【前編】昭和の大作家、丹羽文雄を知っていますか? –谷口桂子(作家)

丹羽文雄は、人気作家として、幅広いジャンルで膨大な作品を執筆する一方、同人誌「文学者」を主宰して後進に発表の場を提供、また日本文藝家協会の理事長、会長を長くつとめた昭和文壇の重鎮です。これは同郷の作家・谷口桂子が、丹羽文雄の人となりについて、また丹羽文雄文学賞の創設に向けた思いを、前後編で書き下ろした熱筆エッセイの前編です。

50歳を過ぎてから始めたゴルフにはまり、6年後にはシングルの腕前に

写真:林忠彦写真集 日本の作家(小学館)より  撮影/林忠彦

丹羽文雄と渡辺淳一

 丹羽文雄という作家を知っていますか。
 昭和初期から半世紀以上にわたって活躍し、生涯に書いた作品は原稿用紙十三万枚余といわれます。流行語にもなった『厭がらせの年齢』や『親鸞』『蓮如』といった大作もあり、日本文藝家協会の理事長を長く務め、晩年には文化勲章を受章。文壇の大御所として存在感を放ってきました。
 時代もよかったのでしょう。どこに行くのも運転手付きのベンツ。軽井沢の別荘には運転手が寝泊まりする棟もあったそうです。約二百五十坪の敷地に建った三鷹の自宅には、編集者や文学志望者が集い、毎年恒例の新年会は延べ百人の年始客で賑わいました。

 

丹羽文雄の生家、浄土真宗高田派・崇顕寺(三重県四日市市)

著者提供写真

 

 イメージが似通う作家というと、渡辺淳一さんでしょうか。
 講談社の丹羽担当の編集者で、文芸評論家となった大村彦次郎さんは、渡辺さんの『何処へ』の文庫本の解説で、「往年の丹羽文雄を連想する」と書いています。
 それ以上のことは書かれてないのですが、私はこの二人の作家にはいくつかの共通点があるように思います。相似形かと思うほど、驚くほどの点で。
 同郷(三重県四日市市)の丹羽さんと私のご縁は後編で述べますが、渡辺さんとは私が二十代のときに雑誌のインタビューで出会い、その後「ヤブの会」(渡辺さんと編集者の会)に誘っていただきました。相似点を探ることで、大輪の花を咲かせた二人の作家の文壇成功への道が見えてくるかもしれません。

 まず、郷里を捨てての上京です。
 丹羽さんはいまの早稲田大学国文科を卒業し、作家を志していましたが、いったん郷里に戻り、僧侶の修業をします。丹羽さんの生家は浄土真宗の崇顕寺というお寺でした。渡辺さんは札幌医科大学の講師。丹羽さん二十七歳、渡辺さん三十五歳、ともに僧侶と医師という職業を捨てて「中央」に出ます。東京には「自分クラスの作家はいっぱいいた」と渡辺さんは語っています。成功の第一歩は背水の陣の上京にあり、そのまま郷里に留まっていたら地方の名士で終わっていたかもしれません。
 丹羽さんの出奔は春で、菜の花が満開でした。それに対して、渡辺さんは桜です。人生を賭けた転機に目に映った花は、その後、たびたび小説に登場します。
 上京には、二人とも女性がかかわっていました。丹羽さんは「マダムもの」といわれる小説のモデルになった女性。渡辺さんも、『何処へ』にその女性が登場します。どちらも銀座の酒場の女というのも同じです。渡辺さんでいえば、初期の『阿寒に果つ』など、両作家とも関係のあった女性を何度も小説に書き、女性によって鍛えられ、育てられた作家といえるかもしれません。

 文学に目覚めたのは、丹羽さんは詩、渡辺さんは短歌と、短詩がきっかけなのも興味深いです。二人は同人雑誌出身で、小説は純文学からスタートし、迷いながらも中間小説といわれた大衆文学に移っていきます。
 自身や周囲の人物を題材にするのは、ものを書く人間のエゴイズムと渡辺さんは述べています。丹羽さんに至っては「私小説を書けないような作家は一人前の作家ではない」といい切っています。私も、「自分のことを書かなくてはいけないよ」と、渡辺さんに何度もいわれました。女性を書くことで丹羽さんは「愛欲作家」「風俗小説」と批判を受けたことがあり、渡辺さんも同じ思いを経験したのではないでしょうか。
 コンプレックスやスランプがないのも共通でしょう。丹羽さんも戦争の一時期に発禁の対象になったのを除いて、サニーロードを歩んできました。
 体格がよく、美男という点もあげられます。丹羽さんは文壇の長谷川一夫といわれ、長谷川一夫が暴漢に襲われて顔を斬られたとき、代役を頼まれたというのは実話のようです。文壇に出る前の若い頃の僧衣姿の写真を見ると、日本人離れした端正な顔立ちに見惚れてしまいます。
 大御所にもかかわらず、威張ったり力を誇示するといったふるまいはなく、性格に関しては、どちらも陰がなく、おおらかで直感的。丹羽さんは門下生の吉村昭さんを、「吉井くん」と呼び、吉村さんも「ハイ、ハイ」と返事をしていたようです。一方の渡辺さんはベストセラー『鈍感力』の著者ですが、もちろんそれだけではない繊細さも秘めていたはずです。意外に無口で、意外に優柔不断。きれいごとを嫌うという性格もあるかもしれません。

 

戦前(昭和10年頃)の丹羽文雄

 

 見逃せない共通点として、まわりに人が集まることがあげられます。
 私自身、長年インタビューの仕事をし、また文芸編集者から話を聞く立場として、人が集まる作家とそうでない作家がいるのを知りました。パーティーなどでも、両作家はそこにいるだけで華があり、周囲に人垣ができたようです。
 渡辺さんの「ヤブの会」は、夏の北海道ツアーから恒例のゴルフコンペなど年中行事がありました。そのたびに航空会社などがスポンサーになり、数十人の大移動です。暮れの忘年会はもちろん、着物を着る会や俳句の会、桜を愛でる会もあったでしょうか。
 ゴルフコンペで、私はいつもブービーでした。日が近づくにつれて憂鬱になったのを思い出します。でも、この会に行くことなく、一人片隅で原稿を書いていたとしたら、私は作家という人種を知らないまま、とうに消えていたでしょう。とんでもないとばっちりを受けて、人間不信に陥ることもありましたが、いまになって思えば貴重な経験でした。
 この世界はそういうところだよ、と教えられたのが渡辺さんの会でした。

 五十を過ぎて始めたゴルフで、丹羽さんはゴルフ「丹羽学校」の校長となり、多くの作家が集いました。渡辺さんも「新生徒」として入門します。丹羽さんは明治三十七年、渡辺さんは昭和八年生まれ。年齢は二十九歳違いましたが、二人の接点はあったようです。
 「丹羽学校」と並んで特筆すべきことは、二十数年にわたって私費で同人誌「文学者」を発行し、文学を志す若手に発表の場を与えたことでしょう。「丹羽部屋」とも呼ばれた文壇の一大勢力で、多くの作家が賞を受け、世に出て行きました。
しかしいつの時代も、景気のいい作家は一握り。病気になっても医者にかかれない文学者のために日本文藝家協会理事長時代には健康保険制度をを作り、「貧乏な作家にも墓を」と共同墓地を提案し、静岡に文学者之墓を建立したのも丹羽さんの尽力によるものです。
 ともに面倒見がよく、親分肌。いろんな作家の栄枯盛衰を見てきた渡辺さんも、会うと必ず「どうしてる?」と近況を気にかけていただきました。
 女性関係がいろいろあっても、悪口を言う人が少ない。料理上手の良妻にかしずかれ、丹羽夫人は、何時になっても帯も解かずに夫の帰宅を待っていたそうです。妻まで似るのかと思いますが、渡辺さんの還暦祝いが静岡県三島の別荘で開かれたとき、珍しく同行した夫人から、やはり帰宅するまで寝ずに待っていたという話を私は直に聞いて、驚きで言葉を失った覚えがあります。
二人の作家の共通点はとても書き切れないので、一冊の本にまとめたいと思います。

 

丹羽文雄が私費で刊行していた同人誌「文学者」。
ここから瀬戸内寂聴、吉村昭、津村節子、新田次郎らが出た。

 

後編はこちら>

谷口桂子(たにぐち けいこ)
作家、俳人。三重県四日市市生まれ。東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒業。著書に小説『越し人 芥川龍之介最後の恋人』、『崖っぷちパラダイス』(小学館)、『一寸先は光』(講談社)、インタビュー集『夫婦の階段』(NHK出版)、評伝『愛の俳句 愛の人生』(講談社)、ノンフィクション『祇園、うっとこの話 「みの家」女将、ひとり語り』(平凡社)などがある。
 

 

書籍紹介

丹羽文雄『親鸞』(P+D BOOKS 全7巻)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09352209
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谷口桂子『越し人 芥川龍之介最後の恋人』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09386474
越し人_書影

谷口桂子『崖っぷちパラダイス』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09386537
ParadiseWeb_2_3

 

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初出:P+D MAGAZINE(2021/02/08)

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◎編集者コラム◎ 『終身刑の女』著/レイチェル・クシュナー 訳/池田真紀子