【特集】宮澤賢治

花巻農学校教師時代

女学生から「桑ッコ大学」と呼ばれた小さな農学校で、賢治は教壇に立った。生徒と一緒に考え、一緒に働く先生だった。岩手山やイギリス海岸に行った。子供たちのまわりを舞いながら、詩を書き、童話を読む青年教師がそこにいた。

親として、子供が心配でないわけがありません。まして、大事に育てた息子が東京に行ってしまったら、どんな苦労をしているのだろうと思うのが親心です。
父政次郎は賢治上京後しばらくして、様子を見るために上京しました。
その頃、賢治はまるで自分を苛めるかのように、すさまじい生活を営んでいました。
昼間は騰写版のガリ版きり、夜は国柱会の仕事の奉仕、時には街頭に立っての説教……しかも食事はおかゆと野菜だけの粗食でした。そのうえ、さらに何かに憑かれたように、原稿を書きはじめていました。
「文章を書く者は、その作品によっても教えの道を説くことができる」
「いま自分がつらいのは、それだけ甘える心があるからだ」
そう信じた賢治に花巻から電報が届きました。愛する妹とし子が病気だというのです。子供の頃から誰よりもかわいがっていた妹の病気は、賢治の心と体を故郷に向かわせるに十分な動機でした。
賢治が久しぶりに故郷に帰ったせいか、とし子の病状もよくなりはじめました。しかし、賢治は看病以外に故郷ですることがありません。売れない詩や童話を書いては気をまぎらしていましたが、ある日、そんな賢治に農学校の教師になってくれないかという誘いがありました。
「学校で農業を教えてくれないか」
これがもしかしたら、彼の天職だったかもしれません。
賢治は快諾し、教師としての第一歩をふみだしました。農学校で英語と数学、化学それに肥料や土壌の科目を受持ちました。つらい農業をやるのには、土地の改良や農業技術の進歩が必要だが、それ以上に人々に自然を愛する豊かな心が必要だと、賢治は生徒たちに熱く教えるのでした。

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天職ともいうべき農学校の教師になった日、養蚕室で式があり、校長に紹介されたあと、ペコリと頭を下げたという。丸坊主に洋服姿の青年教師時代の宮澤賢治。

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教科書など使わない授業が始まりました。北上川に出かけ、そのあたりの川岸を「イギリス海岸」と名づけたのもこの頃のことでした。石を拾っては生徒に説明したかと思うと、みんなを川岸に座らせ、森の話、星の話などをしては、生徒の目をより丸くさせていたのです。賢治の目も輝いていました。子供の頃のあの「石コ賢さ」の瞳が復活したのです。
ようやく明るさを取り戻した大正十一年十一月のある夜、妹とし子が亡くなりました。この悲しみが再び賢治を文学の世界へともぐりこませたのでした。

『春と修羅』
『注文の多い料理店』

広告も出した。東京にも売りこんだ。もちろん自分でも買いとった。だが、一向に売れない賢治の作品――。注文のまったく来ない二冊の本。文学史上画期的な本が賢治とともに泣いていた……。

いつかは詩人として世間に認められたい――そう思っていた賢治は、とし子の死をきっかけに、これまでに書いた詩をまとめた詩集『春と修羅』を出版しました。大正十三(1924)年四月のことでした。
そうはいっても、東北の無名な詩人の詩集を出してくれる出版社などありません。賢治が自らお金を出して、東京の関根書店というところから一○○○冊自費出版したのです。
そして当時有名だった詩人たちに、詩集を送りました。反響はわずかにありましたが、だからといって、特に売れたということはありません。しかし、新聞に一行程度ほめられただけでも、賢治は飛び上がらんばかりに喜んだのです。
何より賢治を喜ばせたのは、草野心平らが自分たちの雑誌「銅鑼」の同人に迎え入れてくれたことでしょう。
続いて、賢治はこれまでに書いた童話も一冊にまとめました。これももちろん自費出版です。本の題名は『注文の多い料理店』。そのなかには、「どんぐりと山猫」「山男の四月」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊りのはじまり」などを入れました。
いまではみんな宮澤賢治の代表的童話でどの本にも収録されていますが、しかし、当時はこれこそナシのつぶて、何の反応もありませんでした。
本屋さんに頼んで店に置いてもらってもまるっきり売れない。東京の本屋に送っても、まだ新しいのに古本屋に叩き売られてしまう始末でした。
賢治は落ち込みました。やっぱり自分には才能がないのだと思いましたが、そこであきらめる賢治ではありません。次の詩集を作るべく、賢治は恨むこともせず、また詩を書きはじめました。
童話を書いては、学校で生徒たちに読んで聞かせ、詩をノートに綴る。いつもカーキ色の上着を着て、ゴム長をはき、大きな麦わら帽子をかぶって学校に行く賢治。
宮澤賢治の詩や童話が世間に認められるようになったのは、賢治が死んでからのこと。必死に生きていた当時の賢治が何だかかわいそうな気がしませんか。
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