著者の窓 第54回 ◈ 武塙麻衣子『一角通り商店街のこと』

著者の窓 第54回 ◈ 武塙麻衣子『一角通り商店街のこと』
 食と人にまつわるエッセイ『酒場の君』『西高東低マンション』などが話題の武塙麻衣子さんが、初の小説作品『一角通り商店街のこと』(小学館)を発表しました。富山から上京したての男子大学生が迷いこんだのは、個性的なお店が並ぶ商店街。直木賞作家・嶋津輝さんが「この世界を舐めるように味わいたい」と評した、優しく懐かしく味わい深い物語について、武塙さんにインタビューしました。
取材・文=朝宮運河 撮影=松田麻樹

日常のことを細かく書くのが好き

──これまでお酒や食べ物にまつわるエッセイをお書きになってきた武塙さん。『一角通り商店街のこと』は初めての小説作品ですね。

 小学館の編集さんから書いてみませんか、とお話をいただいたのがきっかけです。これまで書いてきたものも本当と本当じゃないことが混ざっているような文章だったので、そこまで大きな違いは感じませんでしたね。ただエッセイだと、視点が40代女性である自分自身から離れられない。それは書いていてもそうですし、読む方も「これは武塙のことだろう」と思って読むはずです。小説はその点自由なので、できるだけ自分とはかけ離れた人を主人公にしたいと思いました。

──それで上京したての男子大学生・ゆうを主人公にしたんですね。物語の主な舞台となるのは、都内にあるいっかく通り商店街。商店街を書こうと思ったのはなぜですか。

 わたしは日常のことを細かく書くのが好きなんです。たくさんの人が出てきて、それぞれの生活が感じられるような文章を書きたい。商店街ならいろんなお仕事の人を登場させられますし、もともと商店街好きだったのでちょうどいいなと。

武塙麻衣子さん

── 一角通り商手街に具体的なモデルはあるんでしょうか。

 横浜の阪東橋というところに、横浜橋通商店街という長いアーケードの商店街があって、そこはお気に入りの書店が近くにあるのでよく足を運ぶんです。アジア系の食材が豊富で、すごく美味しいキムチを売っていたり、活気があって楽しいんですよ。一角通り商店街よりずっと規模が大きいですが、モデルといえばここがモデルかもしれませんね。ほかにも十条銀座商店街とか戸越銀座商店街とか、見て歩いたあちこちの商店街のイメージを、書きながら思い浮かべています。

──大学入学とともに富山から上京してきた雄士は、春からアパートでひとり暮らしを始めます。主人公の雄士はどのようなキャラクターとして設定しましたか。

 雄士は「道を聞かれやすい男の子」というイメージ。人の良さがにじみ出ていて、人からよく道を尋ねられる。そういうタイプの男の子なら、商店街にもすっと馴染んでいけて、いろんな人に可愛がられるんじゃないかなと思いました。あとは漠然としたイメージですけど、物静かで、あまり大声で騒いだりしないタイプですね。だったら男兄弟がいるよりも、姉か妹がいるんじゃないかな、おばあちゃん子だったんじゃないかな、といった感じで、家族構成も決めていきました。

──富山出身というのにも何か理由が?

 富山は一度行ってみたい、憧れの土地なんです。写真や映像で見て、なんて素敵なところなんだろうと。ご飯も美味しそうですし、雄士のキャラクターにしっくりはまったのが富山でした。連載中は雄士の家族も富山弁ではなかったんですが、単行本化にあたって担当編集さんのお知り合いの富山在住の方に協力していただいて、セリフを富山弁に書きかえました。妹の胡桃くるみだったらこう、おばあちゃんならこうと、年齢による違いまでチェックしていただいて、かなりいい感じに仕上がったと思います。

1話目は惣菜店からと決めていた

──これまで料理をしたことがなかった雄士が、生まれてはじめてご飯を炊くというシーン(第1話「豊倉惣菜店」)が印象的でした。自分のご飯を作ることで、彼はいろいろなことを発見し、学んでいきます。

 わたしも実家を出るまでほとんど料理をしたことがなくて。結婚して料理を始めたら、包丁を握る力が強すぎて、手にまめができました。でも新鮮で楽しくもありましたね。わたしは野菜を大量に刻むのが好きで、だからうちの料理は豚汁とか野菜スープが多いんですけど(笑)、玉ねぎやにんじんを刻みながら、書いている小説のことを考えたりします。

──最初は不慣れだった家事にも、雄士は少しずつ慣れていき、味噌汁を作ったり、お弁当を詰めて大学に持っていったり、ということができるようになります。ささやかな変化ですが、彼にとっては大きな一歩ですね。

 本当は掃除とかもやらせたかったんですけど、今回そこまでは手が回りませんでした。まあ掃除はさぼっても生きていけますが、ご飯は毎日食べないといけないですからね。雄士が作る料理は初心者でも作りやすいものばかりで、凝った料理はでてきません。大学の友人が教えてくれためんつゆをつかったパスタとか、名前をつけるほどではないけど美味しい、そういう普通の料理をちょっとずつ覚えながら、自分の生活に向きあってもらおうと思いました。

武塙麻衣子さん

──そんな雄士が足繁く通うことになるのが、近所にある一角通り商店街。親切なおばあさんが立っている惣菜店、雄士がバイトすることになる喫茶店、メニュー豊富なおにぎり屋、双子の兄弟が営むベーカリーなど個人店が並ぶこの商店街で、雄士は多くの人と出会うことになります。

 1話目を惣菜店から始めようというのだけは決めていました。4月は上京したばかりで料理がまだできませんから、惣菜店がいいだろうなと。あとは連載をしながら、ぱっと頭に浮かんできたお店を登場させるという感じでした。出てくるお店は自分の中にある、こんなお店があったらいいなというイメージの集合体です。パン屋さんが双子だったら嬉しいなとか、お肉屋さんは体格がよさそうだなとか(笑)。ただ雄士がバイトすることになる喫茶ネムノキは、一応モデルになったお店があって、ソファがミントグリーンで、テーブルに花が飾ってあるという内装は、そのお店からお借りしました。

「昔懐かしい感じがする」

──喫茶店でバイトを始めたことで、雄士はますます商店街の人たちと打ち解けていきます。日々交わされる何気ない会話が、楽しくも愛おしいですね。

 商店街の良さっていうのは、お店の人と会話があることだと思うんです。顔なじみの人に挨拶をして、その日のおすすめを教えてもらったり、魚屋さんで買った魚をおろしてもらったり。そういう何でもないやり取りがある暮らしっていいものですよね。特にこの仕事を始めてからは、一日中ほとんど机に向かっていて、猫以外とは口をきかない生活が続くので、不意に誰かと話したくなります。話すといっても長々おしゃべりがしたいわけじゃなくて、こんにちはと声に出して言いたい。商店街が近所にあればと思います。

── 一角通り商店街には、銭湯や立ち飲み屋、飲食もできる魚屋など、近所の人たちが集える空間がいくつもあって、そこも魅力的ですね。

 人が集まる空間が好きなんですよ。飲み屋も大好きですし、一角通り商店街はわたしの理想が詰まった場所ですね。この小説を読んでくださった方から、「昔懐かしい感じがする」という感想をいただきました。確かにこういう活気のある商店街は、全国的には少なくなっているのかもしれない。でも居酒屋とか銭湯とか、人が集まってこういうやり取りができる場所は、令和の今もまだあちこちに残っているんじゃないかという気がするんです。

──ところで雄士が一浪しているという設定は、彼にお酒を飲ませるためですか?

 そうです(笑)。大学に現役合格していたら、大学2年になるまでお酒が飲めないんですよ。雄士は性格的にこつこつ型なので、受験も問題なくクリアしそうですが、どうしても一角通りでお酒を飲んでほしかったので、申し訳ないと思いつつ、1年浪人してもらいました。

──武塙さんは以前エッセイで、おじいちゃん子だったと書かれていましたね(「作家を作った言葉」より)。雄士がおばあちゃん子であるのは、武塙さんのご経験の反映でしょうか。

 はい。雄士がおばあちゃんにはがきを書くシーンがありますが、あれはわたしがやりたかったことなんです。前職であちこちに行く機会があって、その時にはがきを送っていたら喜ばれただろうなと。生前の祖父はわたしが本好きであることを喜んでくれて、どんどん読みなさい、マンガでも何でもいいから好きなものを読みなさい、と励ましてくれた。それが今の仕事に繋がっているところは確実にあると思います。祖父は設計事務所を営んでいて、書店の設計に携わったという話は聞いたことがあったんですが、最近になって母から商店街の設計もしていたという話を聞きました。「この本を書いたのも、おじいちゃんのことがあるからじゃないの」と母に言われて、びっくりしたんです。不思議な縁を感じました。

武塙麻衣子さん

──その他にも、姉妹のなんでも屋さんでお弁当箱を買ったり、パティスリーの店主にサボテンをもらったり、個性的な書店に足を踏み入れたりと、心にしみるエピソードが連作形式で描かれていきます。雄士や商店街が大きな事件に巻きこまれる、というストーリーにもできたはずですが、最後まで淡々としたトーンを保っていますね。

 昨日と同じような、ありふれた日常を書くのが好きなんです。変わっていないように見えて、実は少しずつ時間が流れている。そのことにふと気づいて、雄士のわずかな成長を感じてもらえたら。大きな出来事が起こるような小説もいつか書いてみたいですが、この作品に関しては事件らしい事件が起こらない方がふさわしい気がしました。

映像が浮かぶような文章を

──雄士の感情の揺れ動きが、生き生きと伝わってくるような文章も大きな魅力です。文章表現で気をつけたことはありますか。

 感情を描く時は、単に「嬉しかった、悲しかった」と書くのではなく、その時目に映っている景色や光の具合、ちょっとしたしぐさなどで表現できたらと心がけています。これは一例ですけど、誰かに品物を手渡すとして、渡してすぐに手を引っこめるんじゃなくて、相手がしっかり受け取るまで待っている。そういうささやかな感情の揺れ動きが表現できて、読む人の中に映像が浮かぶような文章が書けたらいいなと思います。

──初めての連載小説でしたが、苦労した点や大変だったことは?

 それが間違えて8月を2回書いちゃったんです。連載では大学1年の4月から3月までを12のエピソードで書いていく予定だったんですが、連載終了の直前になって計算が合わないことに気がつきました。結局、わがままを言って13回書かせてもらいましたが、あれは衝撃でしたね(笑)。

武塙麻衣子さん

──単行本のために書き下ろされた最終話「徳森眼鏡店」で雄士は、商店街のためにある決意をすることになります。この幕切れはどのように浮かんできたのでしょうか。

 結末をどうするか具体的には決めていなかったのですが、きっと雄士は商店街のために何かをしたくなるだろうとは思っていました。そのうえで何ができるだろうと考えるのが書き下ろしのエピソードです。将来雄士がどんな人生を歩んでいるのかは分かりません。でも商店街の力になりたい、何かをしたいという思いが芽生えただけでも、十分彼は変わった。結末としてはそれで十分だと思います。

──自分の家の近所にもこんな商店街があればいいのに、と読んでいて何度も思いました。ではこれから『一角通り商店街』を手にする読者に、あらためて一言お願いします。

 何気ない会話、ゆっくりと移り変わっていく季節、淡々とした日常の愛おしさ。そういったものを書いた小説です。これを読んで近くの商店街に足を運んだり、馴染みのお店にふらっと立ち寄ってみたりするきっかけになれば嬉しいです。


一角通り商店街のこと

『一角通り商店街のこと』
武塙麻衣子=著
小学館

 

武塙麻衣子(たけはな・まいこ)
1980年神奈川県生まれ。立教大学文学部卒業。著書に、エッセイ集『酒場の君』『西高東低マンション』など。『一角通り商店街のこと』は初小説となる。

武塙麻衣子さん

西川美和「深海の船」第1回 置いてきた子供
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