ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第144回

「ハクマン」第144回
私が漫画家を志したきっかけは、
小学2年生の時に読んだ
さくらももこ先生のエッセイ漫画である。

アツい、というのはもちろん「新作楽しみ」ではなく、30年前の「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」の思い出で胸が焼けた、あと更年期、という意味だが、実際ドラクエ4コマは私にとって大きな存在である。

前にも書いたと思うが、私が漫画家を志したのは、小学2年生の時、さくらももこ先生のちびまるこちゃんに掲載されていたさくら先生のエッセイ漫画がきっかけである。

つまり、私の人生から不要な部分を全て削ぎ落とせば「小学生時代の夢を叶えた人」という勝ち組になるのだが、そうするとそれ以上のことを聞いてこようとする奴を全員ぶん殴らなければいけなくなるため、治安のためにあえて不要な部分も残してある。

漫画家を志したきっかけはさくら先生だと断言できるのだが、具体的にどのような漫画家になりたかったかというと「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」だったのだ。

私はオタクを自称しているが、誰もが知っているような有名漫画やアニメを知らないことが多く、一体何を根拠にオタクを名乗っているのかと聞かれることも多いのだが「性根」と答えた時点で大体12割の人が納得してくれる。

逆に全員それ以上聞いてくれなくなるので、語る機会を逸し続けていたのだが、私が青少年時代を、ゲームや漫画に費やしてきたのは事実であり、少ない小遣いもそれらにつぎ込んできた。

ただ、買っていた漫画が、ジャソプ系とかではなく「ゲーム4コマ」だったのである。

こっちにつぎ込んでいたため、流行りを履修するような余裕はなく、それを貸してくれるような友人もいなかったため、一般人でも知っている重要な知識がごっそり抜けている「青春を独房で過ごしたとしか思えないオタク」になってしまったのだ。

ゲーム4コマとはゲームを題材にしたパロディ4コマ漫画であり、商業誌の中ですら二次創作が好きという意味ではこれ以上なくオタクと言っていいだろう。

ゲーム4コマにハマったきっかけはもちろん「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」であり、おそらくゲーム4コマというジャンルの始まりもここからなのではないかと思う。

二次創作の一種とはいえ同人誌ではないので、当然BLやDB(ドスケベブック)のような大胆なアレンジはないが、それでも作家独自のキャラ解釈なども存在している。

「クリフトがアリーナに気がある」という設定はドラクエ4コマから来ており「公式が逆輸入」の走りではないかと言われているが、この点についてはまだ議論されており、ここで結論を出そうとすると死人も出るので、この話はここで終わりだ。

ドラゴンクエスト4コママンガ劇場は、複数の作家が寄稿しているアンソロジー本だが、柴田亜美先生や衛藤ヒロユキ先生などの有名作家も参加していたりする。

「こいつ1人だけ異彩を放ちすぎてないか」という作家が、その後オリジナルでヒットを出したりするのも、ゲーム4コマ界の侮れない部分だ。

そしてドラクエ4コマ劇場には読者投稿コーナーがあり、そこで頭角を現した投稿者が、次巻で作家としてデビューしていることも珍しくなかった。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

藤原麻里菜『不器用のかたち』
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