ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第111回

「ハクマン」第111回
「Twitter はおしまいだ」
と騒がれているが、
移住先が見つからない。

アルコール依存症の人にとって「酒がこの世からなくなる」というのは強制的に断酒できてラッキーまであり、それによって生活は改善されるだろう。
同じように漫画家も Twitter がなくなれば原稿を邪魔するものが一つなくなる、ともいえる。
しかし、私にとって Twitter が終わってしまうのは、単に娯楽や依存先がなくなってしまうという話ではない。

依存傾向が強い人間は Twitter がなくなったところでまた別のものに依存するだけである。
むしろ「酒がないなら大麻をやればいいじゃないの」というマリー・ハンシャワネットの提案によりもっとダメなものに依存してしまうかもしれない。

インボイス制度を実施したことにより、フリーランスが諦めて会社員になるかというと、「無職になるだけ」の可能性が高いのと同じように、漫画家から Twitter を奪ったところで別の「原稿以外の何か」をはじめるに決まっている。
むしろ原稿からの逃避衝動を Twitter で消化していたことにより「頭髪を抜く」などの自傷行為を防げていたのかもしれない。
もしエゴサ1回につき毛を1本抜いていたとしたら、私は現在リトルグレイになっているはずだ。

Twitter が原稿への集中を欠かせるツールであることは否めない。しかしそれ以上に Twitter は私にとって、なくてはならない宣伝ツールであり、そして「ワンチャン」あるかもしれない場所なのだ。

正直私の「こういう媒体でこういう漫画を描いてます。見てね」という仕事情報を皆様に届ける術は現在 Twitter 以外ないのである。

よって Twitter がなくなったら、私の「連載が誰にも知られないまま終わる率」が余計高まってしまうのだ。
Twitter で宣伝すれば、少なくともフォロワーには仕事情報が届くし、あわよくば拡散によって広く知られることだってある。
むしろ、無名の作家が少部数の雑誌だけで連載しているような漫画というのは「Twitter バズ頼み」なところがある。

単行本発売と同時に「〇〇が××した話」といういつもの定型文で1話分Twitter に流し、それがバズるか否かで作品の命運はかなり変わってくる。

もちろんバズが売上に直結するわけではなく、Twitter でタダ読みだけして買わないというスパーク一発やり逃げを食らうこともあるが、逆に言えば「Twitter バズがなければもっと悲惨なことになっていた」ということである。

つまり Twitter がなくなったとしたら、私は今後「もれなく悲惨なことになる」ということだ。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

萩原ゆか「よう、サボロー」第5回
◎編集者コラム◎ 『緑の花と赤い芝生』伊藤朱里