源流の人 第41回 ◇ 後藤達也(経済ジャーナリスト)
組織を飛び出しSNSの海へ
お金の世界を読者目線で発信
日本経済新聞の記者として2004年から18年間、後藤は金融市場・政策、財務省などの取材現場を奔走してきた。2016~17年には、コロンビア大学ビジネススクールで客員研究員も務めている。2019~21年には、ニューヨーク特派員に。かの地の勤務は名実ともに「エリート中のエリートコース」だ。そんな特派員時代の2020年春、後藤は「Twitter」(当時)に個人としてのアカウントを作り、自身の言葉で呟き始めた。瞬く間に支持が広がり、2年弱でおよそ37万人ものフォロワーを擁するように。新聞社を退職する時の2022年春、後藤が新アカウントを取得したことを呟くと、たちまち約10万人が、ごそっと移動した。眼鏡の奥の、くりくりした瞳が印象的な後藤は、その日のことを振り返り、笑顔で語り始めた。
「37万人のうち、どれぐらいの人が新アカウントに移るのかって正直よくわからなかったんですよ。でも、もう本当に、0.01秒刻みぐらいで(スマホに)『フォローされました』『フォローされました』。ババババーって来たんです。ホラー映画みたいに(笑)。それを見た時は、すごく嬉しかったですよね」
フリーランスとして歩み始めることを決めた瞬間、最初に目に見えて現れた「成果」だった。
「会社を辞めてから今までの2年間で、一番とまでは言わないですけど、記憶に残る瞬間ではあります。日本の報道に携わっていると、多分、同じ経験をする人はいないんじゃないでしょうか」
退職の意思を後藤が会社に伝えたのは、退職日のたった1か月前だった。だが、その5年ほど前から「定年までは会社にいないだろうな」という気持ちを抱いていたと打ち明ける。
「そのためには転職、あるいは独立の選択肢が持てるように、会社の中だけを見るのではなく、会社の外での評判や、雇ってもらえる可能性は耕しておかなきゃいけない。別に、何か大きなきっかけがあったってわけではないですけど、じわじわと退職の意思が高まってきたんです」
最初に退職を申し入れた時点で、「たとえ、どんな引き止めがあっても、絶対に話を聞かない」と決めていたという。後藤は笑顔で振り返る。
「そうじゃないと、なびいちゃうと思ったので」
共働きの妻や、小学生の娘は、後藤の背中を押してくれた。
「あとちょっと、やっぱり仕事に窮屈さが強まっていたのもありました。『だったら辞めた方がいいよ』って。後押しされるぐらいの感じでした」
最も大事なのは読者の顔
自分自身の将来設計を見直すうえで、SNSフォロワー数の影響は、少なからずあるだろう。デスク(新聞記者の原稿をまとめる上司)にチェックしてもらう必要はなく、自分の責任で一字一句、発信を続けてきた。書きたいことは書くし、書きたくないことは書かない。会社の看板を汚さぬよう留意しつつ、自身の伝えたい言葉のみを磨きぬいた。
「受けると思った話題が受けなかったり、逆にものすごく反響があったり。反応が生で見えてきたことに、面白さを感じたんです。会社に縛られず、外でもチャレンジしてみたい気持ちが強まりました」
自分では意図していなかった反応──。たとえば、「日経新聞だったら一面トップになりそうだ」という話題なのに、あまり反応が良くなかった。あるいは、「新聞でこの話題を記事にしたいと思っても、素材が足りず、記事としてまとめにくい」と思うものに、大きな反応があった。後藤はそこで気づきを得たという。
「これまでの新聞の中でやっていたことは、読者の方ではなく、上司に対し、いかにしてこの記事を通すかとか、どうやってプレゼンスを上げるかっていうことばかりに意識が向かっていたなって」
もちろん、たとえ読者の関心が薄くても、伝えなければいけないものを伝える必要が、新聞を含む報道機関には求められる。エディターシップを発揮し、伝えるべきものを伝えることは新聞の使命だ。「ただ」と後藤は「寿司」にたとえてこう語る。
「職人(=記者)として、ある大きな寿司屋さん(=新聞社)に入りました。店にはすごい親方がいます。親方っていうのは新聞記者でたとえると編集局長。ネタを取ってくる相手(=取材先)は、今の豊洲、昔の築地の人。『このネタ、良いよ!』。そう言われても、親方が良いと言うかどうかは、わかりませんよね」
隠し包丁を入れる、昆布締めにする。何かしら手仕事を加えろ。親方は指示するかもしれない。
「でも結局、そこで終わってしまっているんです。じつは、最も大事なのは、寿司を頬張るお客さんの顔なのに。豊洲の人にどれだけ薦められ、親方の言う通りの仕事をしても、お客さんがあんまり美味しそうに食べていなかったら、駄目じゃないですか」
逆もまた然りだ。後藤は続ける。
「江戸前寿司で『サーモンなんか出すもんじゃねぇ』って言われていても、お客さんが美味しく食べていたら、これはこれで価値がある。カリフォルニアロールだって、お客さんが喜ぶのなら、そこには需要がある。意外と新聞記者って、お客さんのことが見えていない。生のお客さんとの接点って、ほぼないじゃないですか。最近だと電子版ページビュー数もわかるので数字として見えてくるかもしれませんが、『これを書けば読者が喜ぶかな、喜ばないかな』っていうのがない」
どうすれば取材成果を伝えられるか、上司を攻略してアウトプットできるか、この2つだけ。組織で働く以上、会社の中で説得する力は当然必要だけれども、あまりに読者目線が欠けているのではないか。後藤はそう唱える。新聞記者出身の、本稿の筆者もまったく同感である。
Twitter を始めただけでも、数々の発見があった。それならば、YouTube も始めてみたら、また新たな発見があるかもしれない。他の人がやっている様子から分析するのではなく、あくまで肌感覚として、自分で経験してみたい。そうでないとわからないことがあるというのは、Twitter を始めて痛感していた。後藤は言う。
「場合によっては『TikTok』やったりとか、テレビやラジオに出たり、本を書いたりもそうですけど、メディアとかプラットフォームを超えていろいろやってみたり、プラットフォーム間のつながりを見てみたい、とも思ったんです」
そんな活動ができるサラリーマン記者は、日本にいない。それならば組織を飛び出し、自分でやってみよう。大失敗したとしても、経験は武器になる。1、2年、たとえ年収が100万円に減ったとしても、生きていけるだろう。
「半年後に『のたれ死に』にはならないくらい貯金はありました。なので、リスクを取ったって感じです」
清水の舞台から飛び降りる、といったような切迫感は、彼の言動からは感じられない。こうして、冒頭に記した広い支持を得て、後藤はフリージャーナリストの道を歩み始めた。日経新聞という組織を離れても、彼に寄せる信頼や期待はとどまることを知らない。それにしても、彼の YouTube 動画を観ていると、語りかける言葉が、実直で、ユーモラスでもあって、飽きさせないための工夫が随所にちりばめられているのを感じる。文字で発信する従前の仕事と、自分自身が喋る仕事。違いはどんな点にあるのだろうか。
「もう、ぜんぜん違いますね。時間の使い方、関心の持たせ方はまったく違います。グラフを使うなど画面を動かしたりすることもできますし、見せ方はまったく違います。あとは、読者、視聴者層が違う。Twitter と YouTube でもだいぶ違う気がするんですよね。関心の引き方も違ってくる。細かく統計をとっているわけではありませんが、多い層は40代、50代。投資に関心を持ち始める人で、男性が7割だと思います」
「健全な感じ」で投資の橋渡しを
2023年、彼は古巣の関連会社・日経BP社から単行本『転換の時代を生き抜く 投資の教科書』を上梓した。彼が本の中で強調しているのは、「攻めではなく、守りの観点で投資の意義を考え直すことで、投資の見方を変える」という点だ。これからの時代、自分自身で考えないと成り立っていかないという危機感も抱きつつ、投資の必要性が平易な言葉で語られている。この本が売れに売れ、2024年2月時点で約13万部。都心でも大きな書店には専用コーナーがつくられているほどだ。
「投資に対する関心がここ数年で高まってきています。株高もありますし、新NISA、円安、インフレもあって、銀行預金だけではダメなのでは、という雰囲気も広がっていると思います。日本人は横並び意識が強いので、周りの人がやっていると、自分も何かやろうかってなると思うんですよ。そういう時期に今、来ている気がしています」
貯蓄から投資へ、というスローガンはかねて言われてきたが、過去数十年を遡っても、今ほどいろいろ条件が揃っていることはないような気がする、と後藤は言う。
「過剰に投資ブームに行くのは良くないかもしれないですけども、これまで日本って縮こまっていたと思います。せっかく良いタイミングだから広がることは良いこと。その時に、『健全な感じ』で橋渡し、ナビゲートできるような本になれば、っていうのが執筆の大きな動機です」
ことさら煽り気味で派手なカバーや、「これを買えばOK!」「究極の何銘柄!」などという文言を並べれば、読まれやすいかもしれない。けれど、それは自分の仕事ではない。これなら信頼できる本だ、こういう本だったら、子どもに読ませたい、そんな本になるように後藤は心がけた。
「自分自身が伝えたいことを、オラオラと押し付けるんじゃなくて、読み手の気持ちに寄り添って、気持ち良く。例えば初めて自転車に乗る子どもに乗り方を教えるようにしました。その時に、最先端の自転車の情報を伝えても意味がない。この本に関しては、なるべく読者の楽しさ、関心が落ちないっていうことに、優先度を高めたところはありますね」
筆者が少し驚いたのは、カバーに「元・日経新聞記者」という肩書きが載っていなかったことだ。そう告げると、後藤は笑いながらこう語った。
「他のかたにも言われました。言われるまで気づかなくて。(元職を)入れるか入れないかって別に議論したわけでもなくて、なんか自然とそうなっていた感じです。もし、誰かから『元・日本経済新聞記者って入れた方がいいのでは?』と言われていても、『入れなくていいんじゃないですか』って言っていたような気がしますね。別に入れる必要性があまりないような気がしたので」
マスメディアとは違うマーケットで勝負する
コンテンツ配信サイト「note」の後藤のコミュニティには、現在3万人超の有料会員(メンバー)がいる。ターゲット層は、日経新聞のそれとは意識的に変えていると後藤は言う。
「日経新聞は電子版と紙を含めて二百数十万部あって、日本の経済に関心があるトップティア(最高層)の人たちだと思うんですよね。そんな経済に関心のある上位の人たちの中へ一人で竹槍持って行っても勝てない。でも、代わりに何千万人っていう『そんなに経済に興味ない人たち』がいるわけですよね。この人たちって、難しい経済政策の話には興味がなくても、お金の運用とか老後の資金については関心がある。そこにものすごく大きなマーケットがあると思っているんです」
少額、あるいは無料なら、潜在的に顧客がいるはず。その人たちにこそ、何か提供したいという意識が後藤にはあるという。大資本の企業では、どれだけ社会意義があったり、アプローチが広がったりしたとしても、なかなかやれることではない。でもそれが個人なら、やれる。何十億、何百億といった売上高は目指せないマーケットかもしれないが、人に接点を持てて、社会貢献ができるかもしれない。それが後藤のジャーナリスト活動の源泉にある。
さらに現代社会においては、個人が社会にアクセスできるようになってきた。20年前には、Twitter や YouTube、note も存在しなかった。出版社や新聞社、テレビ局というマスメディアの箱を借りないとできなかったものが、今、できるようになってきた。彼は言う。
「その橋渡しですよね。例えば事務所、テレビ局に頼らず、YouTube で100万人、お客さんを掴んでいる芸人さんだっているわけじゃないですか。そういう流れで、別の力学のマーケットがきっと広がっている感じです。その人たちに向けた発信の仕方って、日経新聞で書く書き方とは、関心の引き方が違うと思うんですよね」
発信だけにとどまらない。後藤は全国の津々浦々に飛んでいき、フォロワーとの交流も深めている。こんなことも、新聞社に在籍していた時代にはできなかったことだ。
「1月に沖縄出張に行った時は、那覇の会員十数人で飲みました。受け手の声や表情を見るっていうのはとても大事なこと。全国のいろんな人と会っていると、それ自身が自分の競争力の目安になってくる気がするんですよね。講演で那覇の定時制の学校に行った後に、宮古島の宮古高校に行ってみたりと、意識的に地域をバラしているんですよ。東北に行ったり、北海道に行ったり。大学や高校、専門学校などにも行って、地域やテーマなどを意識的に分けているんです。それこそが国民の全体像。記者のように東京にいて、霞が関や上場企業の役員に取材し、会社の上司と喋っているだけでは狭いと思うんです」
あちこち出向いて、膝を突き合わせる。彼が2年間で出会ったフォロワーはじつに1000人以上になるという。
「全国各地のいろんな年齢の人です。1000人と言っても1億人の10万分の1ですけども、1000人のサンプルがあったら結構広いですよね」
「後藤さん! この間、こんなことがあってさ」
「この証券会社を使っているけど、ここがわけがわかんないのよ」
どこに躓きやすいのか。どんなことが起こっているのか。そこから逆算して考える。そしてnoteの記事にする。「こんな記事を発信したら、この人たちが絶対喜ぶよな」。そんなふうに意識変革が起きたと後藤は言う。
「実際に記事を書く時に、お会いしてきた何百人、何千人の人の顔が、情景に浮かぶ。メールを送る時って、相手のことを想像するじゃないですか。それと近い感じ。お客さんのことが見えているので、この人たちを喜ばせたくて書く。それは楽しい作業なんです」
Twitter、YouTube は基本的に、無料メディアだ。裾野が広く、誰でも触れうる。そのことを後藤は常に意識している。
「Twitter は基本、『秒』の世界。1分かけてじっくり読んでもらえない。140字読んでもらうことすら、かなり難しい。最初の0.5秒から1秒ぐらいでどう関心を引くかっていうことは意識します。YouTube はもうちょっと時間軸が長い。10秒、20秒は猶予が与えられますが、そこをクリアしてから、10分、15分、30分をどう保つのかっていうところが大事。見せ方も含めて違います。『note』はマネタイズ(有料化)しているので、母集団が違います。時間をかけて見てくれる。1年後、5年後、自分が見直しても恥ずかしくないよう、読者の信頼を何年もかけて築くべく、それに向けてやっている感じですね。入会者数は増えた方が良いんですけど、それよりも、時間をかけて退会比率が抑えられることに意識を持っています」
ライバルは「ホリエモン」!?
1日や1週間の流れは、会社員時代とは異なり、自由だ。
「疲れたら寝る。それは別に昼の2時でも、眠くてちょっと作業効率悪いなと思ったら、寝ます。自分が働きたいときに働く感じです」
空き時間は、そのとき次第。結果的に、日経にいた時よりも労働時間は伸びているかもしれない、と笑う。けれども、「やりたくてやっている」のだとも言う。
「好きでスマホゲームとかやっていたら、疲れないじゃないですか。それに近い感じ。面白いこと、やりたいことをやっています。逆に、このトピックを必ず月に1回書かなきゃいけない、みたいな義務感があってやると、だんだん仕事嫌いになっちゃう。レギュラー的な仕事は基本ないようにしているんです。ルーティンワークを課さないようにしています」
心身の負荷をかけないようにする。嫌いになりそうな要素の芽をあらかじめ摘んでおく。
「会社員だと、そんなこと言っていられませんが、今は、自分が上司。社長も自分、部長も自分。プレイヤーも自分。心身の負荷とか、自分の個人の仕事の持続性も加味し、何をやるかは決めている感じです」
―――
「後藤さん、ライバルはいるんですか?」
たまにそう聞かれることがあるという。こんな時、後藤が答えているのが、「ホリエモン(堀江貴文氏)」。えっ、ホリエモン!? 後藤は笑いながら語る。
「堀江さんは自分でプラットフォームを持っているわけですよ。YouTube も Twitter もあるし、note も書いていますけど、自分のプラットフォームから発信できるわけですよね。かなり主張は強烈かもしれないですけど、彼なりに取材して人脈も持っているし、考えている。発信して人に伝わっている。メディアの要件を満たしていると思うんですよね。一人で力があるっていうことです」
ホリエモンが発信する主張の是非はともかく、情報発信の観点で言えば、大きなメディアにいるサラリーマン記者たちは、社内や同業他社の人ばかり見ているといけないのでは。後藤はそう考えている。知名度があると、人脈も広がりやすい。取材力の観点で言うと、「中途半端なサラリーマン記者」よりも圧倒的に人脈が広がっていく。「堀江さんと喋りたい」って言って寄ってくる要人もいる。新聞記者の世界は細分化され過ぎていて、「トヨタのことは詳しいけれども、ソニーは全然知らない」「日銀とか財務省は行ったことすらない」みたいなことになってしまう。
「縦割りで、蛸壺化してしまうんです。それよりも一人だと1個1個、浅くなるかもしれないですけど、横断的に見られて、例えば『AIと不動産の関係って、どうなのか?』っていう、跨いだテーマであっても、考えを巡らせたり、異なる分野の人に当ててみたりできるのは、一人の強さであると思います」
後藤自身も、フリーランスに転じてから人脈が劇的に広がった。
「それこそ新聞社にいたとすれば、例えばですけど、トヨタの社長に会えそうになった場合って、担当記者に仁義を切らなきゃいけないじゃないですか。そういうのが要らないですから。会えそうになったら会えばいいし、そこは強いです」
後藤には好きな言葉がある。
「Connecting The Dots(点と点をつなぐ)」
2005年6月12日、Apple の創業者、スティーブ・ジョブズ氏が、スタンフォード大の卒業式で行ったスピーチだ。
「いろんな点を、広いところに打っていき、つなげるっていうことにイノベーションが生まれると思っています。『自分の担当分野だけの点を100個打つことができても、あとは全然ありません』ではなく、『まったく異なるカテゴリーの点をたくさん打っておく』方がいい。それができるようになったのは幸せです」
どれだけお金をはらってもできないゲームを楽しむ
記者クラブには行けなくなった。失ったものはあるけれど、得たものが圧倒的に多かった。日経新聞の肩書きでなく、後藤自身に興味を抱く人が増えたのだ。この転身は、20年前だったらできなかっただろう。なぜならば、仮に大手新聞社やテレビ局の記者が独立したとしても、その後できることは、本を書いたり、雑誌に寄稿したり、テレビでコメントしたり、結局はマスメディアの箱を借り続けていることになるからだ。寿司の構図で言えば、親方の顔が変わっただけだ。今は違う。SNSや YouTube では、お客さんとダイレクトにつながることができる。後藤は語る。
「転換の時代、働く価値観が変わっています。コロナで生活スタイルも変わっています。投資を軸にすればお金に対する考え方も変わっている。日本人って、あまり変化を好まない人たちだったと思うんですけど、あまりに環境が変わってきているので、人々の働き方とか暮らし方がどう変わっていくのか関心があります。AIという超ビッグテーマもあって、よりシャッフルされかねない。私自身も、変化を楽しみたい。この激変で日本の価値観がたくさん破壊されていくでしょう。良い意味でも悪い意味でも。そこは面白そうです」
後藤は、彼の仕事自体が、ゲームよりも面白いのだ、と教えてくれた。自分の持つ見識を発信して社会に貢献したいという根本は押さえつつ、同時に、ゲームのような感覚を覚えることもあるという。
「発信すると、世の中の人が反応してくれる。場合によってはリポストされ、100万以上のインプレッションが行く。日本中をぐるっと回って、ぱあっと答えが返ってくる。100万人の日本人の脳みそを介して答えが返ってくるなんて、こんなゲーム、やろうと思っても、どれだけお金をはらってもできないゲームですよね」
それに加え、本を出したことで、こんどは書店でリアルに手に取ってもらうという、新たな回路も誕生している。壮大なシミュレーションゲームだと彼は言う。かつそれがリアルタイムで続き、実際の社会とつながっていく。
いま、後藤の趣味は仕事だという、特技も仕事。365日が仕事。家族で旅に出かけても、子どもが眠った後には、ちょっとした時間を使って記事を書く。呟きを放つ。
「でも、それだけだと先細りしちゃいそうだから、何か趣味を持たないと、と思っています。ただ、家にずっといますから、妻が仕事で忙しくて、子どもの面倒を見なきゃいけない時の対応力は、従来より上がっているはず(笑)」
後藤はインタビューの日も、いつものスーツ姿だった。
「急にスタートアップ企業の社員を思わせるような身なりになると、旧知の人に『浮かれているな』と思われかねないので、スーツのままがいいかなと」
笑顔が弾けた。
後藤達也(ごとう・たつや)
1980年生まれ。2022年に日本経済新聞社の記者をやめ、独立。SNSを軸に活動中。経済ニュースを「わかりやすく、おもしろく」をモットーに、経済や投資になじみのない人を念頭に、偏りのない情報の発信を目指している。国民の金融リテラシーの健全な向上に少しでも貢献できればと思っている。
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