ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第136回

「ハクマン」第136回SNSでの宣伝は
作家や担当編集の
やる気にかかっている。

実際、担当がどれだけSNSを使って宣伝してくれるかは、かなりガチャ要素があると思う。
同じ媒体でも、担当によって、積極的に宣伝する者もいれば、最低限の情報だけ流す者、そもそもアカウントを作らない者など差が激しい。

しかし、やらない者が怠慢かというとそうでもない。SNSでの宣伝が漫画家の仕事かというと、そうではないように、これが編集のマストの仕事かというと、おそらくそういうわけでもない。誰の仕事でもない自主性にまかせる分野なのだ。

だが、会社に寝袋持ち込みでやらなくていいことまで自主的にやろうとする、動脈にユソケル、静脈にモソスターを打っている社員が1人いるだけで、周囲まで同じレベルの仕事を求められてしまうように、SNSを巧みに使って宣伝をしている編集がいるため、何故うちのはこのレベルでやらないのか、という不満が出てしまうのだ。

しかし、深淵をのぞいている時、深淵もこちらをのぞき、でかいため息をついているように、漫画家が編集に不満を抱いている時、同じ不満を編集に抱かれている可能性がある。
つまり、SNSを巧みに操りバズっている作家を見て「なんでうちの作家もSNSやってるのにソシャゲのスクショばかり上げてこういうことしないのかな?」と思っている編集者も少なからずいそう、ということだ。
しかし、「もっとSNSで宣伝しませんか」などと直接言ったら、作家はトンガリだすし、まして「●●先生みたいに宣伝しませんか」などと言ったら、愛娘の命が危ない。
ちなみに作家にとって「✕✕みたいな漫画描いてください」と言われるのは基本的に侮辱だとされている。

確かに真意はどうあれ「だったら✕✕先生に描いてもらえよ」と思うし「✕✕先生には受けてもらえそうにないから、それより格下の自分に0.4掛けの原稿料で似たようなものを描かせようというつもりか」など作家特有の想像力が悪い方向へ力強く羽ばたいていきかねない言葉である。

だが幸い、私はそのようなことを言われたことはない。
おそらく、私は「みたいな漫画」を描こうと思っても描けないと思われているからだ。
ヒット作みたいな漫画を描こうと思えば描けると見込まれてるという意味で、そう言われるのはまだマシと言える。

「●●先生みたいに宣伝してくれ」は、それ以上に作家を尖らせそうな要請だが、実は似たようなことがあった。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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