椹野道流の英国つれづれ 第6回
「来たわね!」
電話で聞いた、あの明るく優しい声でいきなりそう言われて、私は瞬時に慌ててしまいました。
お決まりの挨拶をすっ飛ばされた~!
さすがに「来ました!」と返すのも何だし、こちらからは一応、きちんとご挨拶したほうがいいのでは?
〝How do you do?〟
中学校の英語の授業で、初対面の相手にはそう言いなさいと教わって育った世代です。
でも、イギリスに来てからこの挨拶をすると、皆、ちょっと面白そうな顔をするのです。
どうもこの言い回し、礼儀正しくてたいへんよいのですが、いささか古びているようで。
日本語で言うなら、「お初にお目もじ致します」くらいのニュアンスでしょうか。
もう少し砕けてフレンドリーな挨拶のフレーズを、私はやっとのことで口にしました。
〝Very happy to see you!〟
さんざん口ごもって、それかいな!
つまらん挨拶にもほどがあるやろ私。
でも「あなたに会えてめちゃくちゃ嬉しいです!」というだけの言葉を引っ張り出すことすら、この頃は本当に大変だったのです。
理由は、これ以上ないほど単純明快。
当時の私は、まず最初に言いたい文章を日本語で考え、それをきっちりした構文で英語に翻訳してから口にしていたのです。
そりゃ、喋るまでにうんと時間がかかりますよね。
でも、英語を学び始めてからずっとやってきたことなので、私はあまりにも無駄で愚かなこの行為に、何の疑問も持っていませんでした。
私のたどたどしい挨拶に、彼女は苛立ちもせず、優しく「私もよ」と言ってくれました。
そして彼女は、突然やってきた、どこの馬の骨とも知れない外国人の小娘を、当たり前のような顔で家に招き入れてくれました。
「中へどうぞ。お茶でも飲みましょうよ」
「ではお言葉に甘えて」を英語でどう言えばいいのかさっぱりわからないので、無言で頷いて中に入ると、そこにあるのは狭い廊下と、やっぱり狭くて急な階段。
イギリスの多くの家で見かける構造です。
壁には、帽子やコート、カギをかけておくフックが並び……反対側をチラと見て、私は「あ」と、小さな声を上げました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。