SFは海外だけのものじゃない!素晴らしき日本のSF小説史

海野十三、小松左京、星新一、筒井康隆……。日本には、優れたSF小説の伝統と歴史があります。今回は、そんな日本のSF小説史について各時代の主要な出来事、代表作とともにご紹介!

「Science(科学)」と「Fiction(虚構)」、この2つの要素を兼ね備える小説ジャンルといえば「SF」です。SF作品の世界観の中では、タイムマシンや宇宙船をはじめとする未来の科学技術のほか、宇宙人、ロボットなどといった未知の存在が描かれます。このユニークな世界観が読者を楽しませるため、老若男女を問わず、世界中にファンが存在しているのです。

そんなSF小説について皆さんは、日本よりも海外のほうが盛んに書かれている……といったイメージをお持ちではないでしょうか。

しかし、日本の科学史をさかのぼってみると、明治維新をきっかけに、日本もまた着々と近代化に向け動き始めていく中で、SF的な発想を数多く生み出していたのです。では、近代以降の日本では、どのような時代の変化に合わせてSF文化が根付いていったのでしょうか。今回は日本のSF小説史について、各時代の主要な出来事とともに迫っていきます。

 

<1870年代〜1910年代>SF小説が日本へやってきた!

1878年 日本初の翻訳SF小説『新未来記』が出版される
ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』が翻訳・出版される
1900年 押川春浪『海底軍艦』発表
1913年 H・G・ウェルズ『タイムマシン』、『透明人間』が翻訳・出版される
1915年 H・G・ウェルズ『宇宙戦争』が翻訳・出版される

日本に初めてSF作品が持ち込まれたのは、1878年のことでした。明治時代が始まって11年が経った頃、オランダの植物学者ペーター・ハルティンクにより書かれた作品『西暦2065年』を蘭学者の近藤真琴が『新未来記』として翻訳、出版したのです。この『新未来記』は、主人公が夢の中で出会った2人の男女から未来世界(2065年)を案内される作品となっています。その未来世界の中では、都会がドームで覆われ、テレビのような通信技術が普及しているのですから、とても19世紀の小説とは思えません。

また、同年にはSF界の巨匠として名高いジュール・ヴェルヌの作品『八十日間世界一周』の前編が翻訳され、出版されました。その後を追うように『月世界旅行』『十五少年漂流記』など、ヴェルヌ作品が続けて翻訳されています。その背景には、欧米との交易が当たり前になった明治時代、日本人が国外への興味を強く抱き始めた事情がありました。そのような好奇心に満ちた時代にあって、未知の世界を描いた海外のSF作品に日本人が夢中になるのは自然な流れだったでしょう。

1900年になると、後に“冒険小説”のジャンルを日本に定着させることとなる作家、押川春浪おしかわしゅんろう『海底軍艦』を発表。化学反応を動力源とする海底軍艦、電光艇が海賊団と戦うこの物語は、当時の少年たちの心を掴み、大ヒット作となりました。

そしてこの頃、『タイムマシン』、『宇宙戦争』などの作者であり、「SFの父」とも呼ばれるH・G・ウェルズの作品が続々と日本語訳されています。明治時代、日本にSF文化が芽吹き始めるきっかけは海外からもたらされたのです。

 

<1920年代〜1940年代>「急速な科学の進歩」を憂うディストピア小説が発表された時代

1928

海野十三『電気風呂の怪死事件』を発表

1933

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』が翻訳・出版される

1937

海野十三『十八時の音楽浴』を発表

1949

ジョージ・オーウェル「1984年」を発表

1928年、日本SFの始祖と呼ばれる作家、海野十三うんのじゅうざが『電気風呂の怪死事件』でデビューを果たします。海野は科学知識に基づく推理小説や軍事小説を多く発表しますが、同時に科学が持つ危険についても理解していました。

恩恵と迫害との二つの面を持つのが当今の科学だ。神と悪魔との反対面を兼ね備えて持つ科学に、われ等は取り憑かれているのだ。斯くのごとき科学力時代に、科学小説がなくていいであろうか。否! 科学小説は今日の時代に必然的に存在の理由を持っている。

『地球盗難』 作者の言葉より

そんな海野は1937年に『十八時の音楽浴』を発表し、科学技術の未来について世に問うたのです。

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この『十八時の音楽浴』の舞台となるのは、マインドコントロール効果がある音楽を国民に聴かせ、労働力を上げることで、大統領へ忠誠を尽くす人間を作り上げようとする架空の独裁国家、ミルキ国。独裁政権が科学の力をもって国民の自由を奪う様子が描かれています。

「ああ、ソノほかでもないが、博士には敬意を表したい。博士の音楽浴の偉力によって、当国は完全に治まっている。音楽浴を終ると、誰も彼も生れかわったようになる。誰も彼も、同一の国家観念に燃え、同一の熱心さで職務にはげむようになる。彼等はすべて余の思いどおりになる。まるで器械人間と同じことだ。兇悪なる危険人物も、三十分の音楽浴で模範的人物と化す。彼等は誰も皆、申し分のない健康をもっている。こんな立派な住民を持つようになったのも博士のおかげだ。深く敬意を表する。……」

『十八時の音楽浴』より

第二次世界大戦の前夜から、戦後にかけての時代、急速に発達を遂げる科学技術の悪用危険性について問題化したSF作家たちが多数登場しました。海野の『十八時の音楽浴』の他にも、1932年にオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が、1949年にジョージ・オーウェルの『1984年』が発表されたことからも、その時代のあり方がうかがえます。

この3作品に共通しているのは、人々の思想や言語に統制が加えられ、自由な生活が送れない社会を描いているという点。科学によって便利で豊かな生活(ユートピア)を実現できるはずが、予想を超える速度で科学が発達していったため、SF作家たちも楽観的ではいられなくなったのです。

 

<1950年代〜1960年代>日本SFの流れが加速した時代

1952

手塚治虫「鉄腕アトム」連載開始

1957

SF同人誌「宇宙塵」創刊

1958

星新一『おーい出てこーい』、『ボッコちゃん』発表

1959

SFマガジン」創刊

安部公房『第四間氷河期』発表

1963

日本SFクラブ創立

1967

筒井康隆『時をかける少女』発表

1969

藤子・F・不二雄「ドラえもん」連載開始

アポロ11号が月面着陸に成功

終戦後、1950年代になると、日本のSFは急速に発展を遂げます。

1952年に日本漫画界の巨匠、手塚治虫が漫画『鉄腕アトム』の連載を開始。近未来を舞台にロボットであるアトムが活躍するこの漫画は、1966年には日本で初めての国産アニメーションとして放映され、平均視聴率が30%を超えるほどの人気を博しています。この時までSF作品といえば小説を中心に発表されていましたが、アニメや漫画からも次々と生み出されるようになったのです。

1957年にはSF作家・翻訳家である柴野拓美が主宰する団体「科学創作クラブ」によってSF同人誌『宇宙塵』うちゅうじんが創刊されます。SFの創作や翻訳、評論が掲載されていたこの同人誌は、星新一、小松左京、筒井康隆など、後に日本を代表することとなるSF作家たちの作品発表の場となっていきます。

優れたショートショートを数々残したことから「ショートショートの神様」とも呼ばれる星新一は、この『宇宙塵』に代表作の『おーい でてこーい』『ボッコちゃん』を発表しています。

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過去記事:【クイズ】星新一のショートショートから伏線の回収法を学ぼう!

星は東京大学の大学院で農芸科学を研究していたものの、父の急逝により大学院を中退して会社を継ぐことを余儀なくされます。結果会社を手放して処理に追われる星が出会ったのは、SF作家レイ・ブラッドベリ『火星年代記』でした。会社の経営悪化により辛い毎日を過ごしていた星にとって、豊かな空想の世界を描いたSFは数少ない救いだったのです。

「宇宙塵」がSF同人誌の草分け的な存在として登場した後、1959年には『SFマガジン』が早川書房から創刊されます。創刊号にはフィリップ・K・ディック、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークといった海外の有名SF作家たちの作品を掲載するなど、SFファン垂涎のラインナップでした。そしてこの『SFマガジン』には手塚治虫、藤子・F・不二雄、松本零士など様々な漫画家も数多くの作品を発表しています。

当時『SFマガジン』に作品を掲載していた作家の1人、安部公房は1959年、本格的長編SF小説である『第四間氷期』を発表します。

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『第四間氷期』の主人公である「私」は、天気予報、株価予測、経済指数を正確に的中させるソビエトの予言機械「モスクワ1号」に対抗すべく予言機械「KEIGI-1」を開発。試しに街で見かけた中年男性の未来を予言しようとしたことをきっかけに、大きな騒動に発展していくというこの小説は、安部公房ならではの不条理な世界観とSF的想像力がうまくマッチした作品といえるでしょう。

『宇宙塵』、『SFマガジン』に続いて、1963年には小松左京や星新一を含んだ11人のSF関係者によって「日本SF作家クラブ」が発足します。初期の活動内容として同クラブは、見学旅行や国際SFシンポジウムの主催など多岐にわたる活動を行っていました。

1967年、後にこの日本SF作家クラブにて4代目の会長務めることともなる筒井康隆『時をかける少女』を発表。それまでナンセンスで、ブラックユーモアに富んだ作品で人気を集めていた筒井でしたが、この作品のヒットを皮切りに少年少女を主人公にしたSF作品を発表していきます。

1969年には藤子・F・不二雄による「ドラえもん」が連載を開始。そして同年、アポロ11号が月面着陸に成功したことによって日本人とSFの関わり方は大きく変化します。それまで未来の世界を描いていたSFが日常の一コマに降りてきたこと、そして未知の世界であった月面に人類が降り立つ映像が一般家庭のテレビ画面を通じて全国に放映されたことは、「日常」と「SF」が未だかつてない近さによって結ばれた瞬間でもあったのです。

 

<1970年代>「SFの浸透と拡散」により、SFの立ち位置が変わった時代

1970

日本万国博覧会が大阪で開催

1973

小松左京『日本沈没』発表

1974

『宇宙戦艦ヤマト』TVアニメ放送開始

1978

映画『スターウォーズ』公開

1979

『機動戦士ガンダム』TVアニメ放送開始

1970年、大阪で開催された日本万国博覧会は、日本人の科学に対する好奇心に火をつけた歴史的なイベントでした。この万博は、後に浦沢直樹の漫画「20世紀少年」で主要なテーマとして描かれている通り、クールな最先端技術とその応用可能性に人々を興奮させることとなったのです。

筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と表現しているように、1970年代は日本におけるSFのあり方がより一般的なものとなった時代でもありました。「宇宙戦艦ヤマト」、「機動戦士ガンダム」をはじめとするテレビアニメ、映画「スターウォーズ」の大ヒットなどが後押しとなって、それまでSFというジャンルが負っていた「宇宙だのロボットだの、何かよくわからない子どもっぽい低俗なもの」という批判的なイメージが解消されたのです。

また、1973年に発表された小松左京『日本沈没』は本格的なハードコアSF作品として、社会現象になるほどのヒット作になりました。

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この1973年はオイルショックから物価が高騰し、高度経済成長に陰りが見え始めた年でした。そんな時代にあって、日本の危機をリアルに描いた『日本沈没』は人々に衝撃を与えることとなります。日本万国博覧会でテーマ館のサブプロデューサーを務めていた小松左京によって描かれた悲観的な未来が、万博から始まった輝かしい未来ブームに一石を投じることとなったのです。

 

<1980年代〜2000年代> 日本SF大賞のはじまりとセカイ系

1980

日本SF作家クラブが、「日本SF大賞」を設ける

1983年

大友克洋『童夢』が日本SF大賞を受賞

1997年

『新世紀エヴァンゲリオン』が日本SF大賞を受賞

2009年

伊藤計劃けいかく『ハーモニー』が日本SF大賞を受賞

1980年、日本SF作家クラブは新たに「日本SF大賞」を創設します。それまでにもSF作品に関わる賞として、ファンの投票で受賞作が決まる「星雲賞」などの存在がありましたが、この日本SF大賞は「SF関係者が優れたSF作品を選ぶ」というハイレベルな選考基準を持つ賞でした。

日本SF大賞のこれまでの受賞作の中には、大友克洋の『童夢』、映画「ガメラ2 レギオン襲来」、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」など、幅広いジャンルの作品が名を連ねます。このジャンルの幅広さについては、日本SF作家クラブ代表として小松左京と筒井康隆が、「もし、他のジャンル、たとえば映像、漫画、SFアート、あるいは音楽などの分野にその年度においてきわだってすぐれた業績があれば、考慮の大賞とする事を妨げません」と声明を出している通り、賞の設立当初から小説の枠にとどまらないことを想定していたことがわかります。

1997年に「新世紀エヴァンゲリオン」がこの日本SF大賞を受賞した当時は、オウム真理教事件や阪神淡路大震災に端を発する社会不安や、1999年に世が破滅すると占った「ノストラダムスの大予言」がブームとなったことも相まって、SFの世界にも「セカイ系」のムーブメントが起こります。SFアニメ、漫画を中心に次々と生み出されていった「セカイ系」ジャンルの作品は、「少年と少女」「君と僕」の関係が世界の行く末に直接関わるという世界観によって、世界の崩壊を待ち望む世紀末特有の雰囲気を作り出したのでした。

また、1990年代後半には、インターネットが普及したことにより、情報技術が高度に発達した未来を舞台とした作品も数多く見られるようになっていきます。2009年に日本SF大賞を受賞した伊藤計劃けいかく『ハーモニー』はウェアラブルコンピュータが登場し、徹底した医療経済社会が築かれた2019年の近未来を舞台とする作品です。時代とともに進化を続けた技術は、SF作品の設定をより強固なものにしていったのです。

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<2010年代〜>未来を描き続けるSF小説

3D映画やVRが発達した現代において、かつて多くのSF作家たちが夢見た未来は近づきつつあります。星新一がインターネットの普及を、アシモフがロボットを、ハクスリーが遺伝子工学を作品の中で描いていますが、今やいずれも社会の中で実現している(しつつある)技術なのです。

国内では新たにハヤカワSFコンテスト、星新一賞などSF小説の賞が新たに創設されていきます。この星新一賞では人工知能が小説を書いたことも話題になりましたが、ここからまた国内の優れたSF作品が生まれてくることが期待されます。

海外だけでなく、国内のSF作品の歴史もまた深いもの。これからもまた、時代の変遷とともに日本のSF作品は未来を描き続けていくのです。

初出:P+D MAGAZINE(2016/12/26)

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