【著者インタビュー】はらだみずき『銀座の紙ひこうき』/雑誌黄金期に「紙」の確保に奔走した若者の、社会的青春の物語

1980年代、雑誌が黄金期を迎えていた時代に、製紙会社の仕入れ部門で「紙」の確保に奔走する若者たちがいた――。誰もが一度は通過する、社会的青春と生き方を描く長編小説。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

本は「紙」でできている――80年代、雑誌黄金期に用紙の仕入れに奔走した若者たちの奮闘を描く長篇

『銀座の紙ひこうき』

1700円+税
中央公論新社
装丁/片岡忠彦 装画/いざわ直子

はらだみずき

●はらだ・みずき 1964年千葉県生まれ。銀座の紙卸商社や出版社勤務を経て、06年『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』でデビュー。同作はシリーズ化され、累計60万部を突破。『スパイクを買いに』『帰宅部ボーイズ』『あの人が同窓会に来ない理由』等の他、文庫『海が見える家』も話題に。「僕も航樹同様、バー『ルパン』には畏れ多くて入れなかったクチで、初めて行ったのは4年前かな。銀座は三州屋とか庶民の店もあるし、そっち専門で(笑い)」。171㌢、72㌔、O型。

今の自分は過去の集積でしかなく、過去に拘ってこそ今をしっかり生きられると思う

 日本一の繁華街・銀座はその実、紙の街、、、でもあった。
 各製紙会社が本社を置き、専門卸商社や書店も昔から多い理由を、はらだみずき著『銀座の紙ひこうき』の主人公〈神井航樹かみいこうき〉がこう推察する場面がある。曰く、江戸の昔から商業で賑わい、維新後、新聞社や出版社が次々にできた銀座は、古くから人々や情報が行き交う〈メディアの街〉だったと。
「あくまで僕の推理ですけどね。昔の瓦版も紙製ですし、運河が流れ、物流的な利もあった銀座に、紙屋もまた集まったのだろう、と」
 自身、紙卸の専門商社や出版社を経て作家となり、87年春、銀座2丁目に社屋を構える〈銀栄紙商事〉に入社した航樹とは同世代。小説家を志し、大学を留年してまで出版社を受けるも結果は惨敗。縁あって銀栄に就職し、仕入部で激務にあたる航樹には、〈本は紙でできている〉という自明の事実だけが、拠り所だった。
 人は必ずしも望んだ道に進めるとは限らない。その時、ままならない今とどう向き合うかを巡る、これは誰もが一度は通過する社会的青春と、生き方、、、の物語だ。

 本書は、後に作家となった主人公が進路に悩む大学生の息子に複雑な思いを抱く場面で始まる。〈自分も息子と同じだった〉〈社会に出て働くことさえ、こわかったような気がする〉と。
「実は僕も娘が就職で悩んでいる時につまらないことしか言えなかったんですよ。その会社の資本金はいくらか、とか(苦笑)。でも本当に伝えたいのはそんなことじゃない。大事なことを簡潔に伝えるのが元々下手な僕は、だから小説を書いているんだと思います」
 夢と現実の狭間でもがく航樹の葛藤を通じて仕事や人生の意味を問う本作では、紙の流通の実態も読み処の一つ。一般読者にはあって当然にも思える紙の確保が、仕入部の彼らには死活問題となり、確かに紙がなければ本も雑誌も出ないのだ。
 男女雇用機会均等法施行から2年目のこの年、銀栄本社には男女10名が入社し、〈星崎製紙〉を扱う仕入部三課には航樹とみなみが配属された。が、社内で〈ヘイゾウ〉と綽名される長谷川課長はよく勤務中に床屋に消える食えない男で、航樹はろくに教育されないまま3か月で星崎の担当に。中でも人気の高いコート紙〈スターエイジ〉を確保すべく星崎本社と掛け合い、明治創業の紙問屋・鬼越商店の泣く子も黙る仕入部長〈鬼越〉とも渡り合うなど、仕事は実地で覚えていった。
 出版社などを顧客にもつ各営業部の需要を把握し、在庫を製紙会社のモニター室に問い合わせるのが仕入部の仕事だが、スターエイジのような人気商品は常に需給が逼迫し、万が一の時は他社と在庫を融通し合うのも一つの手。航樹はモニター室の女性陣や競合卸の仕入担当とも人脈を築き、それでも毎日が綱渡りだ。
「特に重くてかさばる紙は在庫を持てないのが宿命で、僕も四国の工場を出た船が台風で遅れ、このままだと自分のせいで雑誌が出なくなるとか、今でも当時のことを夢に見るくらいです。
 そんな重責を新人が担う乱暴な時代ではあったけど、こっちに突き放す上司がいれば、あっちには助け船を出してくれる先輩もいた。衝突してもその衝突を糧に成長できたし、厳しさの中にもある寛容さを人を通じて感じ取れた時代でした」

その人なりの生き方を書く

 千葉の実家から銀座に通う航樹は、地元の友達と飲むことを好み、話題は仕事の愚痴や恋バナだ。実は彼には初恋の人〈梨木文恵〉に告白してフラれた過去があり、小説を読み始めたのも彼女が本好きだったから。その文恵と同窓会で再会し、彼氏と遠距離恋愛中と知りつつデートを重ねる航樹が当時話題の『ノルウェイの森』など、恋愛小説を急に読み出すのがおかしい。
「でもそういうもんですよね。本がその時々の自分を映したり、初恋を引きずるのは男だけだったり(笑い)。
 僕も当時は自分の給料で本を買えるのが最高に幸せだったし、自分の扱った紙でできた本を手にした時の喜びは忘れられない。今や紙の本は贅沢品になりつつありますが、効率だけでは語れないものも、僕はあってほしい人間なんです」
 幾多の難局を乗り切り、自信もついた矢先、航樹は夢を貫いて編プロに就職した友人の名前を雑誌に見つけ、〈自分はなにもつくってはいない〉と思い始める。そして本書は後半、会社の窓から紙ひこうきを飛ばし、自らを重ねた彼の再出発の物語に舵を切るが、自分が周囲の人からどんなに思われてきたか、航樹は銀栄を辞めてようやく気付くのだ。
「例えば〈うまくやってくれ〉という長谷川の口癖は会社生活における至言だったりするし、そういうことを頭ではなく体でわかっていく感じも僕自身の経験がベースになっている。今の自分は過去の集積でしかない以上、過去に拘り、大事にしてこそ、今をしっかり生きられると僕は思うので。
 航樹が会社を辞めるのも生き方の問題で、何か夢があって、自分が何者になりたいかを問う人間であれば、たとえ世間的には恵まれた環境でも留まることはできないと思う。そして会社や職業を超えたその人なりの生き方を、僕は本書に限らず書いていきたいんです」
 かつて太宰が通ったバー「ルパン」を始め、銀座もまた過去の集積の上にあり、航樹が紙を求めて街を奔走したのも今や昔。そうやって過ぎ行く中にも、人々が衝突を恐れず成長しあった日々は確かに存在し、誰の目にも眩しく映るに違いない。

●構成/橋本紀子
●撮影/黒石あみ

(週刊ポスト 2019年9.13号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/04/03)

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