思い出の味 ◈ 長月天音

第28回
「父の手作りパン」
思い出の味 ◈ 長月天音

 小学校中学年の頃まで、夏休みを山小屋で過ごしていた。父親が山小屋の管理人だったのだ。日本百名山にも選ばれた山の山頂近い小屋まで、食料の詰まった重いリュックを背負った母と弟と私は、子供の足で四時間ほどの山道を登った。

 山の朝は早い。山頂でご来光を拝もうと、午前三時くらいには登山客の足音で起こされる。そうでない者も概ね早朝には出立する。彼らを送り出した後が、ひと仕事終えた管理人一家の朝食だった。

 小屋一階の広間が朝食の場だ。テーブル横の石油ストーブの上に、父が焼いたパンを並べる。山型食パンのもっちりとした生地は目が詰まっていて、嚙み締めるとほのかにイーストの風味がした。

 キツネ色になったところでマーガリンを塗り、さらに苺やコケモモの手作りジャムをたっぷりのせる。カリカリの表面に染みたマーガリンの塩味とジャムの甘味がたまらなく美味しい。今ならカロリーを気にして決してできない食べ方だ。空腹だからよけいにたまらない。おかずが違うだけで毎朝決まってこのパンだったが飽きることなく、朝食が待ち遠しかった。父のパンは小屋のアルバイト達にも大人気で、私はちょっと誇らしかった。

 窓の外には朝の光に輝く北アルプスの山並み、ラジオからはバロック音楽が流れていて、珈琲と香ばしい小麦の香りに包まれた山小屋の朝食は、どこか荘厳な一日の始まりの儀式のようでもあった。

 電気も通わぬ山小屋で過ごす一か月は退屈だったはずだが、楽しい発見も多かった。ストーブの前で発酵中のパン生地のうっとりするほど滑らかな表面、登山道のゴミ拾いの途中で見つけた小さな苺の眩しさ。どれも美味しい朝食になることを分かった上で期待感を膨らませた。

 父はとうに管理人を引退し、山小屋の朝食は二度と味わえない。ただ実家に帰れば、今も朝食は決まってパンである。手作りではなく市販のパンで、トースターが丁度よく焼いてくれる。珈琲だけは変わらず父が淹れてくれ、趣味の手作りジャムは山小屋の時よりも種類が増えた。変わったけれど、どこか変わっていない。幼い思い出が懐かしく蘇ってくるのだ。

長月天音(ながつき・あまね)

1977年新潟県生まれ。大正大学文学部日本語・日本文学科卒業。2018年『ほどなく、お別れです』で第19回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。続編『ほどなく、お別れです それぞれの灯火』が2月末刊行。

〈「STORY BOX」2020年2月号掲載〉
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