芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第21回】誰も書いていないテーマ
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第21回目は絲山秋子の『沖で待つ』について。同期入社の男女の友情を描いた、新しい価値観を提案する小説を解説します。
【今回の作品】絲山秋子 『沖で待つ』 同期入社の男女の友情を描いた作品
同期入社の男女の友情を描いた、絲山秋子『沖で待つ』について
言うまでもないことですが、芥川賞は文芸ジャーナリズムと呼ばれる業界に設定された一種のお祭です。文芸ジャーナリズムって何でしょうか。ぼくもよくわからないのですが、新聞、雑誌などによって文学に関する情報を発信し、文学の深さや、偉大さや、多様さや、おもしろさを宣伝し、読者を広げようとがんばっている人々の集団といったところでしょうか。結果として新聞、雑誌、単行本、文庫などが売れ、お金が儲かり、前述の文芸ジャーナリズムに関わる人々もそれによって生活できるということになるわけですね。
芥川賞はよく知られているように『文藝春秋』という雑誌に受賞作が選評とともに掲載されます。この雑誌は純文学の作品を掲載する文芸誌でも、娯楽作品を掲載する小説誌でもありません。ふだんは評論やルポを掲載する総合誌と呼ばれる雑誌です。つまり芥川賞というお祭は、文学好きの人々とか文壇と呼ばれる狭い業界内のイベントではなく、ふだんは小説など読まないような『文藝春秋』の読者(多くはビジネスマンと呼ばれるおじさんたちです)を巻き込んだ、大きなイベントであり、その結果は新聞で報道されたりテレビのニュースになったりするのです。
もちろん選考委員の人々は作家ですから、それぞれのもっている文学の尺度で作品の判定をします。そういう尺度、つまり文学観というのは、人によって微妙に差違があります。だからこそ十人近い選考委員を集めて合議制で受賞作が選ばれるのですね。しかし作家というものは孤立した存在ではありません。作家も大手出版社から本を出していますから、文芸ジャーナリズムの一員なのですね。頑固そうに見える作家でも、時としては空気を読みます。さらに候補作を選ぶ予備選考の担当者は、編集者たちですし、選考会の司会は『文藝春秋』の編集長です。ということで、選考結果はおのずとジャーナリズム的なものになりがちです。
大企業に同期入社した男女を描く
前置きが長くなりましたが、今回のテーマは絲山秋子さんの『沖で待つ』です。この作品は大激論というわけではないのですが、賛否が分かれる作品です。まあ、はっきり言って、それほどおもしろい作品ではないのですね。もちろん純文学の作品は、目先のストーリーの変化や、どんでんがえしの意外性を競うものではありません。とはいえ、趣向の目新しさとか方法の奇抜さが評価されるということは、よくあるのですが、この作品はごくふつうの展開で、少し幻想的な要素もあるのですが、これは日常から大きく離脱するものではありません。
話は大企業に勤めるキャリアウーマンと、同期入社の男性社員の友情といったものです。その仕事の内容と、同僚との関係が、ごくふつうのリアリズムで描かれています。ここがなかなかおもしろいといえるのですが、いま就職試験で苦労している学生さんから見れば、大企業に就職できるだけでもリア充じゃないか、と言いたくなるような話です。しかし人間というものは、どんな状況にあっても、喜びもあれば苦労もあるものなのですね。
ヒロインはいわゆる総合職の女性社員です。受付とか職場の補助的な仕事をこなす、ふつうのOLではなく、男性社員と平等の条件下で、将来の課長とか部長とか、さらにその上の幹部社員を目指して競争する一線級の社員です。たぶん彼女は学校では優等生で、男に負けずに仕事をこなすことに生きがいを感じているのです。でも、つねに競争状態にあるサラリーマンは、しだいに疲れがたまってきます。その疲れを意識して、いたわりあうような関係、それが同期入社の社員の友情といったものなのでしょう。
男女の“友情”という新しいテーマ
この作品がユニークなのは、男女の友情というものを描いているところです。男同士の友情とも、女同士の友情(そんなものがあるのかどうかは知りません)とも違った、男女の友情。しかも競争しながらいたわりあうような関係。これはまさに、現代社会が生み出した特異な状況といえるのかもしれません。
そこが新しいのです。新しいものには価値があります。ふつう男と女が出てきたら、恋愛に発展するのではないかと、誰もが思うでしょう。恋愛まで行かずに、恋愛未満のままで、お友だちでいましょうね、といったゆるい関係でいることが、現代の流行なのかもしれません。この作品はそういうものとも違っています。そして、同期入社の男女がこういう友情をもつということは、現代社会がそこまで進化したということも言えるのです。
ですからこの作品は、個人のプライベートな状況を描いているように見えて、男と女という性差を超越した「企業戦士」のようなサラリーマンの理想を求める現代社会の、ある意味で困った側面を描き出した、社会小説だといっていいのです。そういうふうに見てくると、この作品は、ジャーナリズム的な作品であり、まさに芥川賞にふさわしい作品だといっていいでしょう。
ここから学ぶべきことは、社会の動きをしっかりと見つめるということです。そして、これまでの歴史になかった新しい局面、ここを描くと現代的だぞ、と感じさせるような状況、つまりはまだ誰も小説に書いていない「おいしいネタ」がどこかに転がっていないか、足で稼いだ自分の体験と、読書やネットで知ったこと、人から聞いた話、テレビのドキュメンタリー番組など、あらゆる情報を総合して、現代社会とは何かということを、しっかりと考えてみることです。
初出:P+D MAGAZINE(2017/06/08)