官能小説を年間300冊読む研究家に聞く、日本の官能小説の歴史

日本の官能小説はどのように生まれ、どのように広まってきたのか──。古今東西の官能小説を40年以上に渡って読みこなし、雑誌や新聞に紹介し続けてきた、官能小説研究家の永田守弘先生にお話を聞きました。

突然ですが、皆さんは官能小説を読んだことはありますか?
セクシーな動画や漫画がインターネット上で見放題なこの時代、わざわざ活字の官能にこだわらなくても……と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ではちょっとここで、官能小説家である櫻乃さくらのかのこ氏が実際に2011年に発表した、『戴帽式をまちわびて』という官能小説の一節を見てみましょう。

「はあ」
先生の腰に力がこもる。
洗浄ボトルの先端を、花芯の粘膜に向けた。ボトルを押すと微温湯ぬるまゆがチュルチュルと流れ出す。俊平はゆっくりと先生の花園を湯で洗い始めた。

……いかがでしょうか。女性の身体のデリケートな部分が“花芯”“花園”といった独特の語彙で表現されていることにより、ストレートな画像や映像よりも想像をかきたてられた──という方が少なくないのではないでしょうか。

官能小説には、動画や漫画とは違った独自の魅力があります。これまで官能小説に興味が湧かなかった皆さんも、官能小説のこれまでを知れば、「これは読んでみたい」という1冊が見つかるかもしれません。

今回は、古今東西の官能小説を40年以上に渡り読みこなし雑誌や新聞に紹介し続けてきた、官能小説界の生き字引である永田守弘先生に、日本の官能小説の歴史というテーマでお話をお聞きしました。

 
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【お話を聞いた人】
永田守弘 氏
1933年東京生まれ。雑誌『ダ・カーポ』などで官能小説を紹介するコラムを長年に渡り手がけていた、日本の官能小説研究の第一人者。今でも年間300冊以上の官能小説を読破する。編著書に『官能小説用語表現辞典』(ちくま文庫)、著書に『教養としての官能小説案内』(ちくま新書)、『日本の官能小説 性表現はどう深化したか』(朝日新書)など。

【戦後~1950年代】永井荷風もこっそり書いていた官能小説

──まず本題に入る前に、永田先生がどうして“官能小説の研究”をされるようになったのか、教えていただけますか。

永田 守弘氏(以下、永田):もともとは、大学を途中でやめて5年ほど、「ポパイ」シリーズなどの翻訳をしていたんですよ。そのうち、翻訳の仕事の一環として官能小説も手がけるようになって。訳しているうちに、雑誌で面白い官能小説を紹介するコラムを書いてほしいという話がきたんです。

 
──それが官能小説との出会いだったのですね。

永田:そうですね。コラムを書くようになってからは、紹介しなきゃいけませんから自分でもずいぶん官能小説を読みました。その頃から年間300冊くらいのペースで読むようになって、官能小説の研究をするようになり、現在に至ります。

 
──年間300冊は圧巻です……。そんな日本屈指の官能小説研究家である永田先生にお聞きしたいのですが、ずばり“日本で最初の官能小説”にあたるのはどの作品なのでしょうか。

永田:「エロ本」というくくりでは江戸時代から多数存在したので定義が難しいのですが、やはり、今で言う官能小説の草分けとなったのは田村泰次郎たいじろうの『肉体の門』でしょうか。米軍機の空襲によって焼け跡になった東京に集まる街娼たちの生態を書いた、1947年発表の作品です。この作品は文芸誌『群像』に掲載され、すぐに話題作となりました。

いま読むと決してさほど官能的ではないのですが、戦後、性を解放しようという機運が高まりつつあった日本にとってはとても新しく、共感を呼ぶ内容だったのだと思います。たとえば、

肉のもりあがった、逞しい尻が、彼女たちの前に現はれた。貪婪どんらんな感じの尻である。

といった直接的な描写は、それまで直接的に性を描いた小説を読んでこなかった読者の想像をかきたてたのでしょうね。

 
──ちなみに、「官能小説」という言葉は当時からあったのですか?

永田:いえ、戦後直後は「エロ小説」「桃色小説」といった呼び方が一般的でした。「官能小説」と呼ばれるようになったのは1950年代の半ばだと言われています。

第2次世界大戦直後は書物の摘発が非常に多く、官能小説も摘発との戦いでした。当時は官能小説専業の作家がいたというよりも、純文学作家が官能的な作品も書くケースが多かったのですが、そういった際は別のペンネームを使っていたようです。
たとえば、1948年に発表された『四畳半襖よじょうはんふすま下張したばり』という官能小説は、現在ではおそらく永井荷風の著作だろうというのが定説になっているのですが、本人は警察に呼び出された際「自分ではない」と否定し続けて難を逃れたそうです。

 

【1960~1970年代】不況のときはポルノが売れる!

──官能小説は、はじめは純文学作家の“副業”的性格が強かったわけですね。その後はどのように変化してきたのでしょうか。

永田:1960年代に入ると、安保闘争や学生運動の激化で世間は騒然としますが、官能小説はこの時代に大きく活躍の舞台を広げました。「不況のときはポルノが売れる」という俗説があるのですが、まさに1960年代はそうで、純文学から転向した川上宗薫そうくんによる官能小説が人気を集めました。川上宗薫は、セックスによって失神してしまう女性を多く描いたので、“失神派”という異名で呼ばれたんですよ(笑)。

 
──失神派、とは……。

永田:

どうやら、八千代は、頂を浮遊しているようだった。
八千代の口に「うっ」という声が立ち、吉光の腰に廻されていた手から力が抜けていった。
(『教えて下さい』より)

……といった具合です。それまでは一部の物好きが読んでいるという立ち位置だった官能小説が、広く社会に認知されたのがこの頃です。

 
──では、官能小説を書く作家もこの時代にぐっと増えたのでしょうか。

永田:そうですね。1960年代から1970年代にかけては、さまざまな作家が一気に登場しました。企業を舞台にしたもの、熟女もの、言葉責めが巧みなもの……などそれぞれの作家が得意とするジャンルもはっきりと分かれるようになります。一例を挙げると、芥川賞作家でもある宇能うの鴻一郎こういちろうは、女性を主人公にしたストーリーを女性の一人称で書いて人気を集めました。

その、まわした指で、あたしの、いちばんビンカンな部分を、
コチョ、コチョコチョッ
と……。
「ああ」
と、あたし、息を吐いちゃった。
(『内助の功』より)

といった、非常に読みやすいながらも扇情的な独特の文体が特徴です。
また、団鬼六は、女性心理を巧みに描くSM小説でマニアの心を虜にしました。

麻縄を上下に数本、きびしく巻きつかせている乳房は触れれば溶けるような柔らかさで悩ましく盛り上がり、しなやかで艶っぽい肩先、腰のくびれの形よさ、全体的に如何にも貴婦人の肉体を感じさせるような線と官能美を一つにして匂わせている。
(『花と蛇』より)

……このような耽美的な文体は、いまでもファンに人気ですよね。彼の登場によって、自分のSM嗜好を隠さない人が増えるという現象も見られました。

 

【1980~2000年代】官能小説が、現実の性愛をリードする時代に

──ところで、官能小説と聞くと「フランス書院文庫」のイメージが強い世代も多いと思うのですが、そういったレーベルが登場するのはその後ですか?

永田:そうですね。それまでは新書版だった官能小説が文庫化し、フランス書院文庫やマドンナメイト文庫といったレーベルが誕生したのが1985年です。これはエポックメイキングな出来事で、それまでは書店でこっそり買うものであった官能小説は一気に、空港ロビーや駅の売店でも手軽に買えるものとなりました。

当時特徴的だったのは、官能小説がリードするような形で、男女の性技が濃密になってゆくという傾向が生まれたことです。戦時中には不潔で恥ずかしい行為とされていたようなクンニリングスも、官能小説の中で頻繁に描かれるようになったことで一般化しました。

面白いことに、官能小説は時として時代に先行するんですよ。1990年代にも『失楽園』の流行によって不倫がある種のブームとなりましたが、官能小説の世界では不倫はもともと主要なテーマでしたしね。

 
──2000年代以降から今に至るまでも、そういった現象は見られるのでしょうか。

永田:2006年頃から官能小説の中で女性の「潮吹き」の描写が増え、世間でもパートナーの女性になんとか潮を吹かせようと奮闘する男性が増えたように思います。女性の性感の急所とされる「Gスポット」もよく描かれるようになりましたが、この言葉も近年になって一気に一般化しましたよね。

 

“ニュククヌーッ!” 味わい深い性のオノマトペ

──なるほど……! ちなみに、官能小説には女性器を“花芯”、“花びら”、“蜜壺”といった独特な語彙で表現する文化があると思うのですが、やはり作家の方によってその表現もさまざまですか?

永田:女性器の呼び方は、作家の個性がもっとも如実にあらわれる部分かもしれませんね。大きく分けて、“淫らな花”、“ブロッサム”といった「植物派」、“桜貝”、“あわび”といった「魚貝派」、“アリジゴク”や“鳥のくちばし”といった「動物派」、“泉”、“インド鮪のトロ場”といった「陸地派」、直接描く「直接派」に分けられるかと思います。

 

──インド鮪のトロ場……。かなり独特ですね。

永田:女性の“絶頂表現”やオノマトペも、作家ごとの個性が浮き彫りになって面白いですよ。絶頂表現では“打ち上げ花火のように”、“操り糸の切れた人形のように”といった秀逸な比喩が多数見られますし、オノマトペでは、

祐介が思い切って体を沈ませていくと、いきり立ったペニスが処女孔をきしませるふうにして萌の体に突き立っていった。
ニュククヌーッ!
(吉野純雄『半熟の花芯 秘密の喪失儀式』より)

といった味わい深い表現が楽しめます。

 

官能性と文学性のバランスが絶妙なのが“よい官能小説”

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──ここまで、戦後から現在に至る官能小説史を紹介していただきましたが、今の若い世代には正直、官能小説というものをあまり身近ではないと感じる人も多いと思います。永田先生は今後、官能小説の読者はどのように変化していくと思われますか。

永田:今の官能小説の読者は、性的なことに広く関心のある非常に若い世代と、昔から官能小説に親しんでいる定年を迎えた世代とで二極化しているように思います。
今バリバリ働いているような20~40代は、なかなか官能小説を読まないですよね。だから、もしその世代の仕事の疲れを癒やせるような、リアルで新しい官能小説が出てきたら売れるかもしれないと思っています。とても難しいことだとは思うのですが……。

 
──最後に、官能小説にこれまで触れたことのない人に永田先生が1冊おすすめするとしたら、どんな作家の作品を挙げるか教えていただけますか。

永田:やっぱり、書店で多く並んでいるような人気の作品が初めての方にはおすすめかなあ。1980年代から活躍している睦月影郎むつきかげろうさんなどは、若い人たちの健康的な性愛を描いた作品が多く読みやすいですし、女体に対する純粋なフェティシズムも読みどころです。余談ですが、この作家は『追憶の真夜中日記』という自分の射精日記を24年間に渡って記し続けたことでも非常に有名です(笑)。

それから、最近の方だと、2010年に団鬼六賞を受賞してデビューした花房観音はなぶさかんのんさんもいいかもしれません。この方は女性作家なのですが、官能的でありながらも文学性を感じさせる性描写が特徴で、扇情的すぎないところが女性読者にもおすすめです。

よい官能小説はどれも、官能性と文学性のバランスが絶妙で、“淫心”をかきたてるものです。若い世代の中には官能小説に馴染みが薄いという人も多いと思いますが、興味が湧いたら、ぜひ1冊くらいは手にとって読んでみてほしいですね。

 

<了>

初出:P+D MAGAZINE(2018/08/08)

近代日本画の全体像がわかる!『日本画とは何だったのか 近代日本画史論』
◎編集者コラム◎『真犯人』翔田寛