『マルクス ある十九世紀人の生涯』上・下

この人が語るこの本

日本におけるマルクス研究の第一人者が語る

これから「資本主義に代わるもの」が間違いなく出現する

経済学者

的場昭弘

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MATOBA Akihiro

【PROFILE】1952年宮崎県生まれ。慶應義塾大学大学院経済研究科博士課程修了。神奈川大学経済学部教授。『一週間de資本論』(日本放送出版協会)、『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)など著書多数。

『マルクス ある十九世紀人の生涯』上・下

マルクス

ジョナサン・スパーバー著

小原淳訳

白水社

上下巻とも本体2800円+税

Jonathan Sperber(ジョナサン・スパーバー)1952年ニューヨーク生まれ。近現代ドイツの政治史、宗教史、社会史を専門とするアメリカの歴史家。コーネル大学卒業、シカゴ大学大学院で博士号取得。著書多数。邦訳は本書が初。

〈妖怪〉は不死身なのだろうか?

ここ1年の間に立て続けに、カール・マルクスの本格的な伝記が刊行された(いずれも翻訳物で、原著は2010年から13年刊行)。『世界精神マルクス』(ジャック・アタリ著、的場昭弘訳、藤原書店)、『周縁のマルクス』(ケヴィン・B・アンダーソン著、平子友長他訳、社会評論社)、そして本書である。

今なぜマルクスなのか? 日本におけるマルクス研究の第一人者である経済学者、的場昭弘氏が語る。(インタビュー・文 鈴木洋史)

-ソ連崩壊で資本主義の勝利が確定したと喧伝され、マルクスも過去の存在になったかのようでした。しかし今、マルクスが存在感を取り戻したように見えます。

的場 資本主義が高度に発展すると社会主義社会が到来するかどうかはともかく、マルクスの予言で確実に当たっていることがあります。それは、グローバリズムの到来です。マルクスは誰よりも早く、資本主義が発展すると世界中が一つの市場になること、各国、各地域の歴史が一つの世界史に統合されることなどを予言し、その先の世界を構想したのです。私が翻訳した『世界精神マルクス』でもそのことが強調されています。そうした先見性も、今マルクスが再評価される理由のひとつです。

-グローバル資本主義のもと、格差拡大や貧困が起こっています。

的場 『21世紀の資本』のトマ・ピケティもそうした観点から資本主義を批判し、日本でも水野和夫さん(日本大学教授)のような人が資本主義の終わりを言及している。ピケティも水野さんもネオケインジアン(ここでは「政府による財政、金融政策の有効性を認める経済学の一派」といった意味)で、もともとマルクスにとってケインジアンは敵だったのですが、今は大敵である新自由主義(ここでは「政府による介入を小さくし、市場原理に任せる経済政策」といった意味)と戦うために手を組んでいる状態です。ただ、マルクス主義が他の資本主義批判と決定的に異なるのは、やはり資本主義を超えるものとして社会主義を提唱していることです。私自身も「資本主義に代わるもの」の出現は間違いないと考えています。

-本書をどう評価しますか。

的場 歴史家である著者は、マルクスを現代の人物としてではなく、彼が生きた19世紀の人物として見ます。それが功を奏し、新史料も駆使して詳細に再現した当時の社会、経済状況の中でマルクスがいかに生きたかがビビッドに描かれています。

-マルクスの私生活も生々しく書かれ、興味深い内容です。

的場 マルクスは、大学時代、一般的な公務員の年収の数倍を酒などで浪費しました。後には同志となったエンゲルスから多額の資金援助を受けながら、友人がお金に困っていると有り金を全部あげ、また当たり前のようにエンゲルスに無心します。エンゲルスは工場経営者でブルジョワなのでお金のことを気にしますが、マルクスはお金に困っているくせに無頓着。それは彼の資質に貴族的な部分があることからくるものです。マルクスの父方も母方もユダヤ教のラビ(宗教指導者)の家系ですが、夫人はプロイセンの貴族の娘です。当時の貴族は幼い頃から自分専用のメイドを抱え、嫁ぎ先にも連れて行きます。マルクスは夫人のメイドを孕ませ、生まれた子供を里子に出させます。それらが物語るように、「万国の労働者よ、団結せよ」とアジりながらも、彼自身は労働者ではなかった。しかし、だからこそ教条的にならず、資本主義とその未来を客観的に分析できたのです。ただ、人間臭いマルクスを最初に描いて評判になったのは1971年に岩波新書から出た『人間マルクス』(ピエール・デュラン著、大塚幸男訳)なので、その点で本書に新味があるわけではない。また理論において月並みな部分も多いのが残念です。

-今になってマルクス伝が立て続けに刊行されるということは、〝いまだ書かれざるマルクス〟が残っている、ということですか。

的場 これまで何百冊もの本格的なマルクス伝が世界中で書かれてきましたが、そこには2つの系統があります。ひとつはおもに西洋人が書いたもので、マルクスを西洋近代人と捉え、「資本主義が究極まで発展した末に社会主義が到来すると考えていた」そういう西洋的人物として描くものでした。ところが現実には、資本主義のトップを走るイギリスやアメリカではなく、中進国だったロシアで最初の社会主義革命が起こった。そこで今度は、先進国に追いつき、追い越すための手段として社会主義を求めたマルクス、というイメージが描かれました。いわば革命を正当化するため、新しく解釈し直したマルクス伝で、旧ソ連などから出てきました。しかし、その第2の系統は、ソ連崩壊以降、書く人も読む人もほとんどいません。本書も『世界精神マルクス』も第1の系統に属するものです。それらに対し、今、第3のマルクス伝が期待されています。マルクスは、1867年に『資本論』第1部を刊行してから83年に亡くなるまで作品らしい作品を書いていません。これまでその間のマルクスはあまり重視されなかったのですが、実はヨーロッパ以外の世界についての歴史的研究を続け、膨大な量のノートを残しているのです。順次刊行中の1870年代以降のノートを分析すれば、『資本論』以降の〝空白のマルクス〟は、それまでの自身の歴史観を大きく変える事態に直面していたのではないかという仮説も成り立つ。そうした仮説に基づいたマルクス伝も書かれ始めています。『周縁のマルクス』がその一冊ですし、私自身もそうした方向から数年以内にマルクス伝をまとめようと思っています。マルクスにはまだまだ豊かな未踏の領域が残されています。それらが解明されれば21世紀にまた新しいマルクス像が確立されることになるでしょう。

(SAPIO 2015年10月号より)

初出:P+D MAGAZINE(2015/12/25)

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