辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第39回「メルちゃん失踪事件」

辻堂ホームズ子育て事件簿
育児中避けて通れない
数々の「未解決事件」。
諦めかけていた事件に動きが!?

 もう二度と、見つからないかもしれない。

 子どもたちが愛着を持って可愛がっていたお人形だからなかなか諦めがつかないけれど、何度か大掃除をしても出てこなければ、同じものをまた買ってあげようか。

 そんなふうに夫婦で話し合い、メルちゃん失踪から約半年の月日が経った、先日の夜のこと。

 子どもたちが寝た後に、夫婦でのんびりリビングの片付けをしていた。「これ、上に持っていくねー」という夫の呼びかけに「はーい」と答えつつおもちゃの整理整頓をしていると、2階から「あ゛っ! あ゛っ! あ゛っ!」という夫の恐ろしい叫び声が聞こえてきた。ひどく怯えたような、仰天したような、受け入れ難い現実を目の当たりにしたかのような──大人の男性が大声を上げている時点でそれはそうなのだけれど、とにかく尋常ではない響きだ。

 うわ、絶対ゴキブリじゃん。あの驚きようはそれしかない。

 夫の叫び声は続く。ああ嫌だ、あの様子だと、たぶん何匹もいるのだ。発生場所は2階の納戸? 何も言わずに退治してくれないかな──と夫の甲斐性に期待するも、直後に階段を下りてくる足音が聞こえてくる。ちょっとやめてよ、Gなんて見たくない、頼むから妻の私を巻き込まないで……!

 そんな切実な願いも虚しく、夫がリビングのドアの隙間から顔を出す。そしてなぜか意味深に、「こっち来て」と一言。Gの大群を想像し、「え、なんで」と警戒心を露わにする私。

「いいから」

「なんでよ」

「……嬉しいことがあるから」

「……何?」

 恐る恐る立ち上がって夫に近づくと、ドアの陰からぴょこりと、可愛いピンクブラウンの髪の毛が飛び出てきた。

 絶句。そして。

「えええええええええええ、どこにいたの⁉︎」

 夫が差し出してきたメルちゃんを胸に抱き寄せ、私も思わず叫んでしまった(読者への挑戦状──ここまでの話の中に手がかりは示されています。一緒に推理してみてね!)。同時に、直前の夫の行動が脳裏に蘇ってくる。一緒にリビングの片付けをしていた夫。息子が保育園から持ち帰ってきた新たな作品たちを手に、夫は私に一言声をかけ、2階の納戸へ──。

「あ! まさか、ポケモンの!」

「そう! 作品を入れようとして何気なく覗き込んでみたら、奥に挟まっててさ!」

 前述した、タブレット学習の入会特典でもらった巨大な作品収納ボックス。確かに、あれが届いたのは昨年の晩秋か初冬のことだった。届いてすぐにリビングで組み立てると子どもたちが興味を示し、特に息子がいろんなおもちゃを中に投げ込んで遊んでいたのを最終的に取り上げるような形で、中身をいったん全部出してから作品を入れて2階に持っていったつもりだったのだけれど……どうやら、高さのある箱の下のほうにすっぽり挟まっていたメルちゃんは、他の小さなおもちゃのようにゴロゴロと音を立てて我々に助けを求めることもできず、半年もの間、真っ暗な箱の奥底に閉じ込められていたらしい。

 おのれ、息子め。

 いや、気づかずボックスを2階に運んでしまった私たちも私たちか……。

 ちょうど金曜の夜のことだった。1週間の仕事で疲れ果てていた私たちは、隣の部屋で子どもたちが寝ているにもかかわらず、年甲斐もなく喜びを爆発させた。ハイタッチをして祝杯をあげ──てはいないけれど、まさにもう、そのくらいの勢いで。

「うわー、まじ気持ちいい! 今週、完璧に締まったわ!」

「最っ高! やりきったって感じ!」

「どんな仕事より達成感あるな」

「ねえ、明日どうやって子どもたちを驚かそうか? ネネちゃんと並べてテーブルの上にでも置いとく?」

「いや、すぐに見つからないよう、冷蔵庫の上とかがいいんじゃないか?」

 大の大人2人がきゃっきゃとはしゃぎながら、2体のお人形をリビングのいろいろな場所に置いては記念写真を撮りまくった、うららかな春の夜。

 家出して長らく連絡を絶っていた子が、やっと我々に心を許し、雪解けを経て戻ってきてくれたような──そんな温かな気分で週末を迎え、晴れて翌朝、起き出してきた子どもたちを大いに驚かせることに成功したのであった。

 子育ては時に、平凡なはずの我々の人生に事件を放り込み、日々をドラマチックに彩る。

 おかえり、メルちゃん。

 もう二度と、目を離したりしないからね。大事にするからね。

 ……と決意したのも束の間、今日も娘が不機嫌そうに、メルちゃんの靴下が片っぽ見つからないと訴えている。ダイニングチェアに腰かけてコーヒーを飲みながら、気怠い声で私は答える。えー、ママは知らないよー、そのへんお片付けすれば見つかるんじゃないのー、と。

(つづく)


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『二人目の私が夜歩く』。

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