太 永浩 著、鐸木昌之 監訳、李柳真・黒河星子 訳『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』/ロンドンで脱北した外交官の手記

一九六二年に北朝鮮に生まれ、二十六歳で外務省入りし、二〇一六年に任地ロンドンで脱北した高級外交官による暴露本。粛清と処刑が横行する、北の真実とは……。

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関川夏央【作家】

三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録

永浩ヨンホ
鐸木昌之 監訳
李柳真・黒河星子 訳
文藝春秋 2200円+税
装丁/石崎健太郎

歴代最高位の亡命外交官が見た「重武装の団体」の真実

 二〇一六年に任地ロンドンで脱北した北朝鮮の高級外交官、太永浩(テ・ヨンホ)の手記。
 長い。四百字詰め原稿用紙で千枚強。題名に「秘録」「暗号」とあるが、「現政権温存」以外に目的のない北朝鮮だから、たいした「秘密」はない。ただ粛清と処刑が横行するばかりだ。それも、思いつきの政策着手の、ほとんど「景気づけ」のためだというからたまらない。
 北朝鮮の役人はすべてを上に報告する。外務省だけで一日千ページ分にもなる。それを「首領」が全部読むわけにはいかないので「三階書記室」でえり分ける。結果、情報の集中するところに権力が生じる。一方、各機関の横の連絡は禁じられているから、北朝鮮政府は北朝鮮を知らないのである。
 著者は一九六二年生まれ、中学生で北京に留学して英語を学んだが、文革終了直後の北京の自由な風には吹かれなかった。帰国して外交官養成大学を卒業、北京外大に留学した。英語を学ぶのも中国で、というところが悲喜劇だ。
 二十六歳で外務省入り、デンマーク駐在書記官だったとき、北朝鮮の飢えた幼児たちの写真が世界に流布した。デンマーク企業が、イランへの経済制裁で宙に浮いた大量のチーズを「飢えた子ら」に、と寄付した。金正日はそれを、自身の「誕生日プレゼント」として軍隊に贈り、著者には「金日成尊名時計」を与えた。悪質な詐欺だ。
 金日成は南を「解放」する戦争準備に熱中し、金正日は拉致を含めたテロに専心した。金正恩は核武装と処刑・暗殺で自己主張する。三代を通じて経済政策と呼べるものはなく、一九九〇年代後半に「国家」としては破綻したから、現在は「重武装の団体」にすぎない。
 このような北の異常と惨状にあっても「革命」を志向しない住民の無気力さそのものが「コリア文化」の産物なのだとすれば、本質的な意味でコワい。
 金正恩に秋波を送る韓国大統領にもとめられるのは「民族主義」ではない。「自文化の客観」と「歴史観の修正」であろう。

(週刊ポスト 2019年9.20/27号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/04/05)

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