ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第138回
私にとって東京は
「親の仇」であり、
行くだけで疲れる場所だ。
よって、未だに自動改札を通る時は不法入国するぐらい緊張するし、乗り逃した電車が3分後にまたやってくることに無限ループの可能性を感じてしまう。
そういった田舎にはない都会特有の事象に出合えば田舎者らしく感動し、田舎に帰ればその話を嬉々とするのだが、何せ最近は空港から微動だにしないのだ。
よって「羽田が広い、そして我々の村へ飛ぶ飛行機の搭乗口は遥か遠くに追いやられているためたどり着くのに時間がかかるし、たまに謎のバスにも乗せられる」以外の話題がなくなり、何回も同じ話をするのも悪いので、略して「疲れる」の一言になってしまっているだけなのだ。
しかし、前回の状況でK談社に行ったのは久しぶりに新鮮な体験であった。
私はK談社デビューであり、15年近くK談社とは途切れなく仕事をしているはずなのだが会社に行ったことは3回ぐらいしかなく、前回行ったのはコロナ前である。
まずK談社はでかく、我が村にこんな巨大な企業は存在しないため、建物を見ただけで「でけえー!」と毎回彼岸島のように感動できる。
しかし、はしゃげるのは中に入るまでだ、何せ出版社なので、内部にはところ狭しと、今売れている作品のポスターやポップが飾ってあるのだ。
私は売れている本が嫌いだが、さすがに本人が書いていないウォーレン・バフェットの投資本が100万部突破と聞いても、そこまで動揺はしない。
しかし出版社の場合、同出版社の漫画、かつ同じ雑誌連載など、同条件なのに売上が雲泥の作品が視界に入ってしまうため、ある意味書店よりも地雷である。
よって8番出口なら永久に脱出できないレベルで視線を壁などに逸らさず直進、もしくは進撃の巨人など、もうどうしようもなく売れている作品を安全地帯として視線を移動していくしかない。
よってK談社内部のことはあまり記憶にないのだが、何となく羽振りが良くなってないか、と感じる点はあった。