椹野道流の英国つれづれ 第36回
「お力になりたいのはやまやまなのですが、当行では、彼女が銀行口座を開設することはできません」
いきなりの拒絶!
英語を流暢に話すことはまだできない私ですが、週末ごとのリーブ夫妻との触れ合いや、英語学校の授業のおかげで、リスニング能力のほうはめきめきと進歩しています。
銀行員の言うことは、彼が明瞭な話し方をすることもあり、正確に理解できました。
だからこそ、私の口からも半ば反射的に「どうして?」という疑問の言葉が飛び出していました。
そこでようやく、私が英語を理解できると知ったのでしょう、銀行員は私のほうに身体を向け、軽く上体を屈めるようにして、アレックスに対するよりずっとゆっくりした調子で説明してくれました。
「あなたは、イギリス国民と婚姻しているわけではないのですよね? 結構です。その場合、当銀行で外国籍の方が口座を開設できるのは、その方がこの国で報酬、または給与を銀行振込で受け取る必要があるときのみです」
むむ?
つまりそれは……この国で仕事をしている場合のみ、この銀行で口座を開けるということ?
でも、私は……。
私が抗議の言葉を英語で捻り出し、声に出す前に、アレックスが少し怒った様子で先に私の気持ちを代弁してくれました。
「でも彼女は、留学生としてここに来ているんです。仕事をすることは許されていません。働けば、違法行為になってしまう。だからこそ、日本から送金してもらうことが必要なんです!」
そう、そうなんです。
そうか、それってそういう風に言えばいいのか。
私はアレックスの横で、ひたすら感心していました。
ああいえ、他人事のように思っているわけではなく、学校では学べない実地レッスンを受けているような気分だったのです。
グループレッスンのときは、色々なシチュエーションを想定して会話やディスカッションをします。
飲食店での注文、道案内、洋服の試着などなど。
でも、さすがにクレームのつけ方や抗議のやり方は教わっていないので、アレックスの言葉選びや口調は、私にとっては新鮮でリアルな学びでした。
「彼女は、留学中の生活費となるお金を日本から送ってもらうので、それを受け取るための窓口になってくれさえすればいいんです。特に厄介なことは何もありませんよ?」
アレックスは、声に力と熱を込めて言い張ってくれます。心強い!
ですが、銀行員はあくまでクールに言い放ちました。
「お気の毒です。ですが、当銀行は、お力になれません。銀行口座を開く条件を満たしておられませんので」
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。