原田ひ香『口福のレシピ』
女中さんたちに捧ぐ!
少し前に、SNSでちょっと話題になった投稿があった。
戦前の少年雑誌の豆知識のようなコーナーの後に、「このことは家の女中さんたちにも教えてあげましょう」という一文があった、という内容だ。これについて、ほとんどの方は「昔の少年雑誌は家に使用人がいるような富裕層の子しか読めなかったのか」と一様に驚いていた。
しかし私はそれを見て、少し違うのではないか、と思った。
戦前の女中さんというのは一種の行儀見習いのようなもので、六年制の尋常小学校やその上の高等科を出た人が、結婚するまでの数年間を過ごす場所だ。サラリーマン家庭だったら一人や二人の女中がいることは普通だった。娘を女中奉公に出す家が特別貧困かというとそれも違う。そこそこ大きな農家の家の娘も普通に女中をしていた。行儀見習いであるから、給料はそう高くない。けれど、その分、雇う側にも責任があり、針(着物の仕立てや洗い張り)や料理、洗濯などを親代わりに教え込まなければならない。結婚が決まれば着物を一通りそろえてやる家もめずらしくなかった。里に帰る時、結婚する時は名残惜しく、泣いて別れたらしい。
旦那さんが横暴だったり、奥様が厳しすぎたりする家には女中が居着かず「あの家は女中さんが代わってばかりいる」と陰口をたたかれた。女中は出入りの青果店や田舎の親戚などから紹介されることがほとんどだったが、一度、悪い噂が立つと誰も声をかけてくれなくなる。仕方なく、職業紹介所を通して依頼することになり、それは一家の恥だった。
私は以前、シンガポールに住んでいたことがある。かの国も戦前日本と同様に、メイド制度が栄えている国だ。フィリピンを始め、インドネシア、インドなどの近隣諸国から雇われてきているメイドさんを見ない日はなかった。聞いたところでは月数万円で雇えたらしい。けれど、内容は戦前の女中とはまったく別物で、メイドには残り物しか食べさせない、棚には必ず鍵をかける……といったような噂をちらほら聞いた。また、在星中、彼女たちへの折檻がひどくて殺してしまったり、窓から突き落としたりというニュースもあった。
今、女中という言葉はあまり使ってはいけないようだ。「お手伝いさん」「家政婦さん」というのが正しいのだろう。だけど、私はこの物語を、今は亡き「女中さん」たちに捧げたいと思って書いた。もちろん、使用人ではあるのだけど、メイドとは違う、もう少し、心が通い合った存在として。