ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第153回

「ハクマン」第153回
漫画家の「やる気を失う」は
「正気を取り戻す」と
同義だったりする

作家の休載理由は様々であり、私のように編集者急病で休むこともあるのだが、作家の体調不良、そしてやる気枯渇により描けなくなった作家の気力充填期間としての休載もあるような気がする。

単純に、作家のやる気は「調子」に比例するものだと思っていた。

作品の調子がよく読者の反応もよければ、やる気が出るしアイディアも次々に浮かんでくる。逆に面白いと思われてない以前に、誰も読んでない漫画を描き続けるのは苦痛でしかない。

ただ、読者が見かける休載のお報せは、むしろ人気作の方が多いだろう。

これは、不人気漫画の場合、作家のやる気減少速度よりもスピードキングである「打ち切り速度」の方が遥かに上回るため、休載よりも最終回の方が先にやってくるからだ。

再開を待つ読者あってこその「休」であり、いないなら「終」にした方が早い。

人気作の場合、気力はあるが激務すぎて体調を崩すこともあるし、逆に人気作を長く、そして最後まで続けるための充電期間を設けたりもする。

そういえばメディア化した作品の原作が、その後休載したり、更新頻度を落とす傾向もあるような気がする。

常に終が休を追い越していく側から見ると、メディア化で勢いづいた時に休むなんてもったいないと思っていた。

もちろん、メディア化により金銭的余裕が出て休んでも大丈夫になったという場合もあるだろうし、メディア化がクソすぎたせいで原作者がビョウんで描けなくなったと言われる例も少なくはない。

だが、経済やメディア化のデキに関係なく「虚脱」が訪れたという可能性もある。

メディア化という一つの目標を達成したことによりゴール感が出てしまい、まだレース(連載)は続いてますよと肩を叩かれても「し、死んでる!?」の状態なのだ。

今まさにそんな感じであり、実際には何も終わっておらず、むしろ経済的には先日の株価暴落により、今後数年は損を補填するだけの人生が決定しているにもかかわらず、気持ちだけがFIREを達成した人のようになっている。

何十年も活躍する大御所作家のすごいところは、私が完全に「終点」と錯覚してしまうメディア化を何回経験しようと全く賢者モードにならない点である。

もし私が今後、活動を休止しても、ドラマで儲けて余裕ができたとは思わないでほしい。仮にドラマで儲かったとしても、投資の損が補填できるかわからない状態なのでそれだけは確実だ。

むしろ、金もないのに気力を失っている、という一番ヤバい状態なので、ほしいものリストとかを公開しだしたら、すぐさま応じてほしい。

「ハクマン」第153回

(つづく)
次回更新予定日 2025-6-11

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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