“エモい”をナメるな。Webで人気に火がついた恋愛小説3選

人気Webライターのカツセマサヒコ氏の初めての小説、『明け方の若者たち』をはじめ、近年ではWebのインフルエンサーと呼ばれる人たちが小説作品を書き、話題を集めることも増えてきました。今回は、Webを中心に大きな話題になった、3冊の恋愛小説をご紹介します。

近年、SNS上でフォロワーを多く抱えるインフルエンサーが書き手となったり、TwitterやInstagramなどが中心となって人気に火がつく作品が多く見られるようになってきました。2020年6月には、超人気Webライターであるカツセマサヒコが初めての小説、『明け方の若者たち』を出版したことも大きな話題を呼んでいます。

Web発の作品はしばしば、「エモい」(=感情が強く動かされる、切ない)という言葉で評価されます。「エモい」小説は若者から大きな支持を集める一方で、「どうせ“エモ”が売りのやつでしょ」などと軽視されることも少なくありませんでした。

今回は、「エモい」のはもちろん、それだけではない書き手の筆力や魅力を堪能することができる、3冊のおすすめ作品をご紹介します。

カツセマサヒコ『明け方の若者たち』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4344036239/

『明け方の若者たち』は、Webライター・文筆家であるカツセマサヒコによる恋愛小説です。

カツセは、このようなTwitterでの”妄想ツイート”投稿が話題となり、10~20代の女性を中心に大きな支持を集め続けているインフルエンサーの代表的人物。「タイムラインの王子様」とも呼ばれ、現在のフォロワー数は14万人を超えています。
『明け方の若者たち』はそんな彼が2020年6月に発表したばかりの、小説家としてのデビュー作。クリープハイプの尾崎世界観や安達祐実、小説家の村山由佳といった錚々たる著名人から推薦コメントが寄せられ、Amazon日本文学ランキングでも一時、1位を獲得するほどの話題となりました。

物語の主人公は、大学生の“僕”。“勝ち組飲み会”と呼ばれる、有名企業に内定が決まった大学生だけが集まる飲み会で、自分と同じく居心地の悪さを感じていた“彼女”と出会います。そして“僕”は、近くの公園でふたりきりで飲み直したことをきっかけに、恋に落ちるのです。

ハイボールを飲み終えるまで、僕らは「勝ち組飲み会」について、ひたすら悪口を並べて遊んだ。「きっと入社してから苦労するんだよ、ああいう場に参加しちゃう、私たちみたいな人間は」自虐も含めて話す彼女は、内定という事実だけで浮かれて踊れるほど、浅はかでも愚かでもない大人だった。(中略)それまであの場に参加する自分をどこか誇らしくおもっていた僕は、彼女の苦言を聞いたその瞬間から「レセプション・パーティー」や「ローンチ・イベント」に参加するようなタイプの人間を、大嫌いになろうと決めた。誰からも賞賛されるような存在になるよりも、たった一人の人間から興味を持たれるような人になろうと決めた。

“僕”は、彼女と過ごした時間を“人生のマジックアワー”と表現します。“僕”が過去を振り返りながら綴る彼女にまつわる回想には、“キリンジの『エイリアンズ』”、“写ルンです”、“フジロック”、“新宿歌舞伎町のバッティングセンター”といった固有名詞が散りばめられ、それらをなぞりながら、読者はまるで彼らの恋愛を追体験しているような気持ちにさせられます。

“僕”の彼女への思いはあまりに一途かつ切実で痛々しいほどですが、現在の“僕”が抱え続ける「何者にもなれなかった」、「こんなハズじゃなかった」という思いには、誰しもが強く共感するようなリアリティがあります。また、

彼女が喜ぶような奇跡の一枚を撮りたくて、デートに行くときは必ず「写ルンです」を買うようになった。二十七回だけ、彼女は僕の言うことを聞いてくれた。

といった、“妄想ツイート”を彷彿とさせるようなエモーショナルな表現も随所に見られ、作品のスパイスとなっています。

燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4103510110/

『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、燃え殻による長編恋愛小説です。彼はテレビ美術制作会社の会社員という本業の傍ら、日常を感傷的でありながらどこか冷めた視点で綴るツイートで人気を集め、現在はTwitterで23万人を超えるフォロワーがいる書き手。本書は、Webサイト「cakes」上で連載されたものを元に2017年に出版された、燃え殻にとって初めての小説です。

物語の主人公は、冴えない若者時代を乗り越えてテレビの制作マンとなり、器用に毎日を送りながらも満たされない気持ちを抱えている、43歳の“ボク”。この“ボク”がある日、Facebookで“人生でたった一人、自分よりも好き”と感じたことのある過去の恋人(元カノ)の名前をたまたま目にし、つい友達申請を送ってしまう──というところからストーリーが始まります。

「最愛の元カノ」と聞くとどこか儚げな美女をイメージするかもしれませんが、本作では、その女性は“ブス”と形容されます。

彼女の魅力をボクはいつも説明できなかった。説明なんてする必要ないんだろうけど、どう話したとしても「ブスのフリーター」にいつもショートカットされるのが悔しかった。そのうちボクは誰にも彼女のことを話さなくなった。彼女から教わった音楽を今でも聴いている。彼女から勧められた作家の新刊は、今でも必ず読んでいる。港区六本木にいながら暑い国のことを考えるのは、インドが好きで仲屋むげん堂で働いていた彼女の影響だ。彼女はボクにとって、友達以上彼女以上の関係、唯一自分よりも好きになった、信仰に近い存在だった。ボクが一番影響を受けた人は、戦国武将でも芸能人でもアーティストでもなく、中肉中背で三白眼でアトピーのある愛しいブスだった。

“仲屋むげん堂で働いていた彼女”といったフレーズからもわかるように、本作は『明け方の若者たち』と同じく、“ラフォーレ原宿”、“小沢健二”、“新宿ゴールデン街”、“六本木交差点”──など、固有名詞を用いた描写に満ちています。
バブル崩壊からしばらく経ち、世紀末の焦燥感が日本中に溢れるなかで、渋谷系の音楽を中心とするサブカルチャーが静かに盛り上がりを見せていた1999年の東京。当時の空気が色濃く反映された文章と、いまの自分に満足しつつもどこかで「こんなはずじゃなかった」と感じているような主人公のナルシシズムが合わさり、読んでいるだけでヒリヒリするような切なさを感じる作品です。

7月には自身の回顧録となる燃え殻2冊目の作品、『いつか忘れてしまうから』の刊行も決定しており、彼が今後書いていくものからますます目が離せません。

一木けい『1ミリの後悔もない、はずがない』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4103514418/

『1ミリの後悔もない、はずはない』は、一木けいによる恋愛小説集です。一木けいは2016年に本書の収録作である『西国疾走少女』で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、小説家としてデビューしました。

デビュー作である本書にはミュージシャンの椎名林檎が「私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかった全てが入っている」と絶賛のコメントを寄せており、一木自身も『西国疾走少女』は椎名林檎が所属するバンド・東京事変の楽曲である「閃光少女」をイメージして執筆した──とインタビューなどで語っています。椎名によるこのコメントや、燃え殻などWebのインフルエンサー陣が絶賛したことが話題になり、一木けいはいまSNS世代の若者たちの間で再注目の作家となっています。

『1ミリの後悔もない、はずがない』は、由井という女性の恋愛を主軸に、彼女のかつての友人や夫、子どもなどの物語をさまざまな角度から描いた連作短編集。1作目である『西国疾走少女』では、由井の中学校時代、クラスメイトの桐原という男子との思い出が綴られます。

特徴的なのは、由井が桐原のことを思い出すときの人物描写です。まだまだ幼い同世代の少年たちのなかで、由井にとっては桐原がひときわ大人に見え、彼女はその“色気”に強く惹かれていました。

桐原を思い出すとき、まず脳によみがえるのは喉仏だ。まさにできたてのそれは、他の男子より妙にでっぱって色っぽかった。桐原が歌うとき、笑うとき、つばを飲み込むとき、そのでっぱりは、コリ、コリ、と上下に動いた。なまめかしく、ゆっくりと。

桐原は長い脚を持っていたが、走るのは速くなかった。バスケ部でも補欠だった。放課後、校庭を走る桐原を、教室から眺めた。疲れてきたときにうっすらひらく口が色っぽかった。桐原の黒髪は毛量が多く、すこし縮れて扱いにくそうだったのだが、その髪から汗のしずくが飛びちる様は、スローモーションでわたしの胸に染みこんだ。

桐原に恋い焦がれ、桐原を見つめるときにだけ特別なフィルターがかかってしまうような由井視点の描写は、10代のときにしか体験できない“初恋”の切実さを読み手に思い出させます。また、由井の恋心に関する描写だけでなく、

ミカは茶髪でこっそりピアスを開けていて、よく授業中にウォークマンで音楽を聴いていた。イヤフォンを肩からブレザーの袖に通して、ひじをついていれば傍目にはわからない。問題は指名されたときだ。ちかくにいる子がミカをつついて教えるのだが、そういうとき音楽が耳に流れているままのミカは「ハイッ!」と必要以上に大きな声を出すので、たまにばれてウォークマンを没収されていた。

といった日常を描いた箇所も、学生生活のリアリティを感じさせます。一木けいの小説には、装飾の少ない平易な言葉のみを用いながら、ささやかながら誰しも身に覚えがあるような感情や景色の描写を静かに積み重ねることによって、読み手に登場人物が味わったことを疑似体験させてくれる魅力があります。人を好きでいることが“生きているという実感そのもの”につながるような恋の切実さや10代の息苦しさを、思い出さずにはいられない1冊です。

おわりに

今回ご紹介した作品は、どれも読みやすく、スラスラとページがめくれてしまうような言葉遣いでありながら、読者をその世界観に没入させる力のあるものばかりです。2010年代、1990年代、2000年代──とそれぞれバラバラの時代の東京を描いていますが、どこかひとつの時代にでも東京で暮らしたことのある人なら、思わず自分自身の姿を重ねてしまうはず。当時よく聴いていた音楽を流しながら、作品の世界観を味わってみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2020/07/17)

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