辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第24回「子どもと色、色と性差」
好きな色も違う?
令和の子育ては悩ましい。
色と性差。
謎……というのか何なのか、もう一つ、ちょっぴり考えさせられる出来事があった。娘がまともに喋り始めたばかりの頃のことだ。
子どもをうつぶせの体勢で持ち上げ、その場でぐるぐる回転してあげる遊びを、私たち夫婦は「飛行機」と呼んでいる。娘に立て続けにねだられると、一人では体力が持たないため夫婦交替で娘の身体をぶん回すのだが、夫がやると「あおいひこうきー!」、私がやると「あかいひこうきー!」と娘が必ず叫ぶのだ。服の色を言っているのかと思ったのだけれど、二人とも赤や青の服はめったに着ない。違う日にやっても、娘が叫ぶ言葉は変わらなかった。
まさか、すでにジェンダーの概念があるのか……?
男は青。女は赤。そんなものを明示的に教えた覚えは一切ない。だけど事実、娘はそのように認識しているようだ。どこから学んだのだろう。絵本? テレビ? 保育園? ショッピングセンターなどのトイレのマーク?
結論としては、分からなかった。唯一残されたのは、ちょっとした危機感だ。親が意図的に押しつけているつもりはなくても、ステレオタイプというのは、自然と子どもの脳に浸透していくものなのかもしれない。
近年、「ナギ」「ハル」「アオイ」「ヒナタ」「ソラ」「カナタ」といった中性的な名前が流行っているという。みんながみんなそうではないのだろうが、将来子どもが自分の性を自分で決められるようにという思いを込めて名付ける親もいると、先日テレビのニュースで見た。
今はそういう時代だ。だけどやはり傾向というものはあって、知り合いには電車や飛行機にめちゃくちゃ詳しい男の子を持つお母さんが複数人いるし、うちの娘は保育園に行くとプラレールには見向きもせず、メルちゃん人形を何体も出してきてせっせとお昼寝させたりおままごとをしたりしている。
性差は認めつつ、押しつけない。その塩梅は、こちらが見極めなければいけない。
難しい時代だな、と思う。「男の子らしく」「女の子らしく」という言葉に違和感なく育ってきた世代としては、新しい価値観についていくのが億劫に感じられることもある。意識の転換には、少なからずエネルギーが要るからだ。
でもこれって、たぶん、どんな時代の親子にも立ちはだかってきた壁なのだろう。世代間格差。ちょうど今、昭和の時代を舞台にした小説を執筆しているけれど、戦後生まれの子どもを持つ戦前生まれの親は、子ども世代の〝ぬるさ〟に辟易したんだろうな、と想像したりもする。
新しい時代に育っていく子どもを、古い価値観にとらわれることなく見守っていくのは、親の重要な責務だ。私はついこの間まで20代だったくせに、どうも動画から情報を得るのが苦手で、YouTube見なーい、Tiktokってよく分かんなーい、などと普段から避けまくっているのだが……人の親になった以上、世の中の流れに置いていかれている場合ではないのだろう。
まったく子育ては反省の連続なのである。
(つづく)
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1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。