椹野道流の英国つれづれ 第39回
これは何かの罠では?
いやいや、私ごときをわざわざ罠にはめる必要がどこにあるねん、と自分にツッコミを入れつつ、私は鞄からパスポートを引っ張り出しました。
いやもう……本当に、私、銀行口座を開けてしまうの?
ナンバーを用紙に慎重に書き写しつつも、不安は消えません。
でも、上司がゴーサインを出してくれたのでしょうから、今度こそ、大丈夫。
「学校の名前と住所と電話番号もお願いします。こちらに、あなたが在学していることを確認するため、後ほど電話連絡をさせていただきます」
「あ、はい。大丈夫です」
私が返事をすると、銀行員はニコッとしてこう言いました。
「結構です。パスポートや学校といった確認事項がありますので、すぐに口座を開くわけにはいきませんが、そうですね、1週間かそこらで、あなたの居住地あてに通帳とキャッシュカードを送付できると思います。それでよろしいですか?」
「勿論です!」
思わず上擦った声で返事をすると、彼は私から受け取った書類をすべて確認し、頷くと、机の上でとんとん揃えました。
「では、これで手続きは終わりです。当銀行を選んでいただき、ありがとうございます」
形式的な結びの言葉は、「さあもうお帰り」の合図。
私は立ち上がり、彼にお礼を言って、銀行を出ました。
道を歩きながら、まだ足元がふわふわするようです。
ひとりでやり遂げた! 今度こそ、銀行口座を開けることになった!
もしかしたら、私が学校に戻る前に、さっきの銀行員から電話が行くかもしれません。
それでも、誰よりも親身になってくれたアレックスに、この喜びが冷めないうちに報告して、一緒に喜び合いたい!
そんな思いで、私は学校に向かって駆け出しました。
無論、そんなに上手く事が運ばない……などとは、その日の私には知る由もなかったのです。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。