木下昌輝著『敵の名は、宮本武蔵』が描く武蔵の真の姿!著者にインタビュー!
剣聖と呼ばれた男の真の姿とは? 敵たちの目に映った宮本武蔵の本当の姿がここに!壮大な歴史小説の著者にインタビュー!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
7人の敗者側から武蔵の真の姿を描く著者渾身の歴史小説!
『敵の名は、宮本武蔵』
KADOKAWA
1600円+税
装丁/菊地信義
木下昌輝
●きのした・まさき 1974年奈良県生まれ。近畿大学理工学部建築学科卒。「元々作家志望で、『だったら抽斗を増やせ』と友達に言われて建築科に進みました」。ハウスメーカー勤務、フリーライターを経て大阪文学学校に学び、12年「宇喜多の捨て嫁」でオール讀物新人賞、14年に単行本デビュー。同作は直木賞候補となり、歴史時代作家クラブ賞新人賞、舟橋聖一文学賞、高校生直木賞を受賞。他に『人魚ノ肉』『天下一の軽口男』等。大阪在住。180㌢、80㌔、A型。
悲惨な話が数知れない世の中にあって、描き方一つで輝きを宿せるのが小説の力
二刀流、とはいっても、あの大谷クンではない。
その元祖代名詞的存在、宮本武蔵玄信、幼名弁助が、本書の主人公たちの、さらに敵役という趣向である。
木下昌輝著『敵の名は、宮本武蔵』は、弱冠13歳で有馬喜兵衛を破って以来、約60戦全てに勝利したとされる武蔵に、討たれた側の物語。先述の有馬や、通称〈クサリ鎌のシシド〉、京の名門道場主・吉岡憲法こと源左衛門や巌流小次郎との死闘まで、計7編の敗者の生と死を通じてかの剣聖の実像に迫る、連作短編集だ。
剣や書画にも才を発揮した武蔵に関しては、小説や漫画等々、エンタメ作品も数多いが、本書では敗者の視点や小次郎戦にまつわる衝撃の新解釈、さらに〈憲法黒〉なる染物技術の誕生秘話や、弁助時代の若さが、最大の読み処といえよう。
人を斬れば斬るほど強く、そして遠くなる武蔵が人の子なら、斬られる側もまた人の子だった。それを「命のやり取り」と言うは易く、闘いの背後には決して小さくはないドラマが潜む。
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見る、視る、観る―。
本書では剣や画に秀でた武蔵の孤高や洞察力に迫る上で、3つの「みる」が効果的に使い分けられている。
例えば、人を斬る場合。相手の体軸や心の隙を一瞥にして見抜くのが「視る」力だとすれば、書画の核心をなす魂までも看破するのが「観る」力。まさに剣は画に、画は剣に通ず。その類稀なる能力を分かち得た1人が、武蔵と立ち合い後、剣を捨てて染物屋に転じた、3話の主人公・吉岡憲法だ。
巻末の取材協力者欄には「染司よしおか」5代目当主の名があり、この憲法黒との出会いが構想に繋がったと、以前は関西で情報誌の仕事をしていた著者は言う。
「といってもメインはラーメン屋とか飲食店の取材で、実は『宇喜多の捨て嫁』でデビューした時、僕は将来を考えて就活中だったんです。憲法黒というのは発色のいい京都の水に鉄を混ぜ、あえて色を濁した茶に近い黒染のこと。再就職のためにDTPの勉強をしていた僕はそれが武蔵に唯一勝ったともされる男が作った色と知り、ぜひ吉岡憲法を書いてみたいと思ったんです」
処女作『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞候補となるなど、目下注目の気鋭は、筒井康隆作「ジャズ大名」のような、「史実に根ざした面白い嘘」に憧れるという。 「ラーメンで言えば、歴史的事実も、現代的でアッと驚く展開も両方楽しめる、ダブルスープですね(笑い)。
例えば武蔵が常に弟子を連れて試合をしていたのは文献にもある事実で、それを1対1の勝負として描くエンタメの方程式を、僕は凄い発明だと尊敬する一方、元に戻してもみたかった。そこで斬られる側に視点を移してみると、弟子といる武蔵に挑む人だって十分カッコよく見えたんです」
まずは有馬喜兵衛の場合。島原沖田畷の戦で〈童殺し〉の汚名を負い、国を追われた彼は、播磨の賭場にいた。鹿島新当流の免許皆伝ながら破門を通達され、胃癌に蝕まれた彼は、〈生死無用〉を掲げて相手を募る少年の噂を聞く。宇喜多家重臣・新免家に仕える、父・宮本無二斎に〈武芸者の首ひとつをもって、元服の儀となす〉と命じられた13歳の弁助だ。
事実をベースにウソを捻り出す
この武蔵親子との出会いや、美作後藤家との確執に絡んで朋友・本位田外記を謀殺した無二を恨む人々の執念が後々も影を落とし、本書の斬られ役はただ斬られては終わらない。
例えば牛馬同然に売買された第2話のシシドにとって、彼の描く象の絵を褒めてくれた下女〈千春〉の存在は唯一の慰めだった。ある時、彼は千春を犯そうとした男を殺めてしまい、何とか逃げたものの、後に千春が女郎屋に売られたと知る。そして彼女を買い戻すため山賊となり、金を貯めたシシドの純情を引き継ぐのも、実は武蔵なのである。 「武蔵は障碍者を弟子にしたり、弱者にとことん優しいというか、現代的な人権感覚すら感じるんですね。
実は僕が数年前に始めた竹内流の武道も、強敵には素直に謝れとか、風呂に入らせて裸になったところを襲えとか、一見卑怯でしょ(笑い)。ただそんな武道が400年も続いたのも、弱い人間がどうしたら生き残れるかを考えた武道だから。それがわかった時、僕はどんなに姑息な手を使っても生き延びようとした戦国武将・宇喜多直家を書き、今回のシシドのような人間にも、ただ斬られるだけではない光を当てたいと思った。世の中、悲惨な話は数知れませんが、書き方一つで輝きを宿せるのも、小説の力ですから」
さて、件の憲法黒である。元は染物業を営み、乱世の世に名門道場となった吉岡の名を継いだ憲法は、実は剣にもまして草木染に心惹かれていた。ある時、京の重鎮・安楽庵策伝の招きで茶器や書画の銘品を堪能した彼は、中でも武蔵の作だという一幅の水墨画に目を見張る。〈黒一色だが、濃淡が一切ない〉〈これは、盲いたものが見る闇の色なのだ〉 「今回取材した吉岡さんに染色の工程を見せていただいたり、せっかくの水を汚すなんて京都では邪道だと言われている話を聞く中で、武蔵と憲法それぞれが表現した黒という色に共感覚のようなものを感じたんです。
世間には共感覚と言って、色から音が聞こえたりする能力の持ち主がいるそうです。弟子と道場破りに来た武蔵の眉間を一撃し、自分も腕を痛めて剣を捨てた憲法には、人を斬ることで変化していく武蔵の絵がどう視えたのか、同じ共感覚を持つ者同士の目線で追ってみたかったんです」
人を斬るばかりではない。本書の武蔵は巌流こと津田小次郎との決闘をある人物によって仕組まれ、2人の画会仲間を殺されてもいた。しかもその企ては父・無二と本位田外記、そして母・於青との秘められた因縁に端を発し、その衝撃の事実を知った武蔵の人間的変化を、木下氏は虚実のあわいに活写する。それこそ憲法は言う。
〈殺人剣の極みに、果たして色があるのか〉と。
「この企み自体は僕の創作ですけどね。一応文中でも紹介した『沼田家記』など、その人物の関与を匂わせる史料は複数あって、事実をベースに大ウソを捻り出すのが、以前はSFも書いていた僕のやり方なんです」
と飄々と言いつつ、武蔵ら視えてしまう者の宿命や、一たび斬られれば呆気なく死に至る人間の儚さや業に肉薄する木下氏。その目的はあくまで「面白い嘘」にあり、今後がますます楽しみな歴史小説の新星である。
●構成/橋本紀子
●撮影/三島正
(週刊ポスト2017年3.10号より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/06/07)