【第168回芥川賞受賞作】佐藤厚志『荒地の家族』井戸川射子『この世の喜びよ』はここがスゴイ!

1月19日に受賞が決定した第168回(2022年度下半期)芥川賞。その受賞候補となった5作品の優れている点や読みどころを徹底レビューした記事を振り返ってみましょう!

2023年1月19日に発表された第168回芥川賞。佐藤厚志さん『荒地の家族』、井戸川射子さん『この世の喜びよ』の2作が受賞しました。

『荒地の家族』は、震災の2年後に病気で妻を亡くし、苦しい日々を過ごし続けている植木職人を主人公とする物語。被災地でいまも暮らす人々の心境をリアルかつ力強い文体で描いた、新たな震災文学の代表といえる作品です。

『この世の喜びよ』は、ショッピングモールの喪服売り場で働く女性と、フードコートの常連である少女との交流を描く物語。“思い出す”ことの尊さと快楽を感じさせるような唯一無二の文体は、詩人としても活躍する著者・井戸川射子ならではです。

今回の受賞候補作は、グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』、佐藤厚志『荒地の家族』、安堂ホセ『ジャクソンひとり』、鈴木涼美『グレイスレス』、井戸川射子『この世の喜びよ』の5作品。

P+D MAGAZINE編集部では今回も、シナリオライターの五百蔵いほろい容さんをお招きして、対談形式で各作品のレビュー、そして受賞作予想をおこないました。各作品の感想とともに、白熱した受賞予想会の模様をお楽しみください!

参加者


五百蔵 容:シナリオライター、サッカー分析家。
3度の飯より物語の構造分析が好き。近著に『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析』(星海社新書)。2023年2月に星海社新書より、新著上梓予定。


トヨキ:P+D MAGAZINE編集部。近年の芥川賞受賞作で好きな作品は『首里の馬』(高山羽根子)。

(※対談はリモートでおこないました)

目次

1.『開墾地』(グレゴリー・ケズナジャット)

2.『荒地の家族』(佐藤厚志)

3.『ジャクソンひとり』(安堂ホセ)

4.『グレイスレス』(鈴木涼美)

5.『この世の喜びよ』(井戸川射子)

開墾地(グレゴリー・ケズナジャット)


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トヨキ:まずは『開墾地』(グレゴリー・ケズナジャット)からいきましょう。五百蔵さんはこの作品、どのように読まれましたか?

五百蔵:書きぶりとしては新人作家らしく、設定がややぐらついたり、作品としての全体的な統合性が弱く感じたりするところもありましたが、その点は横に置いて評価したくなるくらい、構想が優れている小説だと思いました。

主人公・ラッセルの父親が、サウスカロライナの家の修理をある種の生き甲斐のように続けていくさまが終始描かれていますよね。この父親は、特定の国や言語を自分自身のアイデンティティの根拠にしない、という人生の選択をし続けてきた人物ですが、何度処置してもしつこく生い茂る“葛”は父親にとって、根なし草である自分を覆い尽くし、絡めとろうとしてくるものの象徴になっている。そんな葛と格闘する父親の姿を通し、ラッセル自身が自分のアイデンティティや故郷(ホームグラウンド)というものについて、葛藤しながらも理解を進めていく様子がとても効果的に書かれていると思います。

トヨキ:そうですね。ラッセルは父親とは違い、母語である英語を“檻”と捉え、そこから逃げ出したいと感じていたキャラクターですが、物語の終盤では自分が新たに身につけた言語である日本語に頼り切ることも、母語である英語に織り込まれることもなく、その“隙間”に残りたいという自分の気持ちを言語化するに至っている。

ラッセルが、父親とふたりで過ごすひとときを特定の国やカルチャーにルーツを持たない“ここだけの空間”と表現し、自分にとってのホームグラウンドがそこにあることを自覚した上で、自分はまた違った空間を切り拓いていかなければならない、と考えるシーンはとても美しいと思いました。

五百蔵:ルーツを抽象化することで、ナショナルなものと切り離せている点はこの小説のよいところですよね。ナショナルアイデンティティ自体は、望むと望まざるとに関わらず人生につきまとうものです。けれどこの作品の登場人物たちは、「ペルシャ人だから」とか「アメリカ人だから」といったことを何かの根拠にしようとせず、かといって過剰に否定もせず、自らのルーツとの関係性のなかで生きざるをえないことはみんな一緒で、その関係をそれぞれが結び直していかなければいけないよね、という姿勢でいる。

さきほど言ったように、細かいところに目を向ければもうすこし小説として完成度を上げられそうなところもあるのですが、この構想が描ききれている点はやっぱりすばらしいと思います。

トヨキ:もうすこし完成度を上げられそう、と五百蔵さんが感じられたのはどういった点ですか? 個人的には、ラッセルの見てきた風景や記憶にまつわる描写が洗練されている分、母語ではない言語との向き合い方については、ややメッセージが前面に出すぎているように感じる箇所があるなと思います。そこまでストレートに書かずとも伝わるのに、と。

五百蔵:そうですね。より細かい点でいうと、父親が昔から聞いていた曲の歌詞の意味はいまだにわからない、というくだりが終盤のほうにありますが、音楽アプリで曲をどこでも聞けるようになったと書かれているのに、歌詞だけは調べられないというのはちょっとリアルじゃないですよね。翻訳をかけたら一発でわかるはずですから。父親のことをもっと知りたいと感じているはずのラッセルがそれをしない、というのは単に物語の都合だと思うので、そういったところはもうすこし詰めてほしかったですね。

荒地の家族(佐藤厚志)


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トヨキ:続いては『荒地の家族』(佐藤厚志)です。『開墾地』もすばらしい作品ではありましたが、『開墾地』のように文体がやや揺れたりディテールに甘いと感じたりするところがなく、最初から最後まで淡々と同じ強度で胸を締めつけてくるような作品だと感じました。

五百蔵:『荒地の家族』は作品としての強度が抜群に高いですよね。震災によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を真正面から描いているという点で、これはいま書かれる震災文学としてすごく意味のあるものだと思います。

形式としては「意識の流れ」的な手法で、主人公の主観に応じて時系列が移り変わっていくように書かれていますが、この形式も、震災というものが社会や国家にとってではなく、一個人にとって何だったのかというテーマを描く上で非常に効果を発揮していると感じました。

トヨキ:たしかに。震災を扱った文学作品が候補作に選出されることは多いけれど、この作品ほどストレートにPTSDを描いたものは、意外にもこれまでほとんどなかったように思います。

五百蔵:それに、主人公・祐治が感じている人生のうまくいかなさ、生きづらさのようなものが震災のみに起因しているのではなく、人との関係の結び方にも何かしら原因があるのではないか、というところまで物語の手を広げているのもいいところですよね。

祐治はずっと、自分が他者に向ける感情のベクトルに問題があったんじゃないかという後悔や虚無感を抱き続けているけれど、どうやら実際にはそれが諸悪の根源ではない。みんな同じように人のことを気にかけられていないのだから、祐治もそこまで過去のことを気に病む必要はないのではないか、という空気がじつはずっと薄く作中を漂っているんですよね。

トヨキ:そうですね。祐治の主観を描きながらも、時折織り交ぜられるほかの人の言葉や仕草が、立場や視点を変えるとまた違った印象になるできごともたくさんあるんだろうな、ということを予感させてくれる。そういった関わり合いの描き方がとても丁寧だと思いました。

最後の数行ではややトーンが変わり、ある種ファンタジーのような帰結を迎えますが、ここも決して突飛には見えないなと。この終わり方、いいですよね。

五百蔵:僕もこの終わり方はとても好きです。うっすらと見え隠れしていたもうひとつのフレームが、最後に一気に前面に出てくるようなしかけになっていると思います。つまり、祐治ひとりだけに問題があったわけじゃない、ということですよね。その上で、みんながお互いを気遣うことができていないことが悪いという結論にもしておらず、ディスコミュニケーションもコミュニケーションのひとつだということをきちんと捕まえられている。

最後にトーンをすこし変えることによって、この小説が書いてきたことを、それまでの形式とは違ったかたちで総括し直すような構成になっているのがいいですよね。張り巡らされていた緊張の糸がわずかにふっと緩むような、いい読後感になっていると思います。

ジャクソンひとり(安堂ホセ)


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トヨキ:続いては『ジャクソンひとり』(安堂ホセ)。身も蓋もない感想ですが、とにかくおもしろくて、ページをめくる手が止まらなかったです。候補作のなかでいちばん長さを感じずに読み進められた作品でした。

作者の安堂さんが過去のインタビューのなかで、人種とセクシュアリティに関する差別をテーマにした、強い動機を持つ作品だからこそ、「誰でもズケズケ入ってこれるテンションや、深刻な話もぶっちゃけて話せる空間が作りたくて、文章のリズムや展開はもう誰も追いつけないぞってくらいテンポを上げた」とお話しされていたんですが、この疾走感は本当に唯一無二ですよね。主人公・ジャクソンの着ていたロンティーにカメラのフォーカスが合い、QRコードが浮かび上がってくる冒頭のシーンなどはすごく映像的で、早くこのままNetflixでドラマ化してくれないかなと本気で願ってしまいました(笑)。

五百蔵:僕もこの作品は一気に読んじゃいました、とにかくグルーヴ感がありますよね。ジャクソン、ジェリン、イブキ、エックスというブラックミックスの4人組がリベンジポルノに抵抗する、というエンターテインメントとしてももちろんおもしろいし。はっきりと確立したエスニックアイデンティティを持っているわけではないにも関わらず、いわゆる「黒人であること」のデメリットは日々感じざるをえない立場に立たされている人たちのエピソードが、ナイフが急に飛び出してくるかのように要所要所でスッと挿し込まれるのがいいですね。

プロットのおもしろさとテーマの強度が合致していて、最初から最後まで納得しながら楽しめるというか。おもしろさゆえに差別という問題の深刻さが薄まってしまうわけではなく、むしろおもしろいからこそその深刻さが際立つような構成になっていますよね。

トヨキ:たしかに。おもしろいからこそ問題の深刻さが際立っている、というのはそのとおりですね。

しいて言うなら、マーフィーという人物が登場する最後の展開はすこし蛇足だったのではないかと個人的には感じました。差別というテーマのど真ん中を描く切実さとディテールの丁寧さ、エンタメとしてのおもしろさがずっと拮抗していたのに、終盤でわずかにエンタメ的なおもしろさが上回ってしまったように感じて。

五百蔵:その点はたしかに気になりました。マーフィーというキャラクターはマイノリティへの無理解とか、憧れというかたちで彼らのカルチャーを剽窃する人々の無神経さを凝縮した存在にはなっているけれど、ジャクソンたちにとっての本当の敵はマーフィーではなく、自分たちを“包摂”したつもりになっている現代社会のあり方そのものなんですよね。だから、マーフィーをやっつけたところで問題は解決しない。さらに言えば、マーフィーが象徴しているものはもうすでにそこまでのドラマのなかで丁寧に描かれているから、わざわざマーフィーに総括してもらう必要がないんですよ。

トヨキ:それはおっしゃるとおりだと思います。真犯人をきちんと突き止めて名指してほしい、という関心は、終盤まで読んできた読者にとってはもう薄いんじゃないかと。

……ただ、それを差し引いても、さまざまな姿かたちで巧妙に社会のなかに隠されている差別を描く手つきの巧みさには驚かされましたし、彼らがとる差別への抵抗の手段がどれも痛快で、ヒップホップのいいリリックを聞いているときのように読めたのはすばらしかったです。

五百蔵:主人公たちは世の中に対して日々小さな反撃を繰り返しているけれど、その一つひとつがちゃんと芯を食っているんですよね。彼らの反撃のしかたや台詞自体が、何が問題なのかということをその都度明らかにしてくれるだけでなく、プロットの流れや求められているリズム感にもしっかりと合っている。ヒップホップのリリックはまさにそういった方法論で組み立てられていて、芯を食った反撃の快楽みたいなものを聞き手に感じさせてくれるわけですが、この小説にもそういった種類の心地よさがありました。

グレイスレス(鈴木涼美)


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トヨキ:続いては4作目、『グレイスレス』(鈴木涼美)です。鈴木さんは前作の『ギフテッド』に続く候補作入りですが、前作と比べても、はるかに文体や構成が洗練されている印象を受けました。古い邸宅での暮らしとアダルトビデオの撮影現場の描写とを軽やかに行き来しながら、主人公である化粧師・聖月の視点で双方の世界を繋ぐような書き方ができるのは鈴木さんならではだなと。

五百蔵:僕も、前作と比べて完成度が格段に上がっていると感じました。性風俗産業に関わる人と、その世界とは縁のない人を描くという意味では『ギフテッド』と同じような対比構造になっている。けれど、今回は化粧師というAV女優と彼女たちがむかう仕事、その先にいる(主に男性性の優位を享受する)消費者などをつなぐインターフェースのような立場の主人公を中間に置くことで、どちらがいい/悪いという単純な評価を下すのではなく、両方の世界の際にいる人の目から社会問題を眼差すことができていると思います。

トヨキ:第三者として社会科見学的にマイノリティに関わる、というようなアプローチではないのがいいですよね。

一方で、主体的にAV女優という職業を選びとっているように見える人物が作中に登場しないにも関わらず、自由に仕事を辞めたり、「気が向いたらいつでもやる」と言ったりできる立場の主人公が、すこし特権的に映ってしまう部分も否めないのではないかと個人的には感じました。意地悪な見方かもしれませんが……。

五百蔵:職業選択の自由を行使するというかたちでAVの世界に飛び込んだ人物が、主人公以外に描かれていないのはその通りだと思います。結局、望まずにその立場に置かれてしまっている女性たちを描いている以上、女性性を搾取するような文化や社会のあり方を問題視する視点を作者も持っているのだと思いますが、その書き込み方がすこし中途半端にも感じますよね。

その点でいうと、主人公の母・祖母についてのエピソードと、聖月の化粧師としての生き方を描くパートとの間に、じつは効果的な相互作用があまり起きていないと思うんです。この物語の肝は、主人公が化粧師として女優たちに関わることで、彼女たちの生きざまを通り一遍ではないあり方で肯定することができているところですから、いっそふたつのパートを行き来させず、化粧師としての視点だけで書ききってもよかったかもしれないですね。

トヨキ:なるほど、そうですね。ただ、やはり化粧師としての仕事やポルノの撮影現場のディテールの描き方は鈴木さんにしか書けないものだと感じる箇所が多く、その点はすばらしかったです。

この世の喜びよ(井戸川射子)


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トヨキ:最後は『この世の喜びよ』です。作者の井戸川さんはもともと詩人として活動されている方で、個人的にも井戸川さんの詩はとても好きなのですが、この小説もまさに隅々まで詩的な密度を保っている作品だと感じました。ショッピングモールのなかのお店の位置関係や人の動きといった、どうしたって説明的になってしまいがちな描写でさえも細部に至るまで美しい。この作品を読んでいた最中のメモを見返したら、「すばらしい……」「すばらしい……」という役に立たない走り書きばかりでした(笑)。

五百蔵:僕もこの作品に関してはメモがほとんど残っていないのですが、理由としてはまったく同じです。どこも素晴らしいから、メモする必要がない(笑)。どこかひとつが突出しているというよりも、文学的な強度が最初から最後まで揺らがないんですよね。詩人の方だといまお聞きしてとても納得しました。今回の候補作は全体的に水準が高かったけれど、言葉一つひとつの強さや置き場所の確かさという点では、これが群を抜いていると思います。

やっぱり「あなたは」という二人称がとても効いていますよね。この二人称によって、読み手はゲームを操作するプレイヤーのような視点から、この小説のなかの空間や人間関係、記憶をひとつずつ体感していくことになる。

トヨキ:本当にそうですね。二人称の語りに引っ張られながら、まるで自分自身が懐かしい思い出を一つひとつ取り戻していくような感覚がありました。主人公が子育て中にベビーカーで歩いた道の感触とか、勤務中に制服として彼女が着ている喪服の肌ざわりといった、実際には自分が体験していないことであっても、ためらいなくこの世界のなかに没入していけたのがすばらしかったです。

これ、そうでない自分でもウルウルきてしまったので、お子さんがいる方が読んだら小さい頃の思い出を重ねずにはいられないんじゃないでしょうか……。

五百蔵:そうだと思いますよ。僕は子育て中なので、読みながら「早く子どもをかわいがりに行ってあげなきゃな」という気持ちに何度もさせられました、本当に(笑)。

トヨキ:基本的には主人公の主観寄りの二人称で書かれているけれど、時折ほかの人の動きを通じて、その人の視点から見た世界が顔を覗かせるのもいいですよね。主人公の職場の先輩の加納さんという人物も、主人公からはどうやらあまり好かれていないようだけれど、たぶん彼女の視点から見たら、主人公にかつての自分の面影を重ね合わせているところがあるんだろうな、と思えたり……。

五百蔵:そうなんですよね。主人公に対しても、ショッピングモールに頻繁にやってくる少女に対しても、加納さんは必要以上に干渉しない態度を貫いているように主人公の視点からは見えているけれど、実際にはたぶん気にかけていたんだろうな、というのが想像できる。二人称を用いることで、主人公の主観とはすこし離れたところにも別の世界を構築し、それを時折スッと挿し込むことができているのがいいですよね。

トヨキ:『この世の喜びよ』は個人的にはイチ推しなのですが、井戸川さんはどんな語り手や視点を選んでもこういった密度の作品を書くことができるだろうなと感じる分、この作品で芥川賞を受賞する必然性はもしかすると弱いのかもしれないと感じます。どこから始まってもいいしどこで終わってもいい、という作品だと思うので、ストーリー性の薄さを指摘する審査員もいるかもしれませんね。

総評

トヨキ:今回も、芥川賞候補となった5作品についてレビューをしてきました。五百蔵さんは、今回の候補作にどのような傾向や共通点を感じられましたか?

五百蔵:なんらかの社会問題における当事者性を重視しながらも、当事者と非当事者、といったシンプルな二項対立ではないかたちで社会や個人との新たな関係を考えようとしている作品が多かったと思います。

トヨキ:そうですね。『開墾地』のなかに、たとえ一時凌ぎであっても対処を続けなければいけないという意味の言葉がありましたが、まさにそういった姿勢で、現状のメンテナンスを淡々と続けながら目の前で起きている問題に対して立ち向かっていく、というアプローチの作品も多かったように感じました。

五百蔵:その姿勢が単なる現状追認になってしまうのではなく、さまざまな立場の人たちを本来的な意味で包摂した相互関係をどうすれば結べるのか、というところまで考えが及んでいるのがいいですよね。それは、いまの世代の書き手に共通する問題意識なのかもしれないと感じます。

トヨキ:五百蔵さんはずばり今回、どの作品が芥川賞を受賞すると思いますか? 今回はとても水準が高いので、私は『ジャクソンひとり』『この世の喜びよ』の2作受賞と予想したいです。後者はこの作品で受賞する必然性が弱いとも思うのですが、やはり完成度は圧倒的なので……。

五百蔵:今回は全体的に粒ぞろいでしたよね。たしかにその2作の同時受賞というのはありそうです! 文学的な密度の高さから、僕も『この世の喜びよ』は受賞するのではないかと思います。もう1作挙げるなら、いま書かれるべきテーマ性とエンターテインメント性を兼ね備えているという観点から、同じく『ジャクソンひとり』ですね。

トヨキ:今回の芥川賞の受賞作発表は1月19日。どの作品が受賞するのか、発表を楽しみに待ちましょう!

初出:P+D MAGAZINE(2023/01/18)

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