お酒が美味くなる?文学史を彩る聖なる酔っ払いたち

太宰治とアブサン、坂口安吾と日本酒……日本文学とお酒の切っても切れない関係をご紹介!

お酒を愛する作家は、今も昔もたくさんいます。作家や編集者たちが足繁く通うとされる文壇バーの存在からも、作家とお酒が切っても切れない関係にあることが窺えます。

そのなかでも浅草にある神谷バーは、多くの作家に愛されていた代表的な文壇バーとして知られています。太宰治はこの店の看板メニューであった電気ブランを「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し」と「人間失格」の一場面に登場させており、萩原朔太郎は神谷バーを題材に「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男になにを思ふらん」という詩を作っています。

最近では森見登美彦の人気作品、「夜は短し歩けよ乙女」や「有頂天家族」にこの電気ブランを模して作られたという「偽電気ブラン」が登場しています。神谷バーの創業からおよそ100年の歳月を経ても、電気ブランはなお作家にインスピレーションを与え続けているのです。

今回はそんなお酒を愛してやまない作家たちについて、お酒に関するエピソードや作品を踏まえてご紹介します。

 

太宰治と禁断の酒、アブサン

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写真:林忠彦写真集 日本の作家(小学館)p4~p5より 撮影/林忠彦

無類の酒好きだった太宰は、神谷バーの他にも銀座のバー、ルパンに度々来店しては酒を飲んでいたそうです。ルパンのバーカウンターで太宰がくつろいでいる写真(左)はよく知られていますが、これは写真家の林忠彦が撮影したもの。林の写真集「日本の作家」には、織田作之助(右)を撮影していたところ、「織田作ばかり撮っていないで、俺も撮れ」と泥酔した太宰に絡まれて撮影したというエピソードも残っています。絡まれなかったら、日本で1番有名な太宰の写真は生まれなかったということです。ちなみに「日本の作家」では、このエピソードを体現した見開きページ構成となっています。

さて、太宰の自叙伝ともいえる「人間失格」の主人公、葉蔵は中毒性が強く、かつては一部の国で製造禁止にまでなった禁断の酒、アブサンを「喪失感」に喩えています。アブサンは他の酒よりも強い高揚感が得られることから、ゴッホやピカソ、ヘミングウェイといった海外の芸術家も愛飲していました。

飲み残した一杯のアブサン。
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥にもだえるのでした。

「人間失格」より

太宰もまた、アブサンを愛飲する芸術家の1人でした。太宰は酒を飲むことについて「酒を呑むと、気持を、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる。」と随想「酒ぎらい」で語っています。絶えず繰り返してしまう自問自答に苦しんだ太宰は、酒の力を借りることで心の平静を保っていたのでしょう。

 

坂口安吾ゆかりの地で造られた酒、「越の露」

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4003118219

太宰と同じ無頼派の作家である坂口安吾もまた、酒をこよなく愛する作家でした。安吾は酒に関する随想を複数残しており、そのなかの1つ「酒のあとさき」では酒を飲む理由について「なぜ酒をのむかと云へば、なぜ生きながらへるかと同じことであるらしい。」とまで断言しています。これらの随筆には中原中也や尾崎士郎といった名前が登場するため、安吾が酒を通じて様々な作家たちと交流を深めていたことが分かります。

安吾にとって姉が嫁いだ村山家のある新潟県松之山町(現在の十日町市)は縁のある土地となっており、酒の蔵元だった村山家で作られた酒、「越の露」は安吾が愛したお酒として知られています。

尾崎士郎氏が月々の酒代に怖れをなして相談をもちかけてきたので義兄の紅村村山真雄氏が「越の露」の醸造元であり、かねて知人関係へは一斗十円でわけてくれる例があつたところから、紹介した。

「新潟の酒」より

「越の露」を造っていた醸造所は一度無くなってしまいましたが、他の蔵元と合併したことで「越の露」は復活を遂げました。更に坂口安吾生誕100周年を迎えた2006年には、安吾の写真が使われた特製ラベルが貼られた越の露が記念酒として発売され、好評を博しました。

 

酒乱だった中原中也が喧嘩を売った相手とは

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4101290210

中原中也は周りの人に喧嘩を売るほど非常に酒癖が悪く、酔った中也に絡まれることを恐れた太宰は酒の席の途中で二度も逃げ帰るほどでした。

また、安吾も酔った中也に絡まれた経験を持つ作家の1人でした。お気に入りだったバーの女性が安吾に惚れていると知った中也は、初対面の安吾に対して突然殴りかかります。

中原中也は、十七の娘が好きであつたが、娘の方は私が好きであつたから中也はかねて恨みを結んでゐて、ある晩のこと、彼は隣席の私に向つてやいヘゲモニー、と叫んで立上つて、突然殴りかゝつたけれども、四尺七寸ぐらゐの小男で私が大男だから怖れて近づかず、一米ぐらゐ離れたところで盛にフットワークよろしく左右のストレートをくりだし、時にスウングやアッパーカットを閃かしてゐる。私が大笑ひしたのは申すまでもない。五分ぐらゐ一人で格闘して中也は狐につまゝれたやうに椅子に腰かける。どうだ、一緒に飲まないか、こつちへ来ないか、私が誘ふと、貴様はドイツのヘゲモニーだ、貴様は偉え、と言ひながら割りこんできて、それから繁々往来する親友になつたが、その後は十七の娘については彼はもう一切われ関せずといふ顔をした。それほど惚れてはゐなかつたので、ほんとは私と友達になりたがつてゐたのだ。

「酒のあとさき」より

殴りかかったと聞くと緊張感のある場面に思えますが、その時の様子を語る安吾の随想からはユーモアも感じられます。喧嘩腰の中也に腹をたてず、大笑いして「一緒に飲まないか」と誘った安吾の方が一枚上手だったと言えますね。

そんな中也が酔って周りに喧嘩を売っていた理由の1つに、小林秀雄の存在が大きく関わっています。中也が愛していた長谷川泰子を奪いとった小林秀雄は、「様々なる意匠」が「改造」の懸賞論文において入選したことをきっかけに一躍文壇で注目を集めていくこととなります。そんな小林の姿を見た中也は自分自身を歯痒く思い、つい酒を飲んでは苛立ちを周りにぶつけてしまっていたのでしょう。

では、中也の酒癖の悪さは、彼の詩作品にどのように影響しているのでしょうか?「宿酔」という詩の中で描かれている二日酔いの風景の中には、傍若無人な酒乱エピソードとは少し違う、内省的で、繊細な彼の一面が表されています。

朝、鈍い日が照ってて

風がある。

千の天使が

バスケットボールする。

「宿酔」

二日酔いの朝、誰もが感じるあの「やっちまった……」の気持ちを、静かに、気だるく囁くように表現している詩です。

 

酒好きが高じ、居酒屋の店主にまでなった草野心平

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/400311311X

中也と太宰が飲んでいた場に同席し、蛙を題材にした詩を多く作った詩人、草野心平。草野は酒好きが高じ、ついには居酒屋を開いたものの、客よりも店主が飲んでしまうことから経営は店名通り「火の車」であったそうです。そしてメニューには「鬼」(焼酎)、「悪魔のブツ切り」(酢だこ)、「美人の胴」(板わさ)と名付けており、火の車は高村光太郎檀一雄といった文人仲間たちの憩いの場になっていました。

また、草野は酒を題材にした作品、「豊旗酒」を創作しています。

八岐大蛇が飲んだのは猿酒だったか。
それとも人間がつくつた紅い莢蒾の酒だったらうか。
などと他愛ないことを考へながら。
冷や酒を飲む。
二十世紀の後半で。
古事記の時代を遠想しながら。
(酒が酒を飲むとはよく言つたものだ。)
着物はなめした月の輪熊。
ちやんちやんこは青猪の皮。
なんて勝手にカッコつけながら。
(酒が酒を飲むとはよく言つたものだ。)
二階のベランダにおんでたら。
ああ凄い。
ヴァミリオンの豊旗雲。
その真つ下の富士は生憎見えないが。
コップをあげて豊旗の雲を映し。
七十五歳ごとガッと飲む。

「豊旗酒」より

「八岐大蛇」や「古事記」、「富士」という言葉から雄大な想像をしながら、語り手が冷酒を飲む様子を表現しています。旗がなびいているように空にかかる美しい「豊旗雲」のように、空に広がるイメージがこの詩から伝わってきますね。

おわりに

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自宅で優雅に晩酌をするタイプ、バーで仲間たちと楽しく杯を交わすタイプと、作家の中でもお酒を楽しむスタイルは多種多様です。しかし共通していえるのは、お酒から得られるインスピレーションを創作に活かしていることなのではないでしょうか。

あなたもグラスを片手に、お酒を愛した作家たちによる文学を味わってみませんか?

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