ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第105回
作家は編集者の意見を
聞くべきか?
結局結果論である。
それだけ聞くとそこまで燃える話かという気もするが、これは要約であり、編集者のことだから考え得る限り最もムカつく言い方をしていたのだろう。
もしくは私のように「編集者が言ったというだけで怒る」作家がすでに3万人ぐらい存在するに違いない。
もし、直さなくても良いものを直せと言っているなら単純に時間の無駄であり、何故そんなことをするのかも不明だ。
しかし「純粋な嫌がらせ」であるならある意味清々しいし、こちらも担当に対し「純粋な私怨」以外の感情はもってないので、珍しく気が合ったとも言える。
または「担当の言う通りではなく、それを超える修正をしてこい」という意味だろう。
つまり、素直に担当の言う通りに修正したら「やれやれ担当の言いなりとは、こいつも先が知れているな」と思われているということである。
これは客の指定通りの時間に荷物を届けたら「言われた通りに届けるなんて御社もその程度か、もっといつ届けるのがベストか自分で考えてほしい」と言われているようなものだ。
このように「言葉の裏を読め」という発想をビジネスに持ち込まれるのは困る。
担当の「ここはちょっとセンシティブなのでもっと穏当な表現に変えてもらえますか?」という指示を「もっとエキサイティングにしてこい」という意味だと裏読みし、さらにド差別表現にして提出したら、普通に再修正になる上「こいつもしかして日本語がわからないのか?」と思われるだけになってしまう。
自分で考えて欲しいなら「ここもうちょっと頭使ってもらっていいすか?」とはっきり言ってほしい。
「言わなくてもわかってよ」が許される関係は乳児と親、もしくはつきあって3日以内のカップルだけだ。
「何を言っても許されない」でおなじみの作家と編集の間でそんなことがまかり通るわけがない。
しかし実際「担当の言う通りに直すのだけは死んでも嫌」という一心のみで、直さなかったり、担当の指示とは全然別の修正をして再提出することはよくある。
だがこれが作家に必要な自発性かというと、母親が買った服を着るぐらいなら全裸外出も辞さない中学生と同じメンタルだったりもするので、必ず編集の案に反発しなければいけないわけではない気がする。