恒川光太郎さん 『滅びの園』

第119回
恒川光太郎さん
滅びの園
いろんな価値観の人がいて、それぞれの立場で正義だと感じられることに命を懸けています。
tsunekawasan

 情緒豊かなホラーやSFテイストの混じった幻想的作品など、独自の小説世界を築いて人気の恒川光太郎さん。新作『滅びの園』は、メルヘン的な異界と謎の生物に脅かされる地球という、ギャップの激しいふたつの世界それぞれの存亡の危機が描かれる。滅びるのは、どちらなのか──。

一人の男が世界の運命を握る

 サラリーマンの鈴上誠一がある日帰宅途中の電車を途中下車すると、そこは見知らぬ小さな町だった。一見普通の住宅街だがどこか勝手が違うその場所が、実は異界だと気づくのに時間はかからなかった。しかし居心地がよく、いつしか鈴上はその世界での生活を確立していく。

「僕が疲れたらこういうところで過ごしたい、というものを想像しました。主人公が異世界に紛れ込む話はもともと好きでよく書いているので、また同じことをやってしまった、駄目だな、と思いました(笑)。でも次第に、今までとは全然違う方向に話が進んでいったんです」

 と、恒川光太郎さん。新作長篇『滅びの園』は、メルヘン的な描写から次第にディストピアが見えてくる壮大なスケールの一作。

 平穏に暮らす鈴上のもとに、ある時から手紙が届くようになる。最初は妻からの彼を案じるメッセージだったが、やがて日本の内閣総理大臣から人類が危機に瀕していると伝える内容も届く。どうやら彼が暮らす異界の影響で、地球に何かが起こった模様。そして鈴上こそが、人類の運命を握っているというのだ。

「最初は短篇として、疲れたサラリーマンが地球とファンタジーワールドのどちらを取るかに二者択一を迫られるという話を書いたんです。あなたの選択によって、一瞬で世界は消せるという話ですね。短篇だった時は地球が滅んで終わったのですが、編集者から"この話をもうちょっと延ばしてください"と言われてじゃあそうしてみようと思い、長篇になりました」

 最初に書いた短篇が第一章部分となったわけだが、もちろん、長篇ではそこで地球が滅びるわけではなく、物語は続いていく。

 第二章は舞台が地球となる。二〇〇X年一月十九日。それは後に一・一九と呼ばれる、世界激変が始まった日だ。空に何かが出現、人によって見え方が異なるそれは〈未解明気象〉という名で呼ばれる。その後、地上には新生物が出現。〈白い餅そっくりの不定形の生き物で、柔らかく、手足、目鼻はなく、内臓もないが、ゆっくりと動き、有機物をとりこんで己の栄養にする〉というそれはプーニーと名付けられる。"プニプニ"という擬態語を連想する可愛らしい名前ではあるが、この生物の繁殖が人類を存続の危機に追い立てる。

「第一章で地球が大変なことになっているという状況を思いつくままに書いた時、プーニーも出しているんです。お餅とかプリンとか、ムニュムニュしたものが好きですし、モンスター小説を書いてみたいという気持ちもあり、スライム的な生き物を登場させました。それで長篇にするにあたって地球のことを書こうと思った時、プーニーをめぐる話にすることにしました。最初は短篇だったので深く考えず、プーニーという名前にしたのもジョークのつもりだったんです(笑)」

 このプーニー、知性は低いし熱にも弱いが、最大の恐るべき特徴は、これを食した生物がプーニー化してしまう点だ。

「人間は自分をコントロールして食べないよう気をつけると思うんですけれど、たとえば虫なんかは食べてどんどんプーニー化してしまう。プーニー自身も有機物を摂取して動いていくので、地面の上がだんだんプーニーに覆われていく。シェルターなどを作らないと、人間は自分を守り切れなくなっていく」

 ただ、増殖するプーニーに対して人類がまったく無力というわけではない。なぜかプーニーに対する"抵抗値"は人によってばらつきがあり、低い人はプーニーが傍にいるだけで体調を崩してしまうが、強い人間は平気などころか、なかにはプーニーを食べても変化しない者もいるのだ。

「プーニーに対する抵抗値というのは、それまでの社会にはなかった基準。生物のある種が絶滅するか生き残るかというのは、結構そういうものに左右されると思うんです。それまでの生活ではまったく関係なかったのに、ある時発生した細菌への耐性がたまたま強かった個体だけが生き残って他は死んでしまった、というようなことが生物史においてたびたび起こっているんじゃないかなと思っていて。人間社会だと目がよく見えるとか身体能力が高いということが高く評価されそうですけれど、動物の世界ではそういうこととは無関係に、ある食べ物の毒性に対する耐性が高かったなどと、人間の価値観とは別の強さが要求されたりするのではないかと考えていました。ひとつの種が生き残るにはその種のなかでの遺伝子の多様性が大事ということはよく耳にしますし」

 中学生の相川聖子は、特別秀でた能力を持たず、ごく平穏な学校生活を送っていた。だが、一・一九以降、生活は少しずつ変化。プーニー耐性診断調査によって、抵抗値が異様に高いと判明、プーニー駆除や人命救助に携わる消防庁主導のチームへの参加を要請される。

「相川聖子の部分は、ちょっと青春小説っぽくしてみました。一回学園小説というものを書いてみたかったんです(笑)。それに、地球の状況を説明する際の視点人物は、鈴上とはまったく違う立場の人のほうが、新鮮味が出るのではないかと思いました」

 やがて相川聖子は、プーニーを操る能力を持つ人間の存在を知る。なぜそのような能力が身につくのか。彼女はやがて、その秘密を知ることに……。

さまざまな価値観の絡み合い

 プーニーを操る善意の者がヒーロー扱いされるかというと、そうとは限らない。この謎の生物を大量移動させる際に犠牲者を出してしまったことから、バッシングを受ける人物もいる。

「すごく真面目で善良で、一生懸命いろんなことをしているのに報われない人もいる。ウルトラマンも実際にいたら叩かれるだろうというのはよく言われることですよね。何かを救うかわりに何かを破壊してしまうことで、批判にさらされてしまう」

 確かに、全方向から見て何の落ち度もないと言い切れる善行でない限り、何かしら叩かれてしまうのが昨今の風潮だろう。また、プーニーを操るという能力を手に入れた者が、人々のために尽くすとも限らず、自由気ままな行動を選ぶ者もいる。

「どんなにプーニーを排除しても、もう焼け石に水なんですよね。そんなことを続けるより、もっと別のことに自分の命を懸けたほうが有効だと考えるのは、人生の選択としてあると思います」

 というように、抵抗値の高い人びとが、時間が経つにつれどう変化していくのか、そのドラマも読みどころである。

〈未解明気象〉やプーニーについて調査するうちに人々は、異界にいる鈴上の存在に気づく。プーニーを滅ぼすためには〈未解明気象〉の消滅が必要で、それは鈴上のいる異界の消失をも意味する。異界とコンタクトをとることに成功した人類は、自分たちの窮地をなんとか鈴上に伝えようとする。それが、彼のもとに届く手紙なのである。

 さらに、人々は異界に人を送り込むことにも成功。それが「突入者」という、異世界に入り込み鈴上に接触するという役割を担った人々だ。地球に戻ってこられるとは思えない任務に応募する者たちは、どのような思いでいるのか。

「人類に貢献したいというよりも、向こうの次元に行って新しい自分を手に入れ、仲間を裏切ってそこで暮らしていくことを考える人間もいるはずです。外国に亡命するために志願するようなものですよね。でもそれも、地球が希望にあふれていたらそういう人はいないはず。逃げ出したい人がそれだけいるということでもあるんです」

 だが、鈴上にとって突入者は魔物にしか見えない。

「いろんな価値観の人がいて、それぞれの立場で正義だと感じられることに命を懸けている。誰も悪くないし、といって良くもない。みんなに共感できるよう、少しずつ設定配分して書いていった感じです」

 さまざまな思いが交錯していくなかで、滅びの園となるのは異界か、それとも地球か。

「空の異界が滅びないと地球は幸せにならないし、地球が滅びないと異界は平和にならない。滅ぼしあうって、どちらかの希望がどちらかの絶望になりますよね。絶望と希望の天秤ゲームなんです」

 誰もが幸せになる結末はありえない。人によって価値観が異なるからこそ、決着がついた後には非常に憎まれる人物だって出てくる。

「どちらの世界が滅びるにしても小説として閉じることができるし、どちらでも嫌な味は残せると思っていました。ただ、ある人がみんなに疎まれ嫌われるところは書きたかったですね。あれは作品としてすごくいいシーンだと思う」

 誰に肩入れして読み、その結末に何を思うか、それは読者によって少しずつ違うだろう。

 ところで、この壮大な物語の出発点に「疲れたサラリーマン」がいたわけだが、そこにはどんな思いがあったのだろう。

「ずっと前から、ブラック企業が多すぎると思っていて。僕が十九歳の時に働いたところから何から、ブラックしかなかったんです。終業のタイムカードを押させた後で三時間の残業をさせられた、などという僕の恨みがありますね。最近ニュースでも取り上げられるようになりましたが、昔からひどい会社はありました。もっとみんなが休日を沢山とれて、パワハラ禁止になればいいのに。優秀で真面目な人ほど自発的にサービス残業をしてしまうので、やったら処罰するくらいでないと駄目でしょうね」

 そうした現代の現実問題を作品にトレースすることは意識していたのか。

「僕にしては珍しく現実が反映された小説になりましたが、これはこう書こう、と意識したわけではないんです。意識していることが自然と反映されたといったほうがいいかもしれない」

『金色機械』のあたりからSF色も強くなり、その面でも作風の変化も感じさせる。

「SFももともと大好きなんです。確かに、『金色機械』や『スタープレイヤー』のあたりからSFっぽくなりましたね。いろいろ書くようになったかなと思います。次は小説誌に書いた短篇がたまっているのでそれが本になるかなと思うのですが、それはかなり暗いものになりますね。『滅びの園』も暗いけれども、それでもきれいで勇敢で希望も感じる話になっている。でも短篇のほうは死ぬ寸前に書いたような異形の小説という感じかもしれない(笑)。いろんなものが好きなので、いろいろ挑戦してみようと思っています」

恒川光太郎(つねかわ・こうたろう)

1973年東京都生まれ。2005年、『夜市』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。同作で直木賞候補になる。14年、『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞した。著書に『雷の季節の終わりに』『秋の牢獄』『竜が最後に帰る場所』『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー』『異神千夜』『無貌の神』などがある。

〈「きらら」2018年8月号掲載〉
本の妖精 夫久山徳三郎 Book.49
真藤順丈さん『宝島』