私の本 第9回 三浦瑠麗さん ▶︎▷02
「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を聴く連載「私の本」。今回は、国際政治学者の三浦瑠麗さんにお話を伺いました。訪れたのは、都内にある三浦さんのオフィス「山猫総合研究所」。三浦さんの人生をここまで導いた、ご経験や数々の著作について、教えていただきました。
初の著作に行きつく必然的な流れ
東京大学農学部の4年生の時に、現在の夫である三浦と結婚しました。当時、夫は外交官として北京に留学することになっていましたから、私はついていくつもりでした。文転を決め、一年留年したのちに新設された東京大学大学院公共政策学教育部(公共政策大学院)に入学しました。漫然と考えていたのは、博士号を取って転勤が容易な国際機関ででも働こうかということだったのですが、結局夫は留学することなく2年半で転職を決めます。
専門修士課程では政治、経済、法律などをバランスよく勉強することができ、また後半からは博士課程に進むことを決めました。実務的な短い論考ではなく、本を書きたいと思う気持ちが大きくなりました。結果的に博士学位請求論文を改訂し、私の初の著作である『シビリアンの戦争──デモクラシーが攻撃的になるとき』を2012年に岩波書店から出版しました。
文転するのは必然的な流れだったと思いますが、シビリアン・コントロールや戦争に関心を抱いたのは、9.11やイラク戦争を同時代に経験したことが大きかった。学部生として自分がやりたいことが何なのかもわからずさまよっていた時、焦らず時間をかけてよかったと思います。
私は学部生の時に就活もしていません。学部の時には会社で働くということのイメージがつかめなかったのです。お金を稼ぐことに対して、私の実家も夫の実家もさほど価値を置いていませんでした。お互い典型的な学者の家庭だったのでしょう。育った背景は価値観に影響するものですね。父は大学の教員ですが、親戚一同を見渡しても大学教授や翻訳家、官僚などが目立ちました。母方の祖母や叔父は中小企業の経営者でしたが、いわゆる家業とサラリーマンとはだいぶ感覚も違う。大会社で働く人がふだん何をやっているかというのが、そもそもわからなかった。
一時期は大学で教える方向に行きましたが、フルタイムの雇われ人はやはり私に向かない。いまも東京国際大学の特命教授ではありますし、大学生や高校生に教えもしますが、自分で小さな会社を持ち、執筆と調査研究活動が中心になりました。
宮沢賢治の童話から借りた会社名
私はシンクタンク「山猫総合研究所」を主宰しています。「山猫」の名は宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』から拝借しました。山猫は自由の魂の象徴でもあるし、賢治の世界では人を獲って食う存在でもあります。そんなさまざまな意味を込めて、「人を食った」評論ができればいいなと思い、つけたんです。
私の著作は、国際関係の研究者よりも、どちらかというと政治思想の方々にはじめ読んでいただいたと思います。研究にかかわる著作では、『シビリアンの戦争』と『21世紀の戦争と平和』はその難しさ、硬さにもかかわらず多くの方に読んでいただいた幸運な書物だと思います。
社会科学というのは非常に面白い分野で、哲学ほど難解になることなく、いま自分たちが見聞きしている目の前の事象をもとに考えます。だからとても手が届きやすい。と同時に、歴史に学びつつ過去の人間の過ちを現在と比較して考えます。時代を追うごとに、印象論ではないファクトに基づく分析が主流になってきました。
しかし、政治学の「政治科学化」には副作用もありました。たとえば、ストーリー性の捨象あるいは単純化、大きな因果関係に着目するがゆえの個別事例に対するリスペクトの欠落、新たな「発見」という形式を重んじるばかりに古典への造詣を欠き、そのうち自らが新しい事実を発見したと思い込む傲慢。理論形成にこだわった結果として、現実世界に対する関心と敬意を欠くというようなことまで生じています。
「こういう文章を書きたい」と思った名著
そんな状況ですから、大学に就職した同僚たちを見ていると、しんどそうだなと感じます。切り取られた専門性と問いのなかで、一生やっていかなければならないからです。しかし、知性というのは元来、職業ではありません。もう少し広く視野を持った方がいい。
たとえばいまの新型コロナ禍は、多くの社会科学者の思考を刺激しました。しかし、政治学者は結局二次資料を集めることしかできない。現代を扱おうと思えば、新聞記者の記事の引用に大幅に頼り、学術的体裁を取ることしかできません。実務者インタビューだって、結局その実務者の分析に依存します。
でも社会科学にとって真に大切なことは、新たなファクトを取ってきて提示することよりも「世のなかがこうなっている」という大局観や世界観をストーリー性とともに提示できることなのです。
私が修士論文のとき挑戦したのは、サミュエル・ハンチントンの『軍事と国家』の論旨に反論することでした。言語がてきぱきと美しく的確で、かつ全体像を構造的に示していて、「こういう文章を書きたい」と思ったのを覚えています。しかし、その後、誰かの議論に反論するかたちで持論を示すことは減りました。ファクトを見聞きしたうえで、私はこう思う、ということこそが研究者であり書き手の本分だと思ったからです。その哲学は、いわゆる研究手法の形式にばかり関心を持つ人にはわからないでしょう。結論は重要です。しかし、どのようにしてそこにたどり着いたかということこそが、知識人の本分なのです。
練られた文章は本当に美しい
とはいえ、思考を提供しても説得されない人は実は多い。ですから、私は新しいファクトを公共財として提供することも心掛けています。現在、私のシンクタンクでは日本人を対象とした価値観調査と、日中韓三か国を対象にした対外意識や消費行動などに関する調査を行っています。日中韓調査を行っている理由は、グローバリゼーションの平和創出効果について考えたかったからです。調査を始めた当時、米国人研究者によるいわゆる「東アジアパラドックス」といういささかジャーナリスティックな言説がありました。
東アジア諸国は歴史問題などの棘を抱え、政府間の信頼関係は低い。国民感情もけっして相互に友好的ではありません。しかし貿易額は年々増大していて、中国はいま日本にとって最大の貿易相手ですし、韓国は第3位です。
こうしたお互い重要な貿易相手国でありながら摩擦を繰り返す現象を指して、東アジアは相互依存関係が平和をもたらすという理論の例外事例であるという言説が、「東アジアパラドックス」仮説です。私はアジアの特異性を仮定するのは間違っていると考えています。意識調査を行うことにより、欧米各国との共通点と違いがあるならばその理由を示したかったのです。
データは面白いですが、文章を書くことがやはり私の本職です。最近では時間をかけて読む本が少なくなりましたが、岸本佐知子さんが訳されたルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』は繰り返し読みましたね。河出書房新社から新しく出た世界文学全集に収められた『アフリカの日々』の横山貞子さん訳の文章も好きですね。こだわり、練られた文章というのは、読んでいて本当に美しいものです。
(次回へつづきます)
1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国際政治学者として各メディアで活躍する。『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』『私の考え』など著書多数。
(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/五十嵐美弥)