朝比奈あすかさん『おはなしの時子』*PickUPインタビュー*

全世代、他人事じゃない物語
元気な母親が漏らした「寂しい」という一言
10年前に夫の潔を亡くした79歳の時子は、独身の長男・和洋と一緒に暮らしている。早朝のラジオ体操でできた仲間もおり、多少の身体の不調はあるものの、平穏に暮らしていた。だがある時、孫の愛梨を騙る詐欺電話に騙され大金を取られてしまう。長女・亮子からの厳命で固定電話を解約することとなった時子だが、電話にも思い入れがある。そこで考えたのは、契約が切れるまでの間、電話番号を公開していろんな人とお話しすること──。
これまで子どもの受験がテーマの『翼の翼』など若い世代の家族小説も多く描いてきた朝比奈あすかさんが、新作『おはなしの時子』ではシニア世代の女性を主人公に、その日常と周囲との人間関係を描く。本作のヒントとなったのは、朝比奈さんご自身の母親の存在だった。
「私の母は現在82歳ですが、ずっと自宅の六畳間で洋裁教室を開いているんです。生徒さんは母と同じくらいの世代の方が多くて、たまに実家に帰った時に漏れ聞く母たちの話がものすごく面白くて。10年くらい前から、いくつになっても仲間といると楽しいよ、みたいな雰囲気の小説を書きたいという気持ちがありました」

母親には、日常生活や人間関係についてたくさん話を訊いた。
「最初は母も元気に答えてくれていたんです。母は長年、眠れないことに悩んでいるんですけれど、眠れない夜はどんなことを考えているの? と訊いたら、最初は『そんなのわからない』と言っていたんですけれど、ふと『寂しいね』って。思えば、母の両親はもういないし、母の2番目の姉や、仲の良かったお友達が認知症になって母のことを忘れてしまったりしている。作中では時子さんではなくお友達の経験として書きましたが、母は憩室炎になったことがあって、食事にも制限があります。やっぱり若い頃とは少しずつ違ってきているんですよね。日々だましだましやり過ごしながら、楽しいことを見つけてはいるけれど、寂しい気持ちにもなるんだなと思って」
そこから、書こうとしている小説のトーンも変わっていった。
「最初は『おはなし電話』で時子さんがいろんな人の心を温めていくという、ちょっとファンタジーっぽい話を考えていたんです。でも、母の話を聞いているうちに、母の年代の人たちの寂しさや心もとなさ、寄る辺なさを書きたくなりました。やっぱり私も、この先昔のようにはいかなくなっていく予感があります。だったらファンタジー的な話よりは、母の世代の人たちの日常や、そこで感じるものを知りたいなという気持ちになりました」
描かれるのは、人生を達観しているわけでもない、パワフルで若々しいわけでもない、等身大のシニア。読めば登場人物のどこかしらに、自分や身近な人を重ねる瞬間がきっとあるはずだ。
詐欺被害に遭った祖母と孫
電話で詐欺に遭うという設定にしたのは理由がある。
「実は、もう10年以上前の話ですが、母も電話の詐欺に遭ったんです。私の妹が事故を起こして、示談にするためにお金を必要としている、と騙されて。母が『いろいろな人に連絡をとりたい』と言ったら電話が切れてしまったんですけれど、焦った母が私に電話をかけてきて、私も特殊詐欺について知っていたはずなのに、最初は本当に妹が事故を起こしたと思ってしまって。最終的に、妹が普通に仕事をしていたことが分かって、『あれはなんだったんだろう』となったんですけれど。その話を友達にすると、同じように電話で騙されかけた人がいたんです。それでちょっと、電話って恐ろしいなと思って。と同時に、時子さんのように、見知らぬ誰かにもう電話番号を知られているんだったら広めてしまおう、みたいに思う人もいるかな、って」
詐欺に遭ってショックを受けた時子は、亮子に固定電話を解約するように言われても、反論はできない。だが、夫の潔が生前、末尾の「0874」を「おはなし」と語呂合わせしていたこの番号には家族の思い出が詰まっている。解約までの間、電話で人とつながりたいと思った時子は、大学生の愛梨に協力を求める。
そんな愛梨は親に内緒で美容整形を受けようとして、強引な誘導で高額契約を交わしてしまった。それは詐欺ではないかと言っても、愛梨は認めようとしない。
「高齢者だから詐欺に遭う、という話にはしたくなかったんです。時子が遭った詐欺の受け子も、普通のアルバイトだと思って応募して闇バイトに引きずり込まれたのなら、それもある種の詐欺被害ですよね。だから、時子もお金を取りにきた受け子の子にも事情があるだろうと推察する感じにはしたかった。犯罪は犯罪ですし、同じような詐欺で重大な被害に遭って人生を奪われた人はいるので、どう描くかは難しかったです。でも生まれた時から詐欺師になろうとしている子はいませんよね。もし貧困に追い込まれて詐欺に加担したのなら、それは福祉の手が差し伸べられなかったからともいえるし、今の社会や、大人のあり方にも問題があったのかなと思います」

時子は受け子にお金を渡した時、相手が目をそらしたことが心に残っている。そうしたことも、「おはなし電話」で困っている人とつながりたいと思った一因なのかもしれない。
「おはなし電話」の試みと、時子さんの日常
愛梨はSNSで期間限定のアカウントを作って電話番号を公表しようと提案する。その文面づくりなどにおいての時子の戸惑いなど、「おはなし電話」が軌道にのるまでの紆余曲折も描かれる。
「電話を通じていろんな人と出会うというファンタジー的な話を考えていた時は、すぐに『おはなし電話』がスタートするイメージでした。でも、詐欺に遭った後にそんな簡単に心を切り替えられるかなとか、いきなりたくさんの人から電話がかかってくるかなどと、現実を考えてしまって。うまくいくまでの紆余曲折のなかにも、時子さんの人生があると思いました。それに、母の教室の生徒さんから話を聞くと、何かの手続きなどいろんなことが面倒くさくなる感覚があるみたいで。『明日にしよう』とか『まあまだいいだろう』と、先送りにする感覚もすごく出てくるのかなと思ったんです」
愛梨は手際よく作業を進めていくものの、次第に口実を作ってさぼりがちになるところがリアル。
「現実の大学生はちゃっかりしているだろうし、そりゃ自分の生活が優先だろうし。できるだけ理想化せずに書きたいなというのがありました。と同時に、純粋なところや祖母に対して愛があるところも書きたかったですね。自分の世界を広げようとするおばあちゃんの明るいパワーは、孫にも伝播させたいなと思っていました」
愛梨が来る日に時子が手早くお菓子や食事を作る場面も何度かあるが、どれもじつに簡単なレシピで美味しそう。これは、実際に朝比奈さんの母親が作ってくれたもののレシピを再現したのだという。
電話番号を公表すると、少しずつ、雑談を望む電話や、身近な人には言えない辛さを吐露する電話がかかってくる。それらの印象的なエピソードが盛り込まれながらも、メインで描かれるのはあくまでも時子の日常だ。
時子の習慣は、公園で行われる早朝のラジオ体操。夫を亡くして無気力状態が続いていた頃に勧誘の貼り紙を見かけ、いくつかの季節を経てようやく思い切って参加し、今では習慣となっている。
「夫と死別した後、時子さんは1年半から2年くらいは抑うつ症状になっている。テレビをつけていても何を見たか憶えていない、読書もできない、お風呂も入らない、何もできない。人それぞれだとは思いますが、実際にそういう期間があった方がいると聞いたことがあるんです。それとは別に、ラジオ体操は母の実体験なんですよ。七十代前半の頃に早朝のラジオ体操に参加したら、若い人が入ってきたともてはやされたらしいです(笑)。そのツテで老人会に入れてもらったところ、みんなでランチに行って、大学生の新歓コンパみたいな感じで歓迎された、って。その話を聞いて『七十代になって、こんな楽しみが待っているんだ』と、ちょっと勇気づけられました」

ラジオ体操に参加してできたのが、3人のお茶飲み友達。現在74歳のカズエさん、90歳の倖さん、81歳の文代さんだ。
「こんな友達がいたらいいな、と想像して書きました。リーダーシップのあるカズエさん。ひとり暮らしで、モーニングルーティンがあるような生活を送っていて、時子のロールモデルになってくれる倖さん。文代さんは『長生きしたくない』などと言う人ですが、これは洋裁教室の生徒さんからも聞く言葉なんです。老いていくことや、病気になることへの不安の裏返しかもしれません。聞いていていい気分になる言葉ではありませんが、言いたい気持ちを止められないんでしょうね。それを深刻に書くと重くなるので、そういうことを言う文代さんを倖さんがたしなめる、という関係を書きました。時子さんを含めて4人のシニアの女性が描けたので、前向きだけではない、でも諦めだけではないという、いろんな心情を書くことができました」
というように、シニア世代のさまざまな心情が盛り込まれていく。「子どもに面倒を見てもらいたい」ではなく「子どもに迷惑をかけたくない」という気持ち、身体の不調を「歳だから」で片づけられてしまうことのもどかしさ、行きつけの喫茶店に若い客が増えた時の居場所のなさ、時子、亮子、愛梨の母・娘・孫の愛情・心配・気遣いの絡まりあい……。
ちなみに長男の和洋は留守がちであまり顔を出さないが、ならばなぜ同居している設定にしたのか。
「高齢の母親と独身の息子が一緒に住んでいるというのは、わりとよく聞く話だったので。最初は時子や生前の潔が、和洋が家を出ていかないことに悩んでいたなどと書いていたんですけれど、ふと、それの何が問題なんだろうと思って。それで、和洋は和洋で楽しく暮らしていることも書いたんですけれど、それは時子さんの知り得ないところなので削りました。生活は別々で、お互いの生活に干渉していなくて、時子自身それをあまり気にしていない、というふうにしました」
それでも、同居人がいるのは心強いだろう。子どもや孫たちとの関わりもある、友達もいる、多少の不調はあるものの自立した生活ができている。それでも時子は時折いいようのない寂しさに心を掴まれる。朝比奈さんのお母さんが口にした「寂しい」という気持ちも、作中で丁寧に掬い上げている。そうした感情を抱えながらも、時子さんは一歩を踏み出していく。年齢に関係なく、寄る辺なさを感じながら生きている人にとって、彼女の姿は共感をおぼえ、そして自分へのエールを感じるはずだ。
人とつながることの尊さ
人と人とのつながりの貴重さを、改めて感じさせてくれる本作。
「母もだんだん身体が弱ってきていたので、コロナ禍で洋裁教室をお休みした時期、母と私と妹でこのまま教室を閉じようかという話をしたんです。それを生徒さんに話したら、『ここに来ないと話をする人がいない』という方がいて、母が『◯◯さんのためにも、看板は外さないでいくわ』と言い出したんです。母自身、ちょっと気力がみなぎる感じがありました。それが当たり前の時は気づかないけれど、行ける場所があって、話す相手がいるというのは、すごく尊いことだと気づきました。人と出会うこと、人と話すことが、時子さんにとってはラジオ体操が、『おはなし電話』にかけてくる人たちにとってはこの電話番号があることが、本当に素晴らしいことなんだなって」
思い切ってラジオ体操にでかけた時子。思い切って「おはなし電話」にコールした人たち。誰かとつながろうとする小さな勇気から生まれた、ささやかな奇跡の物語だ。
朝比奈あすか(あさひな・あすか)
1976年、東京都生まれ。2000年、ノンフィクション『光さす故郷へ』を刊行。06年、群像新人文学賞受賞作を表題作とした『憂鬱なハスビーン』で小説家としてデビュー。主な著書に『翼の翼』『自画像』『君たちは今が世界(すべて)』『ななみの海』『普通の子』などがある。




