【著者インタビュー】伊吹亜門『幻月と探偵』/昭和10年代の満州を舞台に、本格推理+近現代史を見事に融合

時は昭和13年。孤高の私立探偵・月寒三四郎は、国務院の役人から急逝した秘書の死の真相を究明するよう、直接依頼を受けるが……。いま注目のミステリ作家による、本格歴史推理小説!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

デビュー作で注目を集めた平成生まれの駿才による歴史本格ミステリの進化形!

『幻月と探偵』

KADOKAWA
1925円
装丁/坂野公一(welle design)

伊吹亜門

●いぶき・あもん 1991年名古屋市生まれ。同志社大学卒。在学中はミステリ研究会に所属。2015年、「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞。これを連作化した『刀と傘 明治京洛推理帖』で18年にデビュー。翌年第19回本格ミステリ大賞を受賞した他、「ミステリが読みたい!2020年版」国内篇第1位に。長編『雨と短銃』も好評。「岸信介を書いたのは満洲には欠かせない人物だからで、現政権を批判する度胸は私にはありません(笑い)」。171㌢、78㌔、B型。

人間の心理が剥きだしになるのは動乱期。満洲を書く以上、相応の知識や覚悟が要る

 同志社大学ではミステリ研究会に所属し、4回生の時、「卒業記念に応募した」一作入魂の短編、「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞。同作を連作化した『刀と傘』では幕末〜明治初期の京都を、最新作『幻月と探偵』では昭和10年代の満洲を舞台に、本格推理+近現代史を見事融合させた点に、平成3年生まれの俊英、伊吹亜門氏の手柄はあるといえよう。
 主人公は哈爾浜埠頭区ハルビンプリスタンの裏路地に事務所を構える、孤高の探偵〈月寒つきさむ三四郎〉。ある冬の午後、〈黒光りする箱型自動車〉で乗り付けた男から、〈ここはひとつ、手っ取り早くいこう〉〈月寒三四郎は、探偵として優秀なのかね〉と切り出された月寒が、〈貴方の名前は椎名悦三郎、役職は満洲国国務院産業部の鉱工司長だ〉と、相手の素性や依頼主を彼の上司・岸信介だと見抜き、答えに代える、冒頭の数頁からしてワクワクする。
 もつともそのホームズばりの眼力には裏があり、椎名の名刺を予め入手した上でのハッタリだったことが明かされるのだが、探偵に必要なのは洞察力や胆力以上に〈人に記憶されない平凡さのようだ〉と謙遜する彼こそは、満洲の光と影を穿つ格好の案内人でもあった。

「私はミステリ用語でいうところのホワイダニット、つまり動機やなぜ、、を中心に据えた作品が元々好きで、自分でもHowよりはWhyの人間心理に根差した物語を描いていきたい。その心理がより剥き出しになるのはやはり混沌とした動乱期だろうと、第1作では幕末明治を描き、今回は満洲を舞台に選びました。
 特に歴史好きというわけではないんですが、子供の頃は阿川弘之先生の海軍提督三部作を読んだり、抵抗感は少ない方だと思う。世代的に太平洋戦争や満洲に関しては『イコール悪』としか教わってこなかったので、街並みや下水道が整備され、セントラルヒーティングや各種文化施設など、光も影も両方あった満洲の姿に触れられたのは、個人的にも大きな収穫でした」
 時は昭和13年。協和会の甘粕正彦が推すこの探偵が、要はお眼鏡に適ったということだろう。椎名から特急あじあ号の切符を手渡され、新京に飛んだ月寒は、先頃急逝した秘書〈瀧山秀一〉の死の真相を究明するよう、国務院の役人である岸から直接依頼を受ける。  
 瀧山は奉天会戦の元英雄小柳津義稙おやいづよしたね邸で開かれた晩餐会に出席後、体調に異変を来し、原因は遅効性の毒、リシンと見られた。が、義稙の孫〈千代子〉との婚約をその場で披露した瀧山と出席者の間に殺意を抱くまでの接点は見出せず、仮にそのうちの誰かが毒を盛ったとして、どうすれば瀧山だけに毒を盛れるのか、、、、、、、、、、、、、、、、、
 しかも小柳津家には〈三つの太阳たいようを覺へてゐるか〉と1行だけタイプされた銃弾入りの脅迫状が届いており、狙われたのは今の軍部に批判的な義稙ではないかと案じる千代子や、〈関東軍の連中に小柳津義稙を殺せる筈がない〉と気になることを言う椎名など、月寒は関係者の証言を地道に収集する。その彼の少々優柔不断な造形がいい。
「私も以前は閃き型の超人探偵が好きだったんですが、最近は自分が実社会で働いている影響もあるのか、月寒はそれとはかなり異なりますよね。今後の関係もあることだし、無理な捜査はやめとこうみたいな(笑い)。
 実は今年出た初長編『雨と短銃』を書く前に、国内外のハードボイルドを一通り猛勉強したんです。なかでも影響を受けたのがロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー物で、別名観察者とも言われるくらい、足を使って人に話を聞き、少しずつ真相に近づく名探偵も面白いなあって。
 そのロス・マク熱が未だ冷めなくて、天才肌というよりは相手に寄り添い、大小様々な事情を聞き出す、聞き上手で人間臭い月寒を書こうと。そうした造形が満洲の功罪から人々の日常まで、多面的に書き込める効果を生んだ気もします」

そもそも自分は昭和も知らない

 晩餐会には義稙の義弟で哈爾浜高等工業学校教授の雉鳩きじばと哲二郎〉や、義稙の恩人の娘で同家に居候する白系露人薬剤師〈ヴァシリーサ〉、関東軍の出入り業者〈猿投半造〉ら、6名が出席。また使用人もシベリア出兵時の元副官で家令の〈秦勇作〉を筆頭に、料理人の〈駒田源三郎〉やロシア人メイド〈リューリ〉、満人運転手の孫回雨ソンフイに蒙古人用人〈ネルグイ〉と計5人が働き、当主が信奉する〈五族協和〉の理念をまさしく具現化していた。
 そして毒は料理ではなく、食後に供された波蘭土ポーランドの『オダヴォガ』というウオツカ〉に混入されたと月寒が確信を得た矢先、今度は砒素を使った第2の事件が小柳津家を襲うのである。
 ちなみに岸や椎名以外はほぼ架空の人物だが、背後に漂う空気感は全て本物。
「例えば岸や関東軍が阿片の利権に関与していたのはほぼ事実らしいんですが、本人は当然否定しますよね。義稙のような元長州軍閥の英雄が絡んだ証拠もありません。でも何があってもおかしくないのが、盧溝橋事件から1年が経ち、事態が泥沼化しつつあった、当時の満洲だと思う。
『3つの太阳』というのも大陸進出後、満鉄の敷設も担った鹿島建設の作業員が、上からの日差しと下からの照り返しに灼かれ、熱中症に苦しんだと、記述が残っているんですね。そんなふうに、あ、これは使えると思ったトピックを積み重ねた中に謎を構成し、あと、私は哈爾浜どころか日本から一歩も出たことがないので、当時の街路図を国会図書館で手に入れたり、小柳津邸に関しては三宮の異人館を見に行ったりして、何とかそれらしい街並みや間取りを再現しました」
 そもそも昭和も知らない自分が、満洲というただでさえセンシティブな問題をエンタメにしていいのかという葛藤は、執筆中、常にあったという。
「この頃の満洲はギリギリまだ平和でしたけど、書く以上は調べうる限りを調べ、相応の知識や覚悟が要る。そこまでさせる磁場や魅力が満洲にはありましたし、いずれは戦争やその痛みを書くことにも挑めるよう、確固たる実力や実績を積み上げることが、今の私の目標なんです」
 あくまで作話的興味から歴史を知り、知見を深める、彼なりの関わり方を誰が否定できよう。表題が示す通り幻と現のあわいをゆき、松花江スンガリー打刻印字器タイプライター等、多用されたルビとの隙間にすらきな臭さやダブルスタンダード性を感じさせる満洲は、確かに物語を生む余地や余白に満ち満ちていた。

●構成/橋本紀子
●撮影/朝岡吾郎

(週刊ポスト 2021年10.1号より)

初出:P+D MAGAZINE(2021/09/28)

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