著者の窓 第35回 ◈ 森本萌乃『あすは起業日!』
「小説丸」の取材がきっかけで生まれた一冊
──『あすは起業日!』は若手起業家として注目される森本さんが、初めて書かれた小説です。執筆の経緯について教えていただけますか。
きっかけは小学館の文芸ポータルサイト「小説丸」にインタビューしていただいたことなんです。取材自体もとても楽しかったんですが、その際に同席された編集者さんがなぜか「この人は書ける!」と感じてくださったみたいで、しばらくして小説を書きませんか、と連絡をくださったんですね。ビジネス書やエッセイではなく小説、という依頼に驚きましたが、いただいたチャンスを生かすことの大切さは、仕事をしていても日々実感することなので、思い切ってやってみようと決意しました。
──小説を書いてみたいという気持ちは、以前からお持ちだったのでしょうか。
本が大好きなので、いつか書いてみたいという気持ちはありましたね。でも小説をたくさん読んできたからこそ、簡単なことじゃないのも分かっていて。やってみたいけど人前では口に出せない、少し遠くにある目標でした。編集者さんはよくこの気持ちを見抜いてくださったなと思いますし、執筆を後ろで支えてくれた会社のスタッフにも感謝しています。
──実際に小説を書いてみていかがでしたか。
試しに書いた原稿を、二人の編集者さんに読んでもらったんですが、山のように赤字が入って戻ってきました。それがすごく嬉しくて(笑)。経営者になってからはアンカーとして決断を下す立場だったので、「全然駄目です!」と誰かに言われることがなくなっていた。足りないところを指摘してもらえるのが新鮮で、もっと赤を入れてください、という気持ちでした。
悩んでいる時に助けてくれるのは、大好きな本
──物語は29歳の主人公・加藤スミレが自ら会社を立ち上げ、それを軌道に乗せるまでの奮闘を描いています。起業を中心にした女性の成長小説、というコンセプトはすんなり決まったのでしょうか。
実体験をもとにした起業もの、プラス女性の成長物語という枠組みは、編集者さんからの提案ですが、自分でもそれがいいなと思っていました。作家ではないわたしがいきなり小説を書いても、読んでいただくのは難しい。逆にビジネスの分野ならよく知っているし、そこが作品のセールスポイントになるだろうと思ったんです。
──化粧品会社を解雇されたスミレは、転職活動から一転、起業家として生きることを決意します。こうした経緯は森本さんのプロフィールと重なりますね。
ほぼ同じですね。わたしは新卒で大手広告代理店に入って、その後転職を経て、アパレルのスタートアップ企業で働いていたんですけど、コロナ禍によっていきなり契約を打ち切られてしまった。それで起業を決意したんです。起業してみたいという思いは以前からあって、タイミングってこんな風に訪れるんだなと。だからスミレのような逡巡はなかったですね。人生の答え合わせは将来になるまでできないし、だったら悩んでいてもしょうがない。この道を行けるところまで行ってみよう、という感じでした。
──スミレのように将来に不安を感じたり、特別でないことに劣等感を抱いたり、ということはなかったのですか。
スミレとは結構性格が違いますね。この小説を書くにあたって恵まれていたのは、担当編集者さんがわたしと同い年で、しかも仕事観が正反対だったことなんです。わたしはキャリア志向で、将来のためにがんがんリスクを取っていくぞ、というタイプなんですが、編集者さんは今の仕事が大好きで、このままずっと小学館で働き続けたいという考え方。そんな正反対の二人が、どちらも応援したくなるような主人公にしようと大枠の方針を決めたことで、ちょっと自信はないけど頑張り屋の、スミレのキャラクターが定まっていきました。当初はもっとわたしに近くて、原稿を送るたびに「強すぎて、共感できません!」と編集者さんの赤字がよく入っていましたね(笑)。
──スミレが立ち上げようとしているのは、AIを使った選書サービス。彼女を突き動かしているのは、とにかく本が好き、という思いです。
わたしも本が好きで今の事業を始めたんですが、好きを仕事にするのは思っていた以上に大変でしたし、思っていた以上に楽しかったです。仕事にしてしまうと、好きだったはずの本が悩みや苦労の原因になることがありますからね。忙しすぎて好きな本を読めない時期が続いたりすると、わたしは何をやってるんだろう、という気持ちになることもあります。でもしんどい気持ちを救ってくれるのも、わたしの場合やっぱり本なんです。
スポットライトの当たらない起業家を書きたかった
──いざ資金調達に乗り出したスミレですが、VC(ベンチャーキャピタル)との面談に連敗し、打ちのめされていきます。人脈やスキルをもたない劣等感、未経験からくる焦り、投資家たちへの複雑な思い。なかなか知ることができない起業家の思いが、リアルに描かれていました。
ここは絶対に書いておきたいシーンでした。わが社は何億円の資金調達をしました、というプレスリリースが毎日のように出されていますが、その華やかな物語の陰には、血の滲むような努力をそれぞれの起業家が抱えていますし、資金調達がうまくいかず夢を諦めた人も数え切れないほどいるはずなんです。でも、メディアが注目するのはあくまでも結果ですよね。だからうまくいかなかった人は安易に「失敗」とみなされがちですが、この難しいゲームに挑戦するだけでもすごいこと。資金調達の額=起業家の価値、という世論も違和感があって。そんな起業家の混沌としたリアルを、スミレの姿を通して書きたかったんです。
──落ち込んだスミレが書店に立ち寄り、本棚を眺めるうちに元気を取り戻していく、というシーンも印象的でした。
これは実話なんです。VCとの面談がうまくいかなくて落ち込んだ時に、吸い込まれるように本屋さんに足を踏み入れて、新刊棚を眺めていたらふっと心が軽くなった。本の仕事をするなら、この気持ちをずっと忘れないでいよう、と思いましたね。その時どんな本を読みたいと思うかで、自分の心と対話することもできますし、今でも悩んだら本屋さんに行きますね。
──この作品を執筆するうえで、影響を受けた作品はありますか。
書いている間は、小説が一切読めなかったんです。わたしは現代の女性作家さん、山田詠美さんや柚木麻子さん、川上未映子さんなどの作品が大好きなんですが、読んだら絶対引っ張られて、そのまま真似したくなったり、自分が書く意味を見失ってしまうような気がして。執筆中に読んだのは、参考資料のビジネス書が多かったですね。
──サポートしたいという投資家やエンジニアなど、スミレが人との出会いに恵まれている点も作品の中で印象的でした。
本当にヤバそうな人って、見ていてつい助けたくなるじゃないですか。スミレもおそらくそのタイプ。わたしがぎりぎりで資金調達できたり、今日までなんとか会社を続けていられるのも、同じ理由かなと思います。以前、シェアオフィスで仕事をしていたら、わたしのことをどこかで知ってくれた方が声をかけてくれたんですが、別れ際に「森本さんって、仕事中すごく怖い顔をしてるんですね」と言われてしまって(笑)。どうやらすごい顔つきでパソコンに向かっていたらしいんです。そういう必死さが、人を動かすということはあるんでしょうね。
起業という選択肢があれば、人生がちょっと楽しくなる
──さりげなく支えてくれる姉、無償で手を貸してくれる高校時代からの友人・ジェイミー。登場人物にモデルは?
スミレと姉とのエピソードはほぼ実話ですね。うちも姉妹の仲が良くて、困った時には支え合っていますから。ジェイミーのモデルはコンサルタントをやっている古い友人で、起業した当初はすごく助けてもらいました。エクセルの入力が速すぎてPCの処理が追いつかない、というのも実際目にした光景なんです。この本を読んだ男性のライターさんに、「スミレの一番近くにいるのが異性のジェイミーで、しかも恋愛関係にならないところがいい」という感想をいただいて嬉しかったです。
──スミレは前職で知り合った工藤彰という男性に思いを寄せています。なかなかうまくいかない恋の行方も、本書のひとつの読みどころですね。
恋愛そのものを書くというより、スミレの恋愛観の変化を書いておきたかったんです。女性のキャリアと恋愛観は結構関係していて、わたしも会社員時代と起業後とでは、いいなと感じる男性のタイプが大きく変わりました。そういう感情の揺れ動きを書きたかったので、彰を登場させたんです。ただし結婚をスミレのゴールにはしたくなかった。今って、もう独身で仕事をしていても「結婚する気はあるの?」「子どもはどうするの?」みたいなことはほとんど聞かれません、だいぶいい時代になりました。少なくとも私の周りではそれが当たり前になっているんですよね。幸せの形は無数にあって、それぞれが好きな形を選び取ればいいんだということを、この小説でも書いたつもりです。
──サービス開始のその日まで、スミレの人生はピンチの連続。その中で着実に成長していくスミレの姿に、胸を打たれます。初めての小説を書き終えてのご感想は?
自分では「もっとうまく書けたのに」と後悔の連続なんです。本が届いても怖くて、まだ読み返していません。でもほとばしるエネルギーみたいなものは、作品に込められたかなとは思っています。運動会の組み体操で小学生ががんばっている姿を見ていると、意味もなく感動するじゃないですか。あの感覚です(笑)。小説って読むのに時間がかかるし、本代だって安くはありませんが、それに見合うものがあるのだとすれば、寝ても覚めても考え続けた、初めて小説を書いた人間の熱量なのかなと思っています。
──この本を読むと、スタートアップのシビアな現実がよく分かります。でもスミレのように起業してみたい、という人も増えるかもしれませんね。
でもこれは起業を後押しするような本ではないんです。起業すべきとは全然思わないし、何か好きなことを見つけるべきとも思いません。ただ「あなたは魂を燃やして生きていますか?」と問いかける本ではあると思います。会社員でもフリーランスでも起業家でも、充実感をもって生きていた方が楽しいですからね。まあ、起業なんて未経験でもなんとかなりますから、悩んでいる人はやってみたらいいと思いますよ。本のタイトルを『あすは起業日!』としたのは、今日じゃなくて明日の選択肢のひとつとして、起業をとらえてほしいと思ったから。そういう選択肢があると思うと、ちょっと人生が楽しいじゃないですか。明日やってみようかな、くらいの距離感まで、起業を近くに感じでもらえたら嬉しいです。
『あすは起業日!』
森本萌乃=著
小学館
森本萌乃(もりもと・もえの)
1990年東京生まれ。株式会社 MISSHON ROMANTIC 代表。新卒で広告代理店に入社後、外資系企業とスタートアップ2社の転職を経て2019年自身の会社を創業。本を通じた人との出会いを提供するオンライン書店・チャプターズは、オープンから2年で登録者延べ5,000名を超え、独身男女から新たな出会いの選択肢として注目を集める。趣味は旅先での読書。