を窮屈に感じるようになり、漠然と西洋に憧れを抱くようになった──と語る柳田の言葉は、100年以上前に書かれた小説とは思えないほどのリアリティを持っています。
また、『寝覚め』という短編の中では、会社の部下であるアメリカ人女性・デニングに思いを寄せている沢崎という男の姿が描かれます。沢崎はデニングの美しさと妖艶な魅力に惹かれますが、デニングと会話ができるようになった途端、彼女の饒舌さを“西洋人の露出な痴話”と捉えて軽蔑するようになります。沢崎はデニングとの会話以来、アメリカについての意見を求められるとこう答えるようになりました。
米国ほど道徳の腐敗した社会はない。生活の困難な処から貞操なぞ守る女は一人もないと云って可い位だ。到底君子の長く住むに堪える所では無いです。
沢崎がひとりのアメリカ人女性に勝手な先入観を押しつけていることは言うまでもありませんが、これはそのまま、日本人がアメリカという国に対して勝手な幻想を押しつけていることへの荷風なりの批判とも読めます。荷風は『あめりか物語』という短編集を通してアメリカの自由さ、華やかさを説いただけでなく、アメリカという国を漠然と崇拝する異邦人の空虚さをも描いたのです。
憧れの地、フランスを外遊し記録した短編集『ふらんす物語』
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荷風が10ヶ月に及ぶフランス滞在を終えて帰国後、『あめりか物語』に次いで発表した作品集が『ふらんす物語』です。荷風はアメリカ滞在中からフランス行きを強く希望しており、父親の配慮もあって1907年に銀行のリヨン支店に転勤を果たしますが、半年ほどで退職しパリで外遊します。『ふらんす物語』では、荷風が外遊中に足繁く通ったオペラやカフェーの様子、フランスの古きよき街並み、出会った人々や食事などがいきいきとした流麗な筆致で描かれます。
北米大陸の広漠無限の淋しい景色ばかりに馴れていた自分の眼には、過ぎ行くノルマンデーの野の景色はまるで画である。あまりに美しく整頓していて、野生のものとは思われぬ処がある。
例えば見渡す広い麦畑の麦の黄金色に熟している間をば、細い小道の迂曲して行く工合と云い、すでに収穫を終った処には点々血の滴るが如く、真赤なコクリコの花の咲いている様子と云い、(中略)その位置その色彩は多年自分が油絵に見ていた通りで、云わば美術の為めにこの自然が誂え向きに出来上っているとしか思われない。
それまで暮らしていたアメリカの大都市とは違うフランスの美しい景色に感激した荷風。彼は本書の中でたびたび、フランスへの溢れんばかりの愛をストレートに綴っています。
ああ自分は何故、こんなにフランスが好きなのであろう。フランス! ああフランス! 中学校で初めて世界歴史を学んだ時から子供心に何と云う理由もなく仏蘭西が好きになった。
フランスを賛美するあまり、日本を侮蔑するような表現も散見されたことが問題視されてか、『ふらんす物語』は発売から1年後の1909年に発禁処分を受けてしまいます。しかし、直後に夏目漱石に見いだされたことによって朝日新聞紙上に作品発表の場が設けられ、荷風の文学界での存在感はむしろ徐々に大きなものとなっていきました。
42年間にわたって書き続けた日記『断腸亭日乗』
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荷風は『あめりか物語』『ふらんす物語』の発表後、慶應義塾大学の主任教授となって教鞭をとりながら、小説の執筆はもちろん、谷崎潤一郎などを世に出した文芸誌『三田文学』の創刊、訳詩集『珊瑚集』の発表など輝かしい功績を次々に残しました。しかし、1915年、『三田文学』の運営方針をめぐって大学当局と意見が対立し、荷風は辞職します。
教職を辞した荷風は1917年、余丁町(現・新宿区)に移り住んで邸宅に「断腸亭」という名前をつけ、日記『断腸亭日乗』を綴り始めます。荷風はこの日記に、日々の些細なできごとから世相への批判、新聞記事や街の噂などさまざまなことを、季節感のある美しい描写を交えつつ記しています。
五月三日。西南の風烈しく遽に薄暑を催す。冬の衣類を取片つけ袷を着る。衣類のこと男の身一つにては不自由かぎりなく、季節の変目毎に衣を更るたび腹立しくなりて人を怨むことあり。されど平常気随気儘の身を思返して聊か慰めとなす。
十月十日。花月原稿執筆。黄昏雨あり虫の音少くなりぬ。
特筆すべきは、荷風が過去に関係した女性たちの名前をもこの日記の中に列挙していることです。
一 鈴木かつ 柳橋芸者にて余と知り合ひになりて後間もなく請負師の妾となり、向島曳舟通に囲はれ居たり、明治四十一年のころ
二 蔵田よし 浜町不動産新道の私娼明治四十二年の正月より十一月頃まで馴染めたり、大蔵省官吏の女
三 吉野こう 新橋新翁家富松明治四十二年夏より翌年九月頃までこの女は事は余が随筆『冬の蠅』に書きたればこゝに贅せず
このような調子で、女性たちの名前が20人近く続きます。荷風は若い頃に一度離婚をしており、それ以来は生涯にわたって独身でしたが、芸姑や女給、私娼たちとの交遊はいつの時代も絶やさない人物でした。
荷風は『断腸亭日乗』を書き続けることに強いこだわりを持っており、この日記は荷風が死ぬ前日の1959年4月まで、42年間にわたって綴られ続けました。
荷風文学の最高峰、娼婦との恋を描いた小説『濹東綺譚』
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『断腸亭日乗』でも綴られているように、荷風は一時期、私娼窟である玉の井に熱心に通っていました。そんな荷風が1937年に発表したのが、玉の井を舞台に娼婦・お雪と小説家の男・大江との恋愛を描いた小説『濹東綺譚』です。
『濹東綺譚』は、小説家である大江が『失踪』と題した小説のアイデアを練っているところから始まります。大江は作品の舞台を向島にしようと考え、ある日、向島・玉の井付近を散歩してみることにします。すると突然雨が降り出し、持っていた傘を差そうとしたところに、娼婦であるお雪が飛び込んでくるのです。
いくら晴れていても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方から、「
檀那 、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油の匂で結ったばかりと知られる大きな潰島田には長目に切った銀糸をかけている。わたくしは今方通りがかりに硝子戸を明け放した女髪結の店のあった事を思出した。
運命的とも言える出会いを果たしたふたりはすぐに惹かれ合い、大江は玉の井に通うようになりますが、小説家と私娼との恋は簡単にはうまくいかず、やがて道を分かつこととなってしまいます。
今日ではありきたりなストーリーにも聞こえるかもしれませんが、玉の井のうら寂しい情景や季節の移り変わり、50代の男と若い女性の刹那的な恋愛を巧みな筆致で描いた本書は、荷風の最高傑作とも言われています。私娼窟を舞台にしながらも嫌らしさは感じさせず、むしろ抒情的な切なさをたたえた美しい作品です。
おわりに
芸者遊びや文豪たちとの交流、私娼窟通いといった派手で華々しい生活をしていた一方で、晩年にはひとり暮らしをし、徹底的な個人主義者としても知られていた永井荷風。荷風は、何気ないできごとやエロティックなテーマを芸術にまで昇華させ、生涯にわたって私小説を書き続けました。
フランス文学の影響を感じさせる流麗な作品から軽快な作品まで、作風が非常に幅広いのが荷風の魅力です。今回ご紹介した4つの代表作を入り口に、その作品群を読み進めていってみてください。
(※参考文献……末延芳晴『荷風のあめりか』)
初出:P+D MAGAZINE(2019/11/15)