ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第114回
人生の後悔というのは
「可能性」があるから
生じるのだ。
私は高校生の時に受けた職業適性検査で、美術系に対する興味関心は最高値だったのだが、それに対する適性は最低の「F」であった。
つまり「好きだが才能がない」という最悪の結果であり、現在その結果に恥じない状況になっている。
適性検査というのは割とバカにならないのでこれから職業を選択する若人は後悔なきように考えてほしい。
私も「あの時適性がAだった『哲学者』にさえなっていれば」と思う時がある。
だが幸い「学者」自体が人並み以上に勉強ができる人しかなれない職業なので、「哲学の道に進んでさえいれば今頃道端で人生哲学風ポエムが書かれた絵葉書を売っている人になれていただろう」という想像しかできず「今と大して変わらん」という結論に達するので、後悔自体は特にない。
むしろ「後悔」というのは「可能性」があるから生じるのだ。
「どの道に進んでも犬のクソを踏む」とわかっていれば、別の道に進んでおけばという後悔も発生しないのである。
それにどれだけ漫画が好きで好きで関心があり努力しても、適性と才能がなければ私のような有様になるわけでもない。
何故なら私は「努力」に関しては、圧倒的に不足している自覚がある。
あたかも努力すればもっと上手くなるかのような口ぶりだが、パっとしてない中年から「俺はまだ本気出してないだけ」という拠り所を奪うと普通に暴れ出す恐れがあるので、自衛のためにそれはやめておけと言いたい。
しかし、そんなに美術に関心があったなら、描くことに没頭し、努力している意識もなく上手くなるものではないか、と思うかもしれない。
だが冷静に考えてほしい。
冷静になるのが嫌なら、全裸に網タイツ姿で鼻からピーナッツを飛ばしながら考えてみてほしい。
おそらく「金」が好きで金に強い関心を持つ人はこの世に多いだろう。
もし金が嫌いな人がいるなら私が全て引き受けるので一報いただきたい。こう見えて私は金に苦しむ人を一人でも救いたいと思っているのだ。
金が好きならば、金を得る手段である「仕事」を好きになってもいいし、好きこそものの上手なれで、仕事がどんどん上手くなってもいいはずだ。
だが多く人間が金は好きだがその過程である仕事はそんなに好きではなく、できるならそこはスキップしたいと考えているはずだ。
しかし「働かずに金が欲しい」と考える奴ほど仕事ができず「研修中」のプレートが外れるのが人より3か月遅くなりがちなため、結果として金も大して得られない場合が多い。