『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』
【書闘倶楽部 この人が語るこの本】
モノが捨てられないやくみつるが「一言いわせてくれ!」
「モノを最小限にして暮らす」のは本当に幸せか?
漫画家
やくみつる
YAKU Mitsuru
【PROFILE】1959年東京都生まれ。漫画家、コメンテーター、エッセイスト。早稲田大学商学部卒業。週刊ポストなど連載多数。『やくみつるの大珍宝』(日刊スポーツ出版社)など著書多数。
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』
佐々木典士著
ワニブックス
本体1000円+税
佐々木典士(ささき・ふみお)
1979年香川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。編集者。2010年頃からモノを手放し始める。ミニマリズムについて記すサイト『ミニマル&イズム less is future』を開設。本書が初の著書。
家財道具、趣味の品など身の回りのあらゆるモノを最小限にして暮らす「ミニマリズム」「ミニマリスト」が注目されている。その代表的なバイブルである本書は発売半年で発行部数16万部に達し、そのヒットを受けて、去年の秋以降、類書も続々と刊行されている。単なる片付け術や生活術を超え、禅や茶の湯との共通性を語り、心理学で理論武装するなど、生き方、哲学という色合いが濃い。モノを究極まで減らすことで、時間的にも精神的にもモノに煩わされなくなり、何が本当に大切なのかがわかる……のだという。
それに対し、家にモノが溢れ、トイレットペーパーの包装紙など「珍品コレクター」として有名な漫画家のやくみつる氏が異議を唱える。
(インタビュー・文 鈴木洋史)
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――ブームをどう思いますか。
やく まず、蔵書もすべて捨てると言っているミニマリストが紙の本を出すんじゃない、ネットで言っとけ、と。
――やくさんはミニマリストとは対極の「マキシマリスト」で、なかなかモノが捨てられないそうですね。
やく ブランド物とか宝飾品を買い集める趣味はまったくないんですが、小学校のときに使っていた文房具とか、中学のときに着ていたTシャツとか、行ってもいない大阪万博の記念品とかも残っています。収集品のトイレットペーパーも精査が追いつかなくて溜まる一方ですし、本も増えています。もうゴミ屋敷二歩手前で、モノの整理に時間を取られることは確かです。しかし、トイレットペーパーの包装紙という、どうでもいいことに関する知識が蓄積され、着々と我が国一の地位を固めつつあることに喜びを感じるんです。
――モノは単なるモノではないわけですね。
やく 実は私、今年の3月に銀婚式を迎えるので、前祝いということで正月に25年前の新婚旅行で訪れたボリビアに行き、当時と同じホテルに泊まってきたんです。ジャングルの中にあるホテルなんですが、調べたらまだ営業していて、昔の面影をとどめていることがわかったんですね。そこで、私は新婚旅行のときに着ていた服をまだ保存していたのでそれを着て、カミさんは当時履いていった長靴が残っていたのでそれを履き、当時とまったく同じ場所で記念写真を撮ったんです。スーツケースも当時のものを使いました。ちなみに、服というのは、当時「ビッグコミックスペリオール」が作ったノベルティのジャージで、ブランド品でも何でもありません。だけど、思い出の服だから取っておいたんですね。25年経って私の風貌はすっかりオヤジになり、同じジャージを着るとツンツルテンになってしまうんですが、実に感慨深いものがございました。
ミニマリストにそんな芸当ができるでしょうか。思い出は記憶の中に留めておけばいいというのがミニマリストのご主張だと思いますが、モノを取っておいたからこそ味わえる感慨でしょう。自分の物持ちの良さに自分で敬服しましたよ。
――ミニマリストは紙焼きの写真はスキャンしてデジタル化し、パソコンやスマホに保存する。その方が紙焼きの写真より整理しやすいし、見返しやすい、と言います。
やく 私は撮った写真はすべて紙焼きにし、アルバムに貼ります。当然キャプションもつけます。さらに、それが旅行中の写真だったら、それと一緒に機内食のメニューだとか、どこかの入場券だとか、飲んだペットボトルのラベルだとか、記念になるモノも貼ります。そういう一種の作品みたいなアルバムが何十冊もあるんです。場所は取るし、私とカミさんしか見ないものです。子供がおりませんので、ふたりの没後には大量のゴミになるでしょう。だけれども、少なくともふたりが同時に亡くならない限り、そのアルバムは相方に残すメッセージになるわけです。そう思うと、記念になるものであれば、ラベル一枚疎かにできないですよね。モノというのは自分の歴史、夫婦の歴史を紡ぐ大事な要素なんです。
――本書の著者は、日本でミニマリストが増えている背景には3つの条件があると言っていますね。〈増えすぎた情報とモノ〉〈モノを持たないで済む、モノとサービスの発展(注・スマホやシェア文化)〉〈東日本大震災〉です。
やく 著者は、地震によってモノが凶器となった恐ろしさや、津波によって大事なモノが流されてしまった虚しさについて述べていますが、震災の被災者だって、本当ならば、私が溜め込んでいるのと同じような、他人にとってはどうでもいいモノ、無価値なモノに囲まれた生活を続けたかったわけですよ。しかし、泣く泣く手放さざるを得なかったわけです。なのに、第三者がモノを持つことの虚しさ云々と言うのはちょっと不遜な気がしますね。田舎に行くと、欄間にご先祖様の写真が飾られていたり、食器棚だかこけし棚だかわからないくらいゴチャゴチャといろいろなモノが棚に並んでいたりしますよね。それが田舎の生活の原風景だと思いますが、ミニマリストの人たちの言うことはそういうものを否定することになりかねません。無駄がないということは、人間的な温もりがないということです。そうした光景がミニマリストの原風景だとしたら、ずいぶん寂しくないかなと思います。
――そもそも、今なぜミニマリズムが流行っていると思いますか。
やく 若い世代を中心に、ある種の虚無感に支配されているからではないでしょうか。モノというのは本来、人間の営みと不可分のものです。だから、それに対する興味を失うということは現実からの逃避につながりはしないかと懸念しますね。ミニマリストの方には、物の数だけ人の営みがある、喜びがある、幸せがあるということに思いを巡らせてほしいですね。
(SAPIO 2016年3月号より)
初出:P+D MAGAZINE(2016/03/27)