滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー⑦

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ

不思議な話だけれど、三郎さんの周りには、
表の世界とは別の時間が流れている。
「滞米こじらせ日記」、惜しまれながらの最終回!

 陽(ひ)だまりの中、くちゃくちゃと口を動かす音と、合間にしゅるしゅるとお茶をすする音が響き、時々、桜の花びらがひらひらと舞い降りた。まるで時間まで陽だまりの中で固まってしまったようなひとときだった。みんな、黙って、花見弁当を食べ続けた。

 花見弁当を食べながら三郎さんに何と声をかけたらいいのか、考えあぐねていた。三郎さんには本当に申し訳ないことをしたけれど、ゼニガメとホームセンター以外でも、何と言ったらいいのか見当もつかなかったし、おそらく三郎さんだってこっちとどんな話をしたらいいのか考えもつかなかったろうし、そもそも、何かを話そうなんてことは思いもしなかったのかもしれない。

 自分からはひと言も話さなかったし、人から話しかけられることもまずなかった三郎さんではあったけれど、だれに向かって何を話していいのかわからないときや、不特定多数の相手に話しかけたいときは、恰好(かっこう)の話し相手だった。

「三郎さん、どこかへ花見しに行くの?」

 社長が尋ねて沈黙が破られると、三郎さんは箸を止め、顔を上げた。

 ちょっと考えてから、

「花見は、今しとりますから……」

 とぼそっと答えた。すると、みんなが笑ったので、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)したが、笑ったほうがいいと判断したのだろう、力なくへなへなと笑った。

「こういうのじゃなくてさ、自分でどこかへ花見に行くことはあるの」

 社長がまた尋ねると、三郎さんは困ったふうな顔をした。箸は止まったままだった。三郎さんはしゃべっている間は食べていることを忘れるし、食べているときはほかのすべてを忘れるのだ。

「お花見じゃなくてもいいから、どこかへ何かしに行くことはないの?」銀子さんが、横から口を出した。

「週末とか連休とか、何してるの?」それからちょっと間を取って付け足した。「やりたいことっていっぱいあるでしょう」

 三郎さんは、弁当をひざの上に置いたまま、黙って考えているので、銀子さんは続けた。

「時々どこかへ行きたくはならないの? 山へ行くとか海へ行くとか。っていうか、どこへも行きたくないの?」

 三郎さんはちょっと悲しそうな顔をした。三郎さんは行きたいのか行きたくないのかさえよくわからないようだった。

「そんなじゃつまんなくならないの? いつも同じとこにいるとさ、飽きてくるでしょう、時々どこか遠いところへ行って気分転換したくならないの? 退屈じゃない? 何もしないと、ね」

 三郎さんが口を開きかけたそのとき、風がさっと吹き流れ、桜の花びらが一斉に舞い散って、ピンク色のしぶきがあたりに飛び散った。みんな息をのんだ。社長の頭にも、三郎さんの頭にも、花びらが雪片のように、積もった。

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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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