辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第30回「理想の人生って何だ」(後篇)
社会人になっても続く違和感。
人生の正解はどこに?
仕事への意欲はみるみるうちに低下してしまい、3年目のときに受けた若手研修では、「80代までの人生プランを考えてみよう」というお題に対し、投げやりに「20代~50代まで子育て、50代~80代まで孫の世話」と書いてグループ内発表をした。優等生だった昔の私が見たら泣くだろう。こんな状態で会社員を続けるのは無理だと悟り、働きながら通信制の大学に所属して小学校の教員免許を取得した。初心に帰り、本気でキャリアチェンジをするつもりだったのだ。そうしているうちに作家の仕事が軌道に乗り、せっかく取得した教員免許の出番がないまま今に至るけれど、いつか子どもたちが自立する年齢になって余裕ができたら、自分の子ども以外と関わる仕事にもチャレンジしてみたいなと密かに企んでいる。
……と、ここまでが、私の過去の話である。
私が歩んできた道は、もしかすると、誰かにとっての理想の人生なのかもしれない。海外生活や大学進学など、恵まれていたことは分かっているし、親にも感謝している。ただ、私自身の性格や志向と合わない部分があったのは事実だ。アメリカで過ごした中学時代も、日本の学校に転入した高校時代も、たくさん泣いて、たくさん親に当たった。それでも結局はレールの上を歩き続けてしまったけれど、後から壁にぶつかって、こうして複雑な思いを抱えたまま大人になっている。
ただ、人生をやり直したいとは思わない。不満をすべてチャラにしてくれたのは、この世に生まれてきてくれた娘と息子だった。
私は今も、自分のプロフィールを心の底から誇らしくは思えなくて、幼稚園のママ友や先生方にも絶対に知られたくないと気を張ってしまっている。夫にも「なんでそこまで?」と言われるし、職業くらいはいいかなとたまに思ったりもするけれど、筆名で検索されたら経歴が分かってしまうから、やっぱり言えない。これまでの人生のすべてを取っ払って、純粋に「●●ちゃんのママ」「▲▲くんのママ」として過ごせる時間は、今の私にとって、かけがえのない宝物であり、何よりも守るべき対象なのである。だからママ友や先生方に仕事内容を訊かれたときは、「フリーランスで、文章を書いたりとか……」とだけ答えている。
こじらせすぎだろうか。まあ、こじらせているのだろう。
でも最近、思うことがある。幼い頃の無邪気な憧れだった小説家という職業に就くことができたのは、こうしてこじらせまくったおかげなのでは? だって人生がすべて上手くいってきた〝陽キャ〟のミステリ作家なんて、自分も含めて一人も見たことがないもんね(注:主観です)──、と。
小説家は自分の体験しか書けない、と言われることがある。ある意味、それはそうだと思う。嫌だったことも、悩んだことも、卑屈になったことも、全部小説の栄養になる。もし、私のこれからの人生がよいものになるとしたら、それは私の中に醸成された灰色の影のおかげだ。
心に灰色の影を抱えたお母さん。それでいいのか? という感じはするけれど、案外、世の中みんなそんなものなのかもしれない。さて、今日もどんよりとした空の下、園バスに乗って帰ってくる娘を、これからお迎えにいくのである。
(つづく)
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『サクラサク、サクラチル』。