【著者インタビュー】永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』/目撃者たちが語る雪夜の惨劇――驚愕必至の企まれし時代小説

〈あれは忘れもしない二年前の睦月の晦日。雪の降る晩のことでございます〉――文化12年1月、伊納清左衛門が一子、菊之助が木挽町森田座の裏で父の仇と相対し、その首を刎ねた事件。目撃者たちの言葉に潜む、驚愕の真相とは? 注目の時代小説の著者にインタビューしました!

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芝居小屋のすぐそばで起きた雪夜の血まみれの惨劇 その驚愕の真相とは――注目の歴史・時代小説家、最新作!

木挽町こびきちようのあだ討ち

新潮社 1870円
装丁/新潮社装幀室 装画/村田涼平

永井紗耶子

●ながい・さやこ 1977年神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒業後、新聞記者を経てフリーライターに。経済から古典芸能まで幅広い分野で活躍し、2010年「絡繰り心中」(後に『部屋住み遠山金四郎絡繰り心中』)で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。20年の『商う狼 江戸商人杉本茂十郎』で第40回新田次郎賞、第10回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞。昨年『女人入眼』が直木賞候補となるなど目下注目の気鋭。著書は他に『横濱王』『大奥づとめ』等。158㌢、B型。

忠義や献身を押し付け自己犠牲を強いる〝耐えるカルチャー〟は今に地続きのまま

〈あれは忘れもしない二年前の睦月の晦日。雪の降る晩のことでございます〉
 まずは江戸三座の一つ、木挽町森田座で木戸芸者を務める〈一八いつぱち〉が、文化12年1月、〈伊納清左衛門いのうせいざえもんが一子、菊之助きくのすけ〉が同座の裏で父の仇と相対し、その首を見事ねてみせた一件を滔々と語り始める第一幕〈芝居茶屋の場〉から、永井紗耶子著『木挽町のあだ討ち』は文字通りの幕を開ける。
〈仇討物語は数多かれど、まことその目にしたという人はさほど多くはございますまい〉とあるが、第二幕以降も語り手を務めるのは、元武士の立師たてし与三郎よさぶろう〉に女形兼衣装係〈芳澤よしざわほたる〉、小道具の〈阿吽あうん久蔵きゆうぞう〉とお内儀の〈お与根よね〉など、「あの仇討ちを見たかって。ええ、見ましたよ」という目撃者ばかり。そして彼らを順に訪ね回るその若侍が何やら菊之助の縁者らしいことだけを知らされたまま、読者は計6段分の目撃譚をその名調子につられて読み進めてしまうという、実はこう見えて驚愕必至、してやられること必至の、企まれし時代小説なのだ。

 元々にはハマりやすい体質だった。初めて歌舞伎を観たのは小2の時。以来、大叔母の薫陶を受けた著者は大の芝居好きへと成長し、新劇に落語にと、時間さえ許せば何でも観に行った。
「確か最初に連れて行かれたのが先代の市川猿之助さんの『ヤマトタケル』でした。何の知識もなしに号泣する私に、大叔母は『この子はハマるな』と同じ匂いを嗅ぎ取ったんでしょうね(笑)。落語も今だとサブスクで聞いたりして、定期的にハマるんです。ちょうどこれを書いたのがそのハマり期間中で、私は落語の『中村仲蔵』も好きだし、この一人称の語り口は絶対イケるなって、何より自分が思い込んじゃったんです」
 そう。その口上の巧拙が客入りをも左右する一八に、元武士だけにお堅い与三郎。それとは対照的なほたるとお与根の喋りに、元旗本の次男坊で、劇評家や落語家の顔も持つ筋書すじがき金治きんじまで、本書では話者各々の来歴についても若侍が取材。その波乱の人生や理不尽な社会の有様にこそ、むしろ著者は描写の多くを割く。
「仇討物なのに、ですよね(笑)。あれは私が大学を出た頃。まだ勘九郎だった勘三郎さんの『野田版 研辰の討たれ』(01年)を立見席で観たんです。迷彩柄の袴を着た勘三郎さんが赤穂を讃える人達を批判したり、古典的な仇討物に現代的な諷刺を取り入れた作品で、ああいう話を自分でも作りたくなっちゃった。
 今作に出てくるのはみな、世間でいう落伍者ばかりで、一見芝居周りのお仕事小説風に見せつつ、彼らがなぜ芝居小屋という〈悪所〉に集い、どんな痛みや苦渋を抱えて生きてきたのかを、当時の空気感や社会構造と併せて描いてみたかった。加えて私なりの仇討の解釈というか、違和感ですね。仇とはいえ人殺しを肯定し、吉原を単なる夢の国として描くのは、現代の感覚ではやっぱり抵抗があるので。
 もちろん時代性はあるでしょう。でも昔の人だって斬られたら痛いし傷つくし、人としてはそう変わらないはずで、そうした違和感や歌舞伎愛や落語愛も全部ミックスして出てきたのが、この小説だったんです」
 例えば一八である。母は中店の女郎で、彼は母や彼女が惚れた男の暴力に晒されて育つが、そもそも吉原には男の仕事がない。やむなく幇間の弟子に入るが、母の死後はまるで身が入らず、ある時、遊女を面白半分に凌辱する客に盾突き座敷をしくじった彼は、師匠にこう引導を渡される。〈吉原から離れな〉〈本音じゃあ女郎を買いに来る男が嫌いだろう〉。図星だった。
 そして食べるにも事欠く中、元旦那衆と偶然再会し、弁当目当てに森田座で芝居を観たことが転機となった。〈ああ。こんな世界があるのか〉〈客に夢を見せるためだけど誰より手前が楽しんでいる。それがいい〉と、その場で口真似を披露した彼に看板役者の尾上栄三郎が驚き、〈お前さん、木戸に立ってみる気はねえかい〉とスカウトされるのである。

お互いに敬い合う方が生きやすい

「吉原で男に生まれた人の居場所のなさや、より弱い部分に暴力が向かう傾向は今も共通で、特に私が気になるのが耐えるカルチャー、、、、、、、、というかな。確かに忠義を理由に自己犠牲を強いられる場面は現代より江戸時代の方がずっと多いと思う。でも殺すとか殺さないとか、身を売るとか売らないとか、人として受け入れ難いことまで強要され、しかも抵抗できない構造は、今に地続きのままだと思うんです。
『耐えるのが日本人の美徳』と言われて、みんな心や体を壊すまで耐えてしまう。一方、言った側は責任を取らずに野放しのまま。
 儒教の本を読んでみると、人にとって最も大事なのは仁で、忠はその下なんです。それなのに忠義や献身を一方的に押し付ける人には『貴方こそ仁がないですよ』と私は言いたいし、いつそれが目下の者だけが守るルールにすり替えられたのか。いっそ思考停止はやめて、逃げてもいいから生きようよ、意外と他にも道はあるかもよって原点に返った方が、世の中少しは変わるんじゃないのかなって」
 浅間山の大噴火で故郷を追われ、江戸に出て物乞いをする間に母が死亡、その後も火葬場や仕立屋で働いて辛酸をなめ、先代に縁あって拾われたほたるや、一粒種の〈まあ坊〉を最も可愛い盛りに亡くしている久蔵夫妻など、弱冠15歳で国を出た菊之助の力になろうとした人々もまた、誰かに助けられて今があった。
「とにかく一度失敗しても、ごめんなさい、ドンマイでやり直せる社会にするには、どちらが上とかではなく、お互い敬い合う方が安全だし、生きやすいはずです。
 でも最近は人に頼るにも逆に助けるのにも躊躇するカルチャー、、、、、、、、、がある気がしてしまう。チャリティーひとつやろうにも偽善って言われちゃうんですよね。甘えたって、迷惑かけたっていいじゃんって思うんです。追い込まれる前に言わないと手遅れになりかねないし、特に男性は弱音を吐くのが苦手だったりして、耐えるべきカルチャーは今なお社会を蝕んでいる。それを少しでも楽にできたらいいなと、そういうのが私の一貫したテーマになっている面はあります」
 むろん本書は小説であり、歌舞伎という見せてナンボ、語ってナンボの世界を描く、虚構中の虚構といっていい。が、そうした嘘や外連にも人の思いや血が通い、真を見せる瞬間も時としてあり、だから著者は歌舞伎を愛し、時代小説を書くのだろう。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2023年2.3号より)

初出:P+D MAGAZINE(2023/01/28)

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