辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第39回「メルちゃん失踪事件」

辻堂ホームズ子育て事件簿
育児中避けて通れない
数々の「未解決事件」。
諦めかけていた事件に動きが!?

 そんな私も、大人の手のひらほどのサイズの救急車のミニカーが忽然と姿を消したときは、少々焦った。消防車にゴミ収集車にブルドーザー。同じシリーズのミニカーはいくつも持っているけれど、息子の一番のお気に入りが救急車だったのだ。家の近所に大きな総合病院があるため、普段から道を歩くとしょっちゅう救急車を見かけるのだが、そのたびに「ぴーぽーぴーぽー、のりたい」と無邪気に口にするほど2歳息子は車好き(本当に乗る事態になったら困るぞ、ただでさえ君には入院の前科があるんだし!)。紛失から約1ヶ月後、リビングの隅にある古いピアノの調律を業者さんにお願いした際に、ピアノの裏にある絶妙な死角から白と赤の車体が発見された際は、これで息子を悲しませずに済むと胸を撫で下ろしたものだ。

 その期間を超える未解決事件が表面化したのは、昨年末のことだった。

 我が家にはメルちゃんとネネちゃんという姉妹のお人形がいる。服の着せ替えをしたり、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、抱っこ紐で身体に括りつけたり、歯磨きをしてあげたりと、子どもがいろいろなお世話をして遊べるロングセラーのお人形だ。2歳のクリスマスにサンタさんからメルちゃんをもらった娘があまりに喜んで遊ぶので、3歳の誕生日に妹のネネちゃんを追加で買い足した。そのうち息子も積極的にお人形遊びをするようになり、このごろは2人で仲良く1体ずつお世話をする微笑ましい姿が観察されていた。

 その片割れであるメルちゃんが、気がつくと見当たらなくなっていた。「そのうちどこかから出てくるでしょー」と当初は大きく構えていたものの、3日、1週間、2週間と時が経つうちに夫も私もそわそわし始めた。何せメルちゃんは、大人の手のひら3つ分くらいのサイズのお人形だ。厚みもあるため、家具と床とのわずかな隙間にはまり込む可能性もない。「あんな大きな人形が見つからないなんてことある?」「でも押し入れの中もベビーベッドの周りも全部見たよ」──ソファの下やテレビの裏はもちろん、戸棚、おもちゃ箱、ゴミ箱、洋服箪笥、おむつのパッケージ、キッチンのパントリーやクーラーボックス、予備のリュックの中、ピアノや暖房器具の周囲、子ども用の敷布団とシーツの間など、夫とともに思いつく限りの隠し場所を点検したけれど、普段子どもたちが出入りする部屋のどこからもメルちゃんは出てこない。

 おかしいな、神隠しにでも遭ったんじゃ……。

 我々夫婦は途方に暮れ、過去の写真を遡って最後にメルちゃんの生存が確認された日付を特定した。11月の半ばに、娘と息子がメルちゃんとネネちゃんをそれぞれ抱っこ紐に入れ、仲良く写真に写っている。その事実が判明したところで、捜査は暗礁に乗り上げた。11月後半に何があったのか。いや、夫婦ともに日常的なおもちゃの在庫管理を怠っていたわけだから、失踪日はもう少し後かもしれない。なぜもっと早く気づけなかったのか。子どもたちがどこで何をして遊んでいたかなど、彼らの直近の動向に関する記憶が薄れないうちに捜索を開始していれば、メルちゃんを救い出せたのではないか。例えば、2歳の怪獣によってゴミ箱に放り込まれたかわいそうなメルちゃんに気づかず、燃えるゴミとして集積所に出してしまう前に……。

 以前からゴミ箱対策はしていて、きちんとベビーゲートの向こうに置いていたのに。小さなレゴブロックのパーツや、手のひらサイズのミニカーとはわけが違うはずなのに。後悔は尽きない。メルちゃんがいなくなってずいぶん経つのに、妹のネネちゃんがうつ伏せで床に転がっていたりすると、つい幻影を見て「メルちゃん⁉︎」と拾い上げてしまう。残されたネネちゃんのことを「メルちゃん」とうっかり呼び間違えてしまい、娘に「メルちゃん、みつかったの?」と驚いたように問われることもしばしば。「あ、ううん、ネネちゃんだったね……」と歯切れ悪く答えるたび、期待させてごめんね、と罪悪感が募る。夫も晩酌をして酔っ払うたびに、ふと気がつくと戸棚や壁面収納を覗いてメルちゃんを捜している。私たちの意識の片隅にはいつもメルちゃんがいた。ねえ、どこへ行っちゃったの、愛しいメルちゃん……。


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『二人目の私が夜歩く』。

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