ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第138回

「ハクマン」第138回
私にとって東京は
「親の仇」であり、
行くだけで疲れる場所だ。

私は極力上京したがらないし、どうしても行かなければいけない時も大体日帰りにしている。

この奇行の理由を問われた場合「疲れるから早く帰りたい」と答えるのだが、もしかしたら「東京なんてもう行き飽きちゃったよ」というヤレヤレマウントと思われている恐れがある。

確かに、夫の親戚側からは「何をやっているのかさっぱりわからないが、たまに東京に行くような仕事でたまに東京カンパネラをくれる奴」という一点のみで存在を許されている感はある。

我が村にとって、東京というのは未だに求心力のある場所であり、大概の村民からは「仕事で東京に行けるなんていいね」と言われるのだが、唯一渋ヅラをするのが私の実家、特に母である。

私が東京に行ってきたというたびに「また凍狂に行ってきたのか…」と、スクルトやバイキルトがはがれそうな凍てつく声で言ってくるため、できるだけ母に東京へ行くことは言わないようにしている。

母が私の東京行きを嫌がるのはコロナ以前からだ。

漫画家になることは止めなかったが、デビューが決まり、顔合わせのための上京に対しては「それは行かなければダメなのか」と止めてきたほどだ、

当時の私は20代半ばにもなって反抗期と思春期を脱し切れていない元気なパラサイトシングルだったため、母の苦言を無視して東京へ行ったのだが、今だったら「お母さんの言う通りあのようなクレイジーアイスシティに行くべきではありませんね」と受け入れ、デビューも断念、祖母の遺族年金と母の厚生年金だけが収入源だったと思うので、母も結果的には反抗されて良かったのではないかと思う。

しかし、母の東京嫌いがどこから来ているのかは謎である。

村から一歩も出たことがない昔の人間が、都会はマッドマックスに違いないと想像して止めてくるならまだわかるのだが、母は若かりしころ東京にいたはずなのだ。

一体母は東京でどんな目にあい、何を奪われたのか、あの忌諱感からして、確実に片肺は奪われているだろうし、片眼もとっくの昔に義眼な可能性もある。

つまり、私にとって東京は「親の仇」なのだ、本能的に長居をしたくないと感じるのは当然だろう。

実際「疲れる」というのは偽らざる本音であり、むしろ東京に行くだけで疲れるというのは全然都会慣れしていない田舎者の証である。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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