滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車④

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車

得体のしれない3人の謎がとけはじめたのは、
「南京虫問題」がやっと終結した、
ある平和な週末のことだった──

 順番がやっと回ってきて、カウンターに座ると、ハーヴェイはここのスタッフをよく知っているようで、カウンター越しに声をかけて軽いジョークを飛ばし、握手をしたついでにポチ袋に入れたチップを手渡した。担々麺(たんたんめん)だか何だったか、ほとんど肉なしの麺をずるずるとすすりながら、「あ、まだポチ袋、使ってるんだ」と思った。以前もハーヴェイは胸のポケットにポチ袋を忍ばせていて、チップを入れて手渡していたものだった。普通、チップは現金をそのまま渡すのに、わざわざポチ袋に入れるなんて、丁寧なことをするんだなあと感心したのを覚えている。

 担々麺を食べたあと、カジノを出て車を駐車場から出すときも、ハーヴェイは、ドアマンの肩をたたいて親しげに話しかけながらポチ袋を渡していた。

 それから、アトランティック・シティをドライブする間、やっぱりよくわからないことに、ハンドルを握ったジャネットは、小さい町なんだから適当に回ってよさそうなものなのに、ブロックごとに、まっすぐ行くのかターンするのかいちいちハーヴェイに指示を仰ぐのだった。ちょっと休憩しにマクドナルドの駐車場に車をつけたときだって、ハーヴェイにその狭い駐車場のどこに車をつけたらいいのか尋ね、いったん指示したハーヴェイが気を変えると、またハーヴェイの言う通り、ほんの数メートル車を動かして駐車し直すのだった。ジャネットは、まるでハーヴェイの操り人形だった、何も自分で決められないのだ。綾音さんのファンタジーにもびっくりしたけれど、ジャネットの隷従ぶりにもびっくりした。

 やがて、わたしたちは、アトランティック・シティを抜け、オーシャン・シティの海辺へと向かった。それは暑くもなく寒くもない、完璧な小春日和で、空にはひと筆描きしたみたいな薄い筋雲が流れ、浜辺にはべとつかないさわやかな潮風が吹いていた。目の前に広がる大西洋は、遠くは鏡のように穏やかで、浜辺に近づいたところでだけ波が立っていた。

 ハーヴェイがちょっとおかしくなり始めたのは、砂浜に3人で腰を下ろして、打ち寄せる波を眺めていたときだった。小さいことですぐに癇癪玉(かんしゃくだま)を爆発させるハーヴェイのことだから、最初は気に留めなかったのだけれど、だんだん様子がおかしくなり始めた。

 ハーヴェイは、「あんたはイエールやプリンストン出身の坊ちゃん嬢ちゃん連中と付き合いがあるんだろうけど、俺は違う、お高くとまっているハイソな人たちでなくて、俺は市井の人が好きなんだ、地に足を付けた大衆が一番いいんだ」と、勝手に決めつけられても困るのだけれど、ねちねちと絡み始め、浜辺をうろつきながら「白人の連中は人種差別主義者だ、奴(やつ)らはアジア人を見下げている、心の中は偏見まみれだ」と声を上げてののしり始めた。心の奥底にずっとねじ伏せていたものが、いきなり頭をもたげてきたようだった。

(つづく)
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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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