【著者インタビュー】平松洋子『おあげさん』/油揚げの魅力の不思議さを、2年かけてじっくり綴ったエッセイ集

「二枚あれば三合飲める」かつてない至高の愛が詰まったエッセイ集『おあげさん』についてインタビュー!

【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】

「油揚げは完成された素材でありながら、どんどん変化していける。ほかに似た食べ物ってない気がする」

『おあげさん』

PARCO出版 1980円

「おあげさん」こと油揚げについてひたすら綴った29篇を収録。その掉尾を飾るのは「二枚あれば三合飲める」と題された一篇だ。≪酒の肴をひとつだけ選ばせてやると言われたら、私は「油揚げください」と頭を下げる。油揚げ「で」いいのではなく、ぜひとも油揚げ「が」いいのです、お願いします≫という文章から始まる。読んだら最後、もう油揚げを食べずにはいられなくなる、油揚げへの偏愛が詰まった、かつてないエッセイ集。

平松洋子

(ひらまつ・ようこ)1958年岡山県生まれ。エッセイスト。食と生活、文芸と作家をテーマに執筆している。2006年『買えない味』で山田詠美さんの選考によりBunka muraドゥマゴ文学賞、’12年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、’22年『父のビスコ』で読売文学賞(随筆・紀行賞部門)を受賞。著書に『夜中にジャムを煮る』『サンドウィッチは銀座で』『食べる私』『日本のすごい味 おいしさは進化する』『忘れない味』『肉とすっぽん』『下着の捨てどき』ほか多数。

この2年、常に油揚げのことが頭にありました

 油揚げの、ひとことでは言えない魅力の不思議さに迫る。
「油揚げは好きで、これまでにもエッセイに書いたりしていましたけど、編集者に提案されるまで、油揚げで本一冊書けるなんて思っていませんでした。油揚げで書きませんかと言われて、日本の食物史や揚げ物の文化、流通の問題、家庭のありようや時代性など、案外たくさんのことが書けるかもしれないな、と思ったのがこの本の始まりです」
 ほとんどが書き下ろしだが、一気に書くのではなく、2年ほどかけて少しずつ書き進めていったという。
「短期間に集中して書くと、大事なところが抜けちゃうんじゃないかと思ったんですよね。江戸時代のことは書いた、栃尾とちおの油揚げについても書いた、っていうふうに、それぞれの角度からきっちり書く書き方は油揚げにふさわしくない気がして。仕事の合間に調べものをして、コツコツ書いていきました。レシピもつけたので、この2年、ずーっと油揚げ料理をつくってはレシピをメモして写真に撮って、というのを続けていたから、常に油揚げのことが頭にありましたね」
 ていねいに味をしみこませるように書かれたエッセイを読むと、油揚げにまつわる自分の古い記憶がなぜかするすると引き出される。
「最初に書いたのが『暮れのなます』という、友人のお母さんがつくった紅白なますについての文章です。自分の中で大事なことを書こう、と思ったときに浮かんだのがこのなますのことでした。とんかつやうなぎと違って、油揚げのことはふだんあまり意識しませんけど、この文章を書いたら、いまは忘れているいろんな記憶が、自分の中に眠っていると気づいたんです」
 油揚げの裏の白い部分をこそげ、刻んだ大根、にんじん、表の茶色い部分とあわせる手のこんだなますのおいしさを、平松さんのお嬢さんは「言葉にならない味」と表現する。友人のお母さんが年をとって料理をつくらなくなった後は、平松さんのだんなさんが引き継いでつくるようになったという。
 冒頭の謎めいた一篇にも引き込まれる。一見、探検ルポのようで、どこに連れて行かれるのかわからず不安になるが、きっちり着地し、ホッとするので、ぜひとも本で実物にあたってほしい。
「1、2篇書いては編集者に送っていたんですけど、書き続ける弾みをつけたくて、ちょっと違うテイストのものを書いておずおずと送ったのがこれなんです。全部書き終えて、編集者から本全体の構成が送られてきたら、これが最初になっていて、『えーっ、いいんですか?』と聞いたんですけど、『これでいきます』と言うので、もうおまかせしました(笑い)」
 油揚げは熱湯をかけて油抜きをするもの、という思い込みが、なぜか体育の時間にはく女子のブルマーに結びつくのもおかしい。江戸から明治にかけて活躍した画家高橋由一の豆腐と油揚げの絵や、オンシアター自由劇場の芝居『上海バンスキング』など、話題は多方面に広がる。
 油揚げについて話しながら、「ああ見えて」という言葉が平松さんの口から何度か出た。
「油揚げってすごくあいまいな存在なんですよね。あぶっただけで食べられる、完成された素材でありながら、なんでも受け入れて、どんどん変化していける。多義性というんでしょうか。ほかに似た食べ物ってない気がします」
 同じ大豆を原料とする豆腐に似ているが、豆腐の存在感ともまた違っている。冷蔵庫のなかった時代、豆腐は日持ちしなかったが、当時、貴重品だった油で揚げることで、一気に広がったと思う、と平松さん。

ここに書いたのは油揚げ世界の氷山の一角ぐらいに感じます

 炊き込みご飯やみそ汁の具に入っているだけでごちそうになり、味わいが豊かになるが、人によっては貧しい食事のように感じられるのが、油揚げの特徴でもある。
『御馳走帖』の著書もある作家内田百閒は、「じゅんじゅん」焼いて、醤油を垂らすと「ばりばり」と跳ねる油揚げを「ジンバリ」と呼んで愛好していた。だがあるとき、喜んで食べていたはずの客のひとりが、「人の顔さえ見れば、油揚げを焼くので弱っちまう」と言っていたと人づてに聞く悲しいエピソードが本の中で紹介されている。
 2020年に公開され話題になったドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』も取り上げられている。小川淳也衆議院議員が地元香川の自宅アパートの部屋で、ネギを乗せた油揚げをおいしそうにほおばる場面は、質朴な人柄を感じさせて、強く印象に残る。
「映画の内容そのものも、すごく面白かったですけど、この本を書いている途中で映画を見たものですから、あの場面は、ものすごく刺さって。『あーっ!』って声が出そうになりました」
「あぶたま」「きつねうどんの反対」など、平松さんが考えた、おいしそうな油揚げ料理のレシピが45種類も巻末に掲載されている。35年来の友人である、フードスタイリストの高橋みどりさんとの対談で出てくる、料理家細川亜衣さんの、焼いた揚げに醤油を垂らして指で塗るシンプルな食べ方も、ぜひとも試してみたい。
「あげ」「おあげ」「あぶらげ」「おきつね」など油揚げの呼ばれ方はさまざまだ。ちなみに平松さん自身は、高校生ぐらいまで「あぶらーげ」だと思っていたそう。本のタイトルの「おあげさん」は、油揚げに人格が宿っているみたいで、本を読み終えた後では敬意をこめて「おあげさん」と呼びたくなる。
「最初は、一冊書けるかな、と不安に思っていたのに、書き終わったいまは、もっともっと書くことはあったな、と思います。ここに書いたのは油揚げ世界の氷山の一角ぐらいに感じます。
 油揚げを主人公にしたアニメーションをつくったら面白いと思うんですよね。きっと、味わい深い表情の主人公になるんじゃないかな」

SEVEN’S Question SP

Q1 最近読んで面白かった本は?
 今村夏子さんの『とんこつQ&A』が最高でした。宇佐見りんさんの『くるまの娘』もすばらしかったですね。

Q2 座右の一冊といえる本はありますか?
 それはやっぱり内田百閒です。百閒の全集を、今日はあれ、というふうにページを開いて読むことを長く続けてきました。

Q3 最近見て面白かったドラマや映画、映像作品は?
 映像ではなく実演ですけど、今年創立50周年を迎えた大駱駝艦の、世田谷パブリックシアターでの公演『おわり』と『はじまり』が本当によかったです。

Q4 最近ハマっていることは?
 ハマっているというか、欠かせなくなっているのはアシュタンガヨガ。始めて5分で汗だくになるぐらいの運動量です。先生の教え方がすばらしくて、できなかった三点倒立ができるようになるとか、そういうのがうれしい。書くことが仕事で机の前に座っている時間が長いので、集中して全身を動かすことが、自分にとってなくてはならないもので、それもまた言葉のうちになっています。

Q5 最近気になるニュースは?
 安倍さんの国葬ですね。当日からずっと、事件についても考えています。政治と宗教の問題はすごく難しいのに、ああやって決めて押し通せると思っているんでしょうか。
 それ以外だと大谷翔平ですね。幸せな気持ちになるので、全試合見ています。

●取材・構成/佐久間文子
●撮影/浅野剛

(女性セブン 2022年9.8号より)

初出:P+D MAGAZINE(2022/08/30)

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